『まぐろ土佐船』(斎藤建次,小学館文庫)


 これは青柳裕介の同名漫画の原作になった事でも有名なルポ(漫画は確か,ビッグコミック増刊号に連載されていたと思う)

 それまでライターの仕事をしていた29歳の男が何を思ったかマグロ船に乗ることを決意。と言ってもこの斎藤さん,漁師でもなければ船に乗ったこともなければ力仕事をした事もない東京育ちの人間である。しかもマグロ船は1年以上航海を続け,この間,全く日本に戻らずにマグロを捕り続けるのである。一旦船に乗ってしまえば,「私,船の仕事には合っていません。もう降ります」といっても,降りたら大洋のど真中なのである。降りられないのである。

 もちろん,乗せる方だって漁師の経験のないものを乗せる訳にはいかない。素人がすぐに仕事ができるほど甘い世界ではないからだ。素人が一人いることは生活の邪魔というだけじゃなく,漁の邪魔なのだ。下手をするとこいつのミスで船全体が迷惑を蒙るのだ。
 だからこの脱ライター氏が土佐で暮らし始めても誰もまともに相手にしない(そりゃ,そうだろうな)。しかし彼は土佐で暮らし始め,いつ来るとも知れない「じゃぁ,俺の船に乗れよ」という誘いを待ちながら,必死で料理を勉強し,料理のレパートリーを増やしていくのだ(船の上では料理ができるとそれだけで仕事になると聞いての事ですね)


 そして彼は本当にマグロ船に乗っちゃうのだ。もちろん最初は足手まといで邪魔者扱い。何一つ,まともにできない(・・・そりゃ,当たり前だって)。でも,この船で皆に受け入れて貰えなかったら,船の上では生きていけないのだ。彼は自分の居場所を自分で作っていくしかない。
 彼は誰よりも早く起きてはコーヒーを煎れ,掃除をし,漁で両手が塞がっている先輩達タバコを加えさせては火を付けてまわる。

 そしてやがて,船のコックが体調をこわして下船したのを期に,料理の腕を見込まれてこの船のコックに抜擢される。彼は皆に喜んで食べてもらおうと,乏しい材料を料理を工夫し,盛り付けを工夫し,上陸のたびに料理の本を揃えていく。このあたりは「成長物語」として読んでも十分に面白いと思う(当時29歳の著者に「成長」は失礼な表現だけど・・・)


 彼はこのような,普段知る機会のないマグロ船の上での生活を見事な筆致で生き生きと描写していくのだ。さすがにそれまでライターをしていただけの事があり,文章は簡潔にしてそれでいてユーモアに溢れ,実に見事である。そして全ての登場人物(もちろん実在の人間)の描写が何とも暖かく,一人一人が人間味たっぷりに描かれている。

 そしてそれだけじゃない。そういう船と漁の様子を描くと同時に,マグロ漁の抱える問題,遠洋漁業の未来,日本の漁業の未来,そして世界各国の利害関係まで見事に描いてしまうのである。


 ちなみに著者は現在何をしているかというと,東京船橋で居酒屋を開いているそうである。3年に及ぶ航海の間に料理を食べてもらう喜びに目覚め,船の仕事で得た金を元に居酒屋を開いたということだ。そして,彼が船に乗り込んでいたときの見習い船員(当時16歳)が今では船長,漁労長として操業しているそうである

(2003/10/06)

 

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