知らない分野の本を読むのは楽しいなぁ,と再認識させてくれる本である。要するに,日本にいつ頃から横書きが登場し定着したかを,丹念に資料を追うことで証明した力作にして労作。読んでみて損はありません。
日本語は本来,縦書きだったことは誰でも知っていると思う。書でも本でも百人一首でも時世の句でも,全て縦書きで書かれてきた。実に日本語に横書きが登場するのは幕末なのである。
と書くと,「そんなこと言ったって,うちの欄間にかかっている額(扁額)は横書きだぞ」という反論が出るだろうが,これは実は縦書きの変形なのである。これは次のように見ていくとよくわかる。
基本となるのは@である。これは誰が見ても縦書きで,床の間なんかに飾ってあるのはこのパターン。
では,紙が正方形だったらどうするだろうか。これがAである。「風林」と書いて改行し,左側に「火山」と書くのだ(「縦書き左改行」が日本語の基本だから,左に改行する)。
では,紙が横長だったらどうするか。これがBである。要するに「風」と書いて改行し,その左に「林」と書き,それからまた改行して左に「火」・・・なのである。つまりこれは「横書き」ではなく,一行に一字しか書かれていない「縦書き」なのである。
ね,面白いでしょう? このあたりで既に「へ〜ボタン」が叩きますよね。何かの折にこういう知識を披露すると,それだけで「あの人,博識だねぇ」と言われるはずだ。
ちなみに,Bが「一行一字の縦書き」である証拠に,左隅に書かれている署名は必ず小さな文字で縦書きである。要するに,縦書きできるスペースがあるか,字を小さくすることでスペースができれば,自然に縦書きに戻ってしまうのである。
どうも日本人というやつは,横に長いものがあると「右から左」に目を移動させる癖というか,時間の流れを感じるような感性を持っているらしい(あるいは,持っていたらしい)。巻物にしても忍者の秘伝書にしても,右から左に書かれているし,「源氏物語絵巻」を見れば自然と,右の絵から左の絵に視線を移していくし,絵も右から左へと時間が流れるように書かれている。
これは現代でも生きていて,漫画を読むときに「どっちの方から読むんだろう」と戸惑う日本人はいないわけで,なぜか自然に「右上から左下」に視線を動かして物語の進行(時間の経過)を読み取っているのである。四コマ漫画だって縦に絵が並んでいれば上から下へと読むし,横に並べられていたら右から左に読んでしまうのである。
嘘だと思ったら,四コマ漫画を切り貼りして「左から右」にして見たらいい。無茶苦茶読みにくいぞ。
こういうわけで,古来から日本人は,絵とか文字とかが横に並んでいれば誰に教えられるでもなく「右から左へ」と読み,時間の経過を感じてきたらしいのだ。
ところが江戸時代になるとヨーロッパの文化が伝えられる。これは言語にしても数字にしても「左から右へと横に書く」文化である(これが「左横書き」)。特に幕末になると,一般庶民でも数字や横文字を見ることになる。問題は,これらの「横文字」と日本語をいかに共存させるかということである。
今でこそ,日本語も「左横書き」が普通になっているが,上述のように,本来の日本語には「横書き」は存在しないのである。もしも横に書かれた漢字があれば「右から左へ」と読むのが日本文化である。だから,いろいろな人がいろいろな方法を考えるのである。
一番困ったのが外国語辞書。【"desk" 「机」】なんてのはいいけれど,【"democracy" 「民主主義のこと」】と英単語の訳を右側に書くときに,「民主主義」だけを縦書きにしたり(当然,読者はここで本を90度横にして読むことになる),狭いスペースの中に小さな文字で無理やり縦書きにしたりしたのだ。
「そんなの簡単じゃん。英単語と同じように左から横書きすればいいだけじゃん」と言ってはいけない。何しろ日本人は「横に書かれた文字は右から左に読む」のが癖になっているのだ。左から書いてもいいけれど,その際は必ず,「ここから読み始めますよ」という記号をつけない限り,どこが単語の頭なのか,判断できないのだ。
だから「イラク派兵」と左から書いてあっても,当時の日本人は自然に右から「兵→派→ク→ラ→イ」と読んでしまい,意味が通じないのである。
さらに,船とか車に書かれている文字(船の名前とか会社の名前ですね)は,「右側は右横書き,左側は左横書き」になっていることが多いが,これがいつ始まった風習なのかとか,話題は尽きないのである。
そして,第二次大戦中,作戦と戦闘の効率化,合理化を高めようと軍が「横書きは左横書きで」と主張したときに(これが当然の主張であることは誰でもわかるよね),国粋主義者の間から「日本の伝統は右横書きである。大和魂は右横書きである」ってな横槍が入った,なんてところを読むと,「日本刀を振りかざせばB29は恐れて逃げていく」と,何か問題が起こると精神論に逃げるいつものパターンが見えてくるのである。
(2003/12/17)