『いけちゃんとぼく』(西原理恵子,角川書店)
『毎日かあさん 出戻り編』(西原理恵子,毎日新聞社)


 私は基本的にベストセラーは読まないことにしている。普段本を読まない人が読むからベストセラーになると思っているからだ。要するに,ちょっとヒネた本好きである。このあたりは,「ほうっておいても皆が弾くショパンなんて弾きたくないね。どうせ弾くなら,誰も弾かない派手な曲だよ」なんて考えて,変な曲ばかり弾いていたのとおなじ心理だ。

 その意味では,この本を読もうかどうしようか迷った。ましてやこの本は絵本仕立てである。基本的に文字が少ない本は読まないのが私の主義だ。どうせなら,単位ページあたりにぎっしりと文字が詰まっていた方がいいのだ。こういうのを「文字貧乏症」と呼ぶ。


 だが困ったことに,作者が西原理恵子である。西原の本(漫画)はこれまでほとんど買って読んでいる。破壊的で露悪的なだったり,叙情的だったり,攻撃的だったり,明らかに手抜きだったりとさまざまな作風を見せる漫画家だが,そのいずれもが私の心のど真ん中にずしんとぶつかってくるのだ。特に近年,鴨志田さんと結婚して二人の子供をもうけ,「かあちゃん」になってからの日常を描いた『毎日かあさん』はすごい作品だと思う。おそらく,子育て中,子育てひと段落の人が読んだら,一々納得し感動することばかりだと思う。そしてその中で,彼女の破壊的なギャグのセンスはさらに磨きぬかれ,それが「子育て漫画」というともすればぬるま湯的な雰囲気になってしまいがちな家庭四コマ漫画と一線を画している。「西原の前に西原なく,西原の後に西原なし」と評価されている所以である。

 だが,鴨志田さんと西原(なぜか西原だけは呼び捨てになるが,西原さん,許してほしい)の結婚生活は決して平穏なものではなく,くっついては離れ,また同居してはすぐに鴨志田さんを追い出し,という生活だったようだ。その原因は主に鴨志田さんのアルコール依存症によるものだったらしい。すぐに酒に逃げてしまう鴨志田さんを西原は罵倒し,家から追い出したのだ。このあたりのことは『毎日かあさん』にも書かれていたが凄絶な生活だったらしい。

 そして,紆余曲折があってついに鴨志田さんはアルコールとの戦いに勝ち,アルコール依存症から脱却する。そんな彼を西原は再び家庭に受け入れ,親子4人の生活が再開し,平和な日々が訪れる。しかし,アルコールに打ち勝った鴨志田さんの体には腎臓癌という病魔が取り付いていた。しかも,発見されたときは既に多発転移も見つかり,末期癌の状態だったらしい。

 神は西原に平穏な暮らしを6ヶ月しか許してくれなかった。40台半ばの若さで鴨志田さんは世を去った。


 そんな鴨志田さんと西原,そして二人の子供たちの最後の6ヶ月を描いたのが『毎日かあさん 出戻り編』だ。最後の数ページは重くて辛くて,そして限りなく美しい。「嘘ばかり書いてきたのに,その朝,子供たちにつく嘘は準備していなかった」という言葉が悲痛だ。嘘をつけない母親を慰める二人の子供が健気だ。そして「人として死ぬことができて嬉しい」という鴨志田さんの最後の言葉の重さに胸が締め付けられる。


 そして,『いけちゃんとぼく』が書かれる。幼い男の子,「ぼく」はある日,「いけちゃん」という「おばQ」みたいな格好をしている不思議な生き物に出会う。「いけちゃん」は常に「ぼく」のそばにいて,「ぼく」の成長する姿を見守っている。「ぼく」が友達と喧嘩したりいじめられたりしても,手助けするわけでなく,ただ見守るだけだ。そして「いけちゃん」は「ぼく」にさまざまなことを語りかけ,教えていく。そして「ぼく」は成長していく。

 「ぼく」が幼児から少年になり,思春期を迎え,青年になろうとするとき,ある一つの言葉で「いけちゃん」の正体が明らかにされる。この言葉があまりに切ない。この言葉の過去形表現が哀しすぎる。
 わずか6ヶ月の幸せな生活の後に一人残された西原は,必死になってこの言葉を探し当て,そしてその言葉は美しくも悲痛な絵本に結実した。


 これは絵本の形を借りた鎮魂の書であり惜別の書である。そしてこれは,西原が読者のためでなく,ただ自分のために書いた唯一の本なのだ。

(2007/10/26)


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