あまりの面白さに一日で読んでしまった。あまりの感動に胸が熱くなり,目頭が熱くなることが何度もあった。ここで描かれている10の科学実験の単純明快さと力強さがの持つ美しさに圧倒された。本書が描く美は,モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」,ジェズアルドの「聖金曜日のレスポンソリウム」,バッハの「マタイ受難曲」,ベートーヴェンの「ピアノソナタ Op.111 第2楽章」,フォーレの「レクイエム」,ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」,ブラームスの「クラリネット五重奏曲」といった最上級の音楽の美と本質的に同じだ。透徹した観察眼と徹底的な論理の追求,妥協のない思考でしか生み出せない美がここにある。
これは科学好きにはたまらない一冊だろう。これほど科学的好奇心を呼び覚ましてくれる本はないはずだ。だから,中学生や高校生の頃にこの本に出会えた人は幸福だと思う。生涯の師に出会えるからだ。
本書の著者がPhisics Worldという科学雑誌に「一番美しいと思う実験をあげてほしい」と書いたことが全ての始まりだった。その結果,数百の歴史的実験が候補にあげられ,その中で多くの科学者が推挙した10の実験を選び,その実験の詳細についてまとめたものである。それらは科学におけるパラダイムシフトを起こす契機となり,宇宙と地球,物質の根源などの新しい知の地平を切り開いていった。
ある者は天才的な直観力を発揮し,ある者は超人的とも思える執念で実験誤差を追求し,ある者は繊細な手技を発揮し,ある者は実験から得られた思いがけない結果を新たな方向から見直すことで新事実を発見した。
ここで取り上げられた10の実験とは次の通りだ。
エラトステネスによる地球の外周の長さの測定。この実験は,二つの考えを結びつけたことに本質がある。一つは通常の三次元空間にある一組の天体(地球,太陽,惑星,星)としてこの宇宙を思い描いたこと。第二は,何の変哲もないありふれた測定によって,宇宙の構造の広がりや大きさがわかるという考えだ。エラトステネスは畑や道を測量するのと同じ方法で,地球などの天体の大きさに関する情報が得られるという大胆な発想をしたのだ(ちなみに,古代ギリシャ人は大地は球形で,宇宙全体と比べてかなり小さいと結論していた。月食の際に影が必ず湾曲していたからだ)。
ちなみに,この息を飲むばかりにシンプルでエレガントな実験でエラトステネスの得た値は,今日得られている値の数%の誤差以内に収まっているという。
あるいはガリレオによる斜塔での落下実験と斜面での加速度運動実験。従来は,当時の実験精度では加速度運動を証明することが不可能で,単なる思考実験と考えられていたが,実は彼が実際に実験を行ったことが証明されたのだ。しかもかなりの精度で彼は実験データを得ていた。その秘密は,彼の父親が著名なリュート奏者であり,その父が,自分の耳に頼った調律法を採用するなど,ひと味違った音楽家だったことにあったらしい。そんな音楽環境で育ったガリレオは,時計並に正確なリズムを刻むことができ,わずかな音の違いを聞き分けることで斜面に置く測定器の正確な位置を割り出したらしい。要するに彼は,実験者として並外れた能力を持っていたのだ。
そしてガリレオの性格についての分析も面白い。科学者として成功する上で必要不可欠な性格を備えていたという。
彼はまず「喧嘩っ早い」科学者だった。自分が正しく,伝統が間違っていると判断したら,迷わず喧嘩をふっかけたし,戦いたくてウズウズしていた。そして,「対象を観察して類似性や関係性に着目すること」と,「法則外の現象やうまく説明できないと気になってしょうがない」という二つの気質のバランスがとれていた。統合性を常に求め,しかし例外を大事にし,しかも例外にだけとらわれない,という科学者として理想の性格である。
そして彼はさらに類い希な文章力を備えていた。彼はその表現力を駆使して,従来の伝統的考えを覆す考えをわかりやすく伝えることができた。だからこそ,彼は世界に衝撃を与えることができたのだ。要するに,好戦的であり,理論家であり,観察者であり,しかも文章力という学者にとって最大の戦闘能力を備えていたのだ。
あるいは,地球の密度(質量)を測定するためのキャヴェンディッシュの精度にかける執念のすごさ。彼は極端な人嫌いの隠遁者だったが,並外れた想像力をもって測定の限界に挑んでいった。彼がどのように実験精度を高めたかは本書を読んでいただくしかないが,18世紀末にここまで精度にこだわって地球の密度を求めた様はまさに鬼気迫るものがある。
彼はその値を得るために必要な,電気,時期,熱伝導の知識をすべて身につけ,数学能力を駆使した。
あるいは,原子核の構造を明らかにしたラザフォードの実験と論理の展開のさせ方もすごいが,生涯学ぶ姿勢を持っていたことに感動する。彼はウランから出る2種類の放射線,アルファ線とベータ線について調べ,前者が電子であることはすぐに判明したが,アルファ線の正体が分からない。彼は金属泊にアルファ線を当てて散乱を調べる実験をしていたが,それを詳しく解析するためには,数学の確率論に関する知識が不足していることを知った。そこで彼はどうしたか。なんと,学生に混じって数学の講義を受けたのである。
当時彼はすでにノーベル化学賞を受賞していて,いわば世界最高の科学者の一人だった。その彼が,アルファ線の研究のために学生向けの確率論の入門講座に出席し,熱心にノートを取り,課題の練習問題に取り組んだのである。その努力が,原子の質量のほとんどすべてが中心核に集まり,その周辺は何もない真空であることを見いだしたのだ。この科学者としての態度に,私は畏敬の念を持つ。人生死ぬまで勉強だ,というのは簡単だが,ここまで徹底して勉強するのは,並大抵のものではないと思う。
もう一度書く。科学者なら,科学を愛するなら,本書を読むべきだ。襟を正して読むべきだ。
(2007/04/09)