『ユダヤ人 復讐の行動原理』(小坂井 澄,講談社+α新書)
 これは「旧約聖書」に書かれている「ユダヤの民が行った他民族の根絶やし行為」を描いたもの。
 何しろユダヤの民は神に選ばれた民であり,カナンの地(現在のイスラエル)は「神がユダヤ人に約束した地」である。神が約束した以上,そのカナンの地を自分たちのものにするのは神の意志であり,カナンの地に住んでいる他民族を完全に滅ぼすのが神の意思であり,カナンの地への途中に住んでいる民族で邪魔するものがあったら,それも絶滅するのが神の意思である。神の意思である以上,邪魔な民族は徹底的に滅ぼすのが当然であり,滅ぼすのが正しい道である。モーゼ,そしてヨシュアが率いるユダヤ軍は女子供は言うまでもなく,家畜一匹に至るまで殺しまくったらしい。
 この行為を「聖絶」と旧約聖書では表現するらしいが,「聖」の文字があろうとなかろうと,滅ぼされる側にとっては暴虐であり,殺される側にとっては虐殺である。
 以前から,旧約聖書は血なまぐさい表現が多いな,とは感じていたが,これほどだったとは思わなかった。何しろ自分たちのバックについているのは「絶対に正しい神様」である。絶対的に正しい神様がついているのだから,何でもやりたい放題であるし,何をしても神様が許してくれるのである。

 この本の一節を引用させたいただく。
現代世界を見渡せば思い知らされる現実である。一方にイスラーム原理主義があり,一方に超大国アメリカの十字軍意識がある。(中略) これらを克服する力は,恐らく宗教とは別の,宗教を超えたところで,人間は獲得しなければなるまい。聖書はそのことを逆説的にわれわれに告げているのではないか。
 宗教裁判,宗教戦争を見るとわかるように,宗教と神の名のもとに最も残虐な行為が行われ,サディズムが発揮されてきたのである。もしかしたら,良心を麻痺させる最高の麻薬が宗教であり神なのではないかという気さえする。

 ちなみにどっかの国の大統領を支えているのは,ネオコンと呼ばれる「聖書原理主義者」「キリスト教教条主義者」たちである。

(2003/04/10)

 

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