『親指はなぜ太いのか −直立二足歩行の起源に迫る−』(島 泰三,中公新書)

 久々の大興奮本! 目からウロコがボロボロ落ちます。今まで常識だと思ってきた事を覆えす,知的爽快感に満ちた面白本だ。

 著者はサル,特にアイアイの研究者だ。アイアイとはマダガスカルに棲息するサルで,小さな子供を育てた事がある人なら誰でも一度は歌った事がある「ア〜イアイ,ア〜イアイ,おさ〜るさんだよ」に登場することで有名。このおサルさんは特異な形をしている事でしられている。非常に大きな耳と体に不釣り合いなくらいの大きな手。そして中指が変に長くて極めて細い。何しろ体重3kgの小動物なのに薬指(一番長い)の長さは10cmを超えるのである。あなたの指は何cmあるだろうか? 多分,これより短い人が多いはずだ。
 しかも親指がかなり太く,これは霊長類としては非常にまれ。そしてまた歯の形と数が特異で,霊長類というよりリスやネズミにそっくりなのである。

 このサルは夜行性の事もありその生態はほとんど知られていなかった。当然,その異常なまでに細長い中指も謎とされ,「木の孔に中指を突っ込んで虫をほじくりだすのに役立っている」と説明されてきた。もちろん,その「役立っている」のを確かめた人がいたわけではない。

 それを実際に観察したのがこの著者である。彼は野性のアイアイがラミーという木の実を食べていることを発見する。分厚い殻に包まれているがその中に高カロリーで柔らかな胚乳があり,これがアイアイの主食だったのである。アイアイの大きな手と長い指はこのラミーの実を持つのにちょうどよい大きさであり,ラミーの実をしっかりと握りながら(この時に長い指と丈夫な親指が活躍)強靭な前歯(切歯)で殻をかじって破り,中に中指をいれて中身を掬い取っては食べていたのである。逆にこれがわかると,アイアイの顎関節の動き方も,切歯に比べて貧弱な臼歯しかない事も実に理に適っていることがわかる。噛まなくてもいいほど柔らかなのである。

 これらの観察をもとに著者は「口と手連合仮説」,つまり「主食は霊長類の手(指)と口(歯)の形を決定する」と提唱するのだ。そして様々な種類の野性の霊長類が主食を食べる様子を観察し,親指がほとんどないサル(アビシニアコロブスやウーリークモザルなど),貧弱な親指のサル(ニホンザル,ゴリラ,オランウータンなど),人指し指が痕跡状になっているサル(ポットー),親指がしっかりしているサル(アイアイ,インドリ,スローロリスなど)が,それぞれの主食の採取などに理想的な形であり,同時にそれぞれの歯の形,構造がその主食を食べるのに適したものである事を見出す。

 しかし,話はそれで終わらない。この理論を元に人類発生の謎に迫るのである。つまり,人間の歯の構造の特徴(犬歯が他の歯と同じ高さであり,歯が隙間なく並んでいる。臼歯のエナメル質が発達していて極めて硬い)と,手の構造(親指が他の指と離れていて,しかも太い)から,人類は何を主食にして生きていたのか類推するのだ。そして,なぜ人が二足歩行をするようになったのかまで理論的に説明してしまうのだ。恐るべき力技であると同時に,精緻な理論展開であり説得力がある。人類発生に関する様々な謎が,この「口と手連合仮説」で見事に説明できてしまうのである。

 要するに,どんな生物でも取りあえず食えなければ死ぬしかないのである。新たに生まれた生物は,他の動物達が既に生活している(=それぞれの主食を食べている)場に放り出される事になる。新参者の生物に,自分達の主食を分け与えるような生物はいない。
 となると,新参者が生き延びるためには誰も手を出していないものを主食にするか,他の動物が主食にしているものを奪うしかない。だが,後者の奪い取り方式はほとんど不成功に終わる。なぜなら,既にいる生物はその主食を採取したり消化吸収するための最も効率的な方法を身につけ,完成させているからだ。この方式が成功するのは,環境が変化して先住者が絶滅した場合だけである。

 となると,サバンナの新参者であるヒトは他の生物が食物をして見なしていないもので,量をある程度確保できるものを,新たな主食として見つけなければいけない。そしてヒトの歯と手はその新たな食料を食べるのに最も適した形と機能を持っていたはずだ。
 つまり,人間の手は直径3cmくらいのものを握るのに最も都合がいい形をしているし,歯は硬いものをすりつぶして食べるのに最も効果的な配列,形をしている(初期人類の臼歯のエナメル質は類人猿より厚く丈夫で,顎の骨も類人猿より頑丈にできている)

 そのような条件に適していて,サバンナであらゆる動物が食料とせずに放置し,しかも量が確保でき,その上,生存に必要な栄養源となるものが一つだけ存在するのである。答えはこの本を読んでいただくしかないが,理論的に演繹していけば,やはりこれに行きつくのではないかと思うし,これを主食と選んだ以上,どうしても二足歩行は必要になってしまうのである。さらにこの著者は,その主食と考えられるもの(現在ではこれは「食物」の範疇に入れられていない)が実際に食べられる事を自分で食べて確かめているのである。

 一般的にはヒトは,「直立二足歩行するようになったため両手が開放され,大脳が発達し,道具が作れるようになり・・・」というように説明されている。何となく納得させられる説明だが,大脳を発達させたり道具を作ったりする前に,とにかく何か食べなければ生きていけないのだから,本書で主張している「ヒトの手と歯は特定の主食を採取して食べるために最も適した形をしていたはずだ。独自の主食を見つけ出せない限り,その生物は死に絶えるしかない。道具を作るのはその後だ」という理論のシンプルさには及ばないように思う。そして何より,「生きることは食う事だ」という単純明快さが痛快だ。

 それにしても,このような本を読んでいていつも感心するのだが,優れた本には何気ない一節にも膨大な知識が背景に隠れている。ここでも「体重40キロ前後の生物(初期人類がこれに相当する)は哺乳類全体でも少数派であり(例外はウシ科だけ),ツチブタ,オオアルマジロ,チーター,ヒョウ,ブチハイエナなどがこれに入る。これより大きければ植物の葉で生きていけるし,小さければ果実や根中を主食にできる。この中途半端なサイズの生物は,それぞれユニークな能力を身につけるか独特な主食を獲得するなどして,それぞれのニッチを獲得した」なんて一節は,いろいろなことを考えさせて本当に面白い。

(2003/09/01)

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