『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一,講談社現代新書)


 すごい本である。今まで私が読んだ本の中でトップクラスの本だ。壮大にして緻密,そして厳密にして詩的な味わいすら漂わせている。著者の主張することが正しいかどうかは不明だが(もちろん,私の山勘は正しいと言っているが),物事の本質に迫ろうとする真摯な態度とその思考過程には敬意の念を覚えるし,何より文章が舌を巻くほどうまく,嫉妬を覚えるほどだ。ちなみに著者は,以前紹介した『プリオン説はほんとうか?』(講談社ブルーバックス)の作者であり,分子生物学者である。


 本書のメインテーマは簡単明瞭だ。生命とは何か,生物と非生物を分けている物は何か,これである。もちろん,遠くギリシャの昔から,恐らく人類が生まれたと同時に人類の脳みそに宿ったであろう疑問だ。

 現時点では,「生命とは自己複製を行うシステムである」という定義が定説になっていると思う。自分と同じものを生み出せるのが生命だ,という考えだ。つまり,DNA(遺伝子)を次世代に受け継いでいける物が生命だ,ということになる。これはこれで非常に説得力のある定義だったが,ウイルスの正体がRNAかDNAそのもので,ウイルス自体は自己複製能力を持っていないことが明らかになり,ウイルスは生物なのか非生物(=物質)なのかという新たな疑問を生み出すことになったのは,ご存じの通りだ。要するに,この定義では「生命とは何か」を定義できていないことになる。

 筆者はそこで,動的平衡(dynamic equilibrium)という概念を提唱した上で,「生命とは動的平衡にある流れである」と定義する。これだけでは何のことかわからないが,本書を読めば極めて自然に理解できるはずだ。


 本書は新書の科学書としてはちょっと特異な構成を取っている。自分の若い頃からの研究の変遷と,その研究を行った場所(主にアメリカの大学や研究所)の思い出を述べ(この描写がとても美しい),その研究所でかつて研究していた偉大な先達たちの仕事を紹介し,それによって,遺伝や遺伝物質を巡る学説の変遷とそれを証明しようとするさまざまな実験を紹介するのである。章を追って読み進めることで,読者は自然に遺伝と生命についての研究の歴史を知ることになる。このあたりの構成は見事だ。

 遺伝子の本質がDNAという物質であることを証明したのはワトソンとクリックだが,彼らが自分たちだけでそれに到達したわけでないこと,彼らの成功の陰で不当に忘れられた科学者たちがいたことも述べられている。ワトソンとクリックは偉大な科学者だが,遺伝子研究の歴史は彼らを頂点とする一本道ではなかったし,彼らの研究も行きつ戻りつしながら進んでいったことも説明されている。


 生命とは何かと,いう問題を考えたのは生物学者だけではなかった。本書によれば,シュレージンガーがその一人だ。もちろん,波動方程式で有名な天才理論物理学者であり,「シュレージンガーの猫」は科学好きなら誰でも知っているパラドックスだろう。彼はダブリンに隠遁していたが,1943年に「生命とは何か」という講義を行い,そこで「原子に比べ,生物はなぜこれほど大きいのか,大きくなければいけないのか」という疑問を投げかけた。

 彼は考えた。生命がわずかな数の原子からできていたら,ブラウン運動によるランダムな動きに支配され,生命維持に必要な精度を保てなくなる。そして,エントロピーが最大となった時に生命体は死を迎える。だから,生命は熱力学的平衡状態(=エントロピー最大状態)を避けようとする。そのために,生物は巨大になったのだ。ブラウン運動の影響が出ないようにするためには,原子より遙かに巨大にならざるを得なかったのだ,と彼は考えた。


 同じ頃,シェーンハイマーは重窒素で標識したロイシンを含むエサを成熟したネズミに与える実験をしていた。実験前,アミノ酸の一種であるロイシンはすぐに体に取り込まれてエネルギー源として使われ(燃やされ),尿中に燃えカスとして重窒素が排泄されるだろうと考えていた。しかし,結果は違っていた。重窒素は尿中に排泄されず,体中を構成する蛋白質に取り込まれ,全身のあらゆる組織に分散されていたのだ。しかもその多くは腸管や腎に多く取り込まれていた。この間,ネズミの体重に変化はなかったから,全身の蛋白質が恐ろしいスピードで破壊されると同時に,新しい蛋白質が作られていたことになる。実際,ネズミの全身の蛋白質は3日で半分が新しい蛋白質に入れ替わっていることが確認された。

 しかも,ロイシンがロイシンに置き換わってもいなかったのだ。重窒素はロイシン以外のあらゆるアミノ酸から検出されたからだ。つまり,取り込まれたロイシン(アミノ酸の一種)は腸管から吸収されてさらに小さな分子に分解され,改めて再配分されて必要なアミノ酸に再構築されていたのだ。要するに,絶え間なく分解と再構築されているのはアミノ酸よりずっと小さな分子だったのである。要するに,アミノ酸の形で食べた物は,同じアミノ酸に転換することはなかったのだ。

 余談であるが,このような結果を見ると,「お肌のコラーゲンを含む食べ物を食べるとお肌がツルツルになる」というのががインチキであることがよくわかる。「肌に含まれるコラーゲン」をいくら食べても,それは皮膚のコラーゲンにはならないからである。もちろん,ヒアルロン酸を飲んでも,「お肌のヒアルロン酸,関節のヒアルロン酸」は増えないことも明らかだ。ヒアルロン酸を飲むだけ無駄である。要するに,「コラーゲン入りの食べ物を食べるとお肌がツルツル」というのは,「腎臓が悪い人はキドニー・パイを食べれば病気が治る」と同じくらい非科学的な迷信である。


 閑話休題。

 目の前のネズミは昨日と同じネズミだが,その中では恐ろしいスピードで物質が入れ替わっていて,それはまさに「物質の流れ」なのである。シェーンハイマーは「生命とは代謝の持続的変化であり,この変化こそが生命の真の姿である」という,新しい生命観を提唱した。秩序(生命体)を維持するためには,絶え間なく破壊が必要だったのだ。その破壊が行えなくなったとき,生命体は死を迎えるのだ。

 宇宙普遍の法則,それが熱力学第二法則,すなわちエントロピー増大則だ。当然,これは生体分子にも作用し,秩序ある高分子は酸化などの作用で変性・分解され,ランダムな状態になっていく。
 だから,やがて崩壊するのを待つのでなく,崩壊する前に先回りして体の構成成分を分解し,エントロピー(乱雑さ)が蓄積するより早く構成成分を再構築しなければいけない。絶えず増大するエントロピーを系から切り捨てて体外に捨てなければいけない。つまり,体の耐久性を増強するのでなく,常に流れを維持することが,熱力学第二法則に対抗できる唯一の手段なのだ。

 これが前述の「動的平衡(dynamic equilibrium)」という概念だ。「生命とは動的平衡にある流れである」というのはそういう意味である。
 宇宙根元の法則である熱力学第二法則と生命の根元が結びついていたのだ。これだけでも十分に感動的だが,本書の真骨頂は,なんとこれからなのである。


 本書の著者は膵臓細胞の消化酵素分泌についての研究をしていた。小胞体と細胞膜が結合して小胞体内の酵素が細胞外に放出されるメカニズムについてだが,小胞体膜に存在する蛋白質(GP2)が最も重要な働きをしていると考えた。そして,マウスに遺伝子操作をしてGP2産生部位を破壊したノックアウト・マウスの作成に成功する。そしてついに,GP2を体内に持たないマウスが生まれてきた。当然,糖尿病を発症するはずだ。

 しかし,生まれてきたマウスはGP2を全く作れないのにもかかわらず,糖尿病にもならず全くの健康なマウスだった。しかも,膵臓細胞には消化酵素に満たされた正常な小胞体を持っていた。しかし,GP2は完全に欠損していた。著者たちは失望し,困惑する。

 同じ現象はプリオン蛋白質でも発見された。プリオンはGP2同様に細胞膜に存在する蛋白で,どちらも細胞膜内外の情報伝達に関与する機能を持つと考えられていた。そこで,プリオン・ノックアウトマウスが作られ,生まれながらにプリオン蛋白質が欠損しているマウスが生まれたが,これも狂牛病様の症状は起こさなかった。
 ところが,プリオン蛋白を作る遺伝子を部分的に壊したノックアウトマウスでは,見事に狂牛病が発症するのである。

 GP2もプリオンは膵臓と能の機能になくてはならない蛋白質であることは確認されていた。しかし,これらの完全欠損マウスは正常に育ち,部分的に異常な蛋白質を作る遺伝子が組み込まれると病気が発症するのである。


 GP2ノックアウトマウスの実験に失敗した著者はもちろん失望した。が,しかし,実はここにこそ生命の本質があることに気がつくのだ。生命の本質とは,「緩衝能が動的平衡を維持しているシステム」だったのだ。これが何を意味するのかについては本書を読んでいただくしかないが,著者の考察の深さには恐らく多くの人が感動すると思う。

(2007/06/05)

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