実はこの文庫本は1998年に出版されたものです。本屋の店先でこの本を見つけ,裏表紙の宣伝文を見て「こりゃ,絶対に面白い本だ!」と確信したのですが,中を読もうとして口絵を見て思わず本を落としそうになりました。だってそこには異様に変形したミイラの顔が・・・! これがまた妙に生々しいというか,変に怖いんですね。普通の死体の顔より奇妙に不気味なのである。そういえば,本のカバーもミイラ君のお背中のお姿が・・・!
本を読みたいんだけど,本を読んでいる間,このお顔と始終対面する羽目になっちゃうのです。しばらく悩んだ末,そっと本棚に残した5年前の夕刻でした。
そりゃあ私,仕事柄,死体様とのお付き合いは少なくありませんが,ミイラのお顔というのは違うんですね。これは間違いなく,夢に出てきそうな迫力です。
本の表紙に「死体」があるのは珍しくないけど(例:昆虫図鑑とか魚類図鑑とか),やはりこの「人間の死体」は強烈なのである。
で,5年ぶりに,町の小さな本屋さんでこの本に再会しました。最近の文庫本はすぐに絶版になってしまうため,5年前の本が本屋に売られていることって滅多にないはずです。それなのに5年間,本棚で私を待っていてくれたのです(・・・多分)。ここは口絵のミイラ君に目を瞑ってでも買わなければ,本好きの名が廃ります。で,口絵を見ないようにして買っちゃいました。
1991年,アルプスの氷河で一つの遺体が見つかった。当初は行方不明者の遺体と思われていたが,所持品はどう見ても現代のものではない。そしてその所持品から,なんとその遺体は紀元前3300年,つまり今から5000年以上前のミイラであることが判明した。
紀元前3300年というと半端じゃない古さである。エジプトではまだピラミッドは作られていなかった。古代都市のトロイの住居跡で一番古いのは紀元前3000年前のものだ。メソポタミアの王朝文明もまだ産声を上げていない。まさに,新石器時代の人間が当時のまま,現代によみがえったようなものだった。
しかもそのミイラと彼の持っていた所持品は,さまざまな幸運の連続から理想的な状態を保っていた。彼は精巧に作られた斧を持ち,短剣と鞘を身につけ,帽子をかぶり,上着を着け,ズボンをはき,マントを羽織り,靴を履いていた。つまり彼は当時の一般人が「普段を身に着けているもの」を身につけた状態でミイラになり,氷漬けになったのだった(このあたりが,埋葬のための特殊なものを身に着けているエジプトのミイラと違っている)。
要するに,エジプトのピラミッドだろうが,奈良の前方後円墳だろうが,秦の始皇帝の兵馬俑だろうが,そこでわかるのは「王侯貴族の埋葬風習」だけである。一般庶民とはかけ離れた人物が,国力を上げて飾り立てられて葬られた様子がわかるだけである。
しかし,この「5000年前のアルプスのミイラ」は一般人が普通に生活していて,着の身着のままの状態で行き倒れになり,そのままミイラになったのである。
著者はこのミイラの研究プロジェクトの中心人物である。彼は専門の知識を駆使してこの「現代の新石器人」の全てを説明するばかりでなく,このミイラがどういう生活をしていたか,どこから来てどこに行こうとしていたのか,仕事は何だったのか,死因は何だったのか,なぜ死んだのか,どのような格好で死んだのかを,想像力を駆使して解き明かしている(何しろ,彼の所持品から,彼が死んだのは9月か10月,職業は羊飼い,と看破しているのだ)。まさに最良の推理小説を読んでいるかのような面白さである。
ここで著者は常に「考古学の陥りやすい罠」に注意を払っている。古代の墓に見つかる副葬品は「特殊な死化粧」であるから,一般人が日常生活で使っているものではないだろう,副葬品は「役に立たないから墓に入れた」ものの可能性があり,本当に有用なものはその家族が受け継いで使っていたのでは,と推論している。このあたりの「普通の感覚」は読んでいて共感を覚える。
同様に,このミイラ君が着ている上着の修繕の跡に巧拙があることから,上手い修繕の部分は「集落で生活していた時にプロが修繕したもの」であり,下手な修繕の部分は彼自身が拙い手でしたものであると考え,彼が数ヶ月以上にわたって集落に帰れない状況にあったのではないかと想像している。そしてミイラの皮膚の微細な傷,所持品に付着している花粉,紐の繊維の成分にいたるまで一つも見逃さず,全てを総合して壮大な物語を紡ぎだしている。
この本で展開されている著者の推論が正しいかどうかは不明だが,現時点で得られている「これは正しい」という事実をもとに理論を構築する様は数学的ですらある。「昔の数学小僧だった」私は,そこに感動を覚えてしまう。
このミイラの分析は,現時点でもまだ終わっていないはずであり,将来,さらに優れた分析機器が開発される日のために,ミイラは摂氏零度の部屋で眠っているらしい。
ちなみに本の口絵のミイラ君のお顔ですが,すっかり慣れてしまいました。むしろ,目の周りのちょっとした傷や変形,変形した上口唇と外鼻,歯の生え方と歯の形,残っている右眼球の形,手足のバランス,指の形など,何度見ても見飽きません。
これらを見ていると,まさに彼は,現代の私たちと同じように歩き,食べていたことがわかります。恐らく,同じように考え,同じようなことで悩んでいたのでしょう。
(2003/08/25)