《ブラックホークダウン》 (2001年,アメリカ)


 アメリカの歴史の暗部を抉り出す映画,という点では高く評価されるべき作品だと思う。だが,この映画について語ろうとすると,その背景にある事件についての知識が絶対に必要だ。そもそもソマリア内戦とは何なのか,そこでなぜアメリカ軍が参加しているのかが判らないと,この映画で何を描こうとしたのかがわからなくなる。もちろん,映画の冒頭で,ソマリア内戦のことは少し説明されるが,それだけでこの映画の背景をすべて理解することは不可能だろう。

 そして何より,私たち日本人にとってソマリア内戦どころか,ソマリアという国自体があまりに遠く,馴染みがない。世界地図を前に「ここがソマリアだ」と正確に指せる人はどれだけいるだろう。ましてや,今から15年前,そこでどんな事件が起きたのかを知っている日本人となるとほとんどいないと思う。私自身,ソマリアの位置は知っていたが,事件のことはこの映画を見るまでは知らなかった。

 しかし,アメリカにとってはそうではないのだ。当事者だったということもあるが,ヘリコプターが撃墜とその後の凄惨な状況を伝えるCNNの映像(墜落したヘリの回りを武装住民たちが取り囲み,死体を引きずりまわした)はアメリカ全体に衝撃を与え,その後のアメリカの対外政策を変化させる原因の一つになったほどの大事件だったらしいのである。


 まず,事件の舞台となった当時のソマリアの状況について。

 ソマリアはアフリカ大陸の東の端,アフリカの角と呼ばれる部分にある国だ。1961年にソマリア共和国が成立してからはしばらく安定していたが,1991年から内戦が勃発して国内は混乱し,以後,無政府状態が続き,地方の豪族がそれぞれ覇権を争って他の豪族(部族)を攻撃するという状態が続いていた。

 武装勢力同士の市街戦がやがて全国に拡大したが,ここに未曾有の旱魃が襲いかかる。1991年末,飢餓と戦闘で死者は数十万人にのぼり,150万人が餓死寸前の状態となり,100万人以上が難民として周辺国に脱出したと言われている。人災に天災が追い討ちをかけたのだ。

 国連は平和維持部隊を派遣して食料供給を図るが,国内がバラバラのために交渉相手すら定かではなく,食料を武力で奪って他の部族への食糧供給をストップさせようとする,つまり「武器」として食料を使う勢力まで現れる始末だった。そのうち,国連部隊そのものに対する攻撃が始まり,ある国が派遣した部隊が虐殺されるという事件が起きてしまう。


 1992年,アメリカは国連に3万人のアメリカ軍派兵を申し出る。以後,多国籍軍はアメリカ主導となり,圧倒的な軍事力で武力勢力を少しずつ制圧し,救援物資の輸送も順調に進み,飢餓状態は改善されていった。ソマリア国家再建も目前と思われた。

 しかし1993年,アイディード将軍率いる部族が首都モガディシオに侵攻し,再び首都は内戦状態となってしまう。おまけに,アイディード派は屈強で,アメリカ軍に頑強に抵抗し,首都はアイディード派が占拠してしまう。
 この状況にクリントン政権は焦り始め,一挙に解決しようと奇襲作戦を計画する。アイディードの本拠地に100名の特殊部隊を突入してアイディードの副官を捕獲するという作戦である。当初の予定では電撃的に突入して30分で終了するはずであった。アメリカ軍は1993年10月3日に作戦を決行した。

 当初,予定通りに作戦は進んだが,最新鋭のヘリコプター,ブラックホークがアイディード派民兵のランチャーミサイルで撃墜されて広場に墜落したことから事態は一転した。脱出用ヘリを失い,アメリカ軍兵士たちは無数の武装民兵たちに囲まれて四方八方から狙撃されるという地獄にたたき込まれることになったのだ。その長い1日を描いたのこの映画である。


 150分という長編だが,そのうち130分ほどは凄惨な戦闘場面が連続する。ブラックホークが撃墜されるシーン以降,観客もロケット弾とマシンガンの銃弾が飛び交う戦場に巻き込まれ,常に緊張を強いられる。劇場で大音響で見たら,恐らく疲労感でクタクタになってしまっただろう。それほどの迫力ある戦闘の様子であり,情け容赦のない本物の戦場の恐ろしさが画面からひしひしと伝わってくる。

 アメリカ軍司令官は「兵士は一人たりとも残さず連れ帰れ」と命令する。そして,その命令を守るために倒れた兵士を助け出そうとしてさらに犠牲者が増えていく。ちぎれた手足をバッグに入れ,死体を引きずりながら撤退を余儀なくされる。命令する方は楽なものだが,命令される兵士としてはたまったものじゃないと思う。

 下肢がちぎれ,切断面の大腿動脈が骨盤内に引っ込み,止血のために無麻酔で傷の中に素手を突っ込んで動脈を掴むシーンがある。医者ですら目を背けたくなるほど残酷なシーンだ。その地獄の苦しみの中で彼は死んでいく。救いも希望もなく,彼は死んでいく。

 アメリカ兵たちがいずれも若く,自分たちがなぜソマリアにいて活動しているのかがよく判っていない様子も描かれている。ただ彼らは「仲間たちを助けるために」銃弾の中に飛び込み敵兵を狙撃する。一方,民兵側で銃を構えるのは幼い少年兵だったりする。彼ら少年兵にしても,命令されるがままに銃を撃っているだけだろうし,敵が誰なのかも判っていなかったのではないだろうか。

 殺される側はなぜ自分が殺されるのかがわからず,殺す側もなぜ相手を殺すのかが判っていない。まさに末端の兵士は将棋の駒のように消費される。彼らが得るのは死後の昇進と勲章だけだ。


 ちなみに,この戦闘でのアメリカ軍の死者は19人,重傷者は数十人,それに対し,ソマリア側の死者は1000人以上だったと伝えられている。
 この映画ではアメリカ軍の死傷者の悲劇的状況を描いている。しかし,ソマリア人の被害はその数十倍だったのだ。恐らく,流れ弾で死んだ子供たちもいただろうし,たまたま近くで生活していたために殺された市民もいただろう。アメリカ側の死者は武装した兵士だったが,ソマリア側の犠牲者は決して武装市民だけではなかったはずだ。つまり,この映画では描かれていないさらなる地獄があったことは忘れてはいけない点だろう。

 この事件以後,アメリカでは一挙にソマリアからの撤退という意見が優勢となり,国連軍そのものがソマリアから撤退することとなった。


 現在でも世界中には内戦状態にある国が少なくない。その多くはかつて植民地であったところだ。植民地から宗主国が引き上げた後,何かの弾みで民族紛争・地域紛争が起こり,そこから内戦になることが少なくない。その原因は,そもそもの宗主国の支配・経営方針にあると,何かの本で読んだことがある。

 あなたがある地域を植民地支配したとする。そして植民地に二つの部族がいたとして,あなたはどちらの部族に権力を与えるだろうか。少数派だろうか,多数派だろうか。







 ここで正解は,「少数派に全ての権限を与える」である。それが上手な植民地支配らしい。少数派に権力を与えて彼らが多数派を支配し,少数派を自分たちが支配するという二重構造にするわけだ。もちろん,少数派は満足して多数派は不満を抱く。しかし,その不満感は「何であいつらだけが甘い汁を吸っているんだ。あいつら,尻尾を振っているだけじゃないか」という方向,つまり少数派に向かう。今まで一緒に暮らしてきた記憶があるだけに,憎悪は一層強くなる。


 その結果として,不満は宗主国に向かわなくなる。また,少数派は政府(もちろん傀儡政権だが)も警察も軍隊も握っているため,多数派がそれを不満に思って倒そうとしても不可能だ。実際,多くの宗主国はそのようにして植民地を支配してきたらしい。

 だが,宗主国が去り,植民地が独立国となった時,押さえつけられてきた多数派の不満が一挙に噴き出す。その時,少数派を守ってくれる宗主国はいない。そこで,多数派が少数派を襲い,凄惨な虐殺が始まる。そして,先進国の武器商人たちが両派に武器を売り込み,さらに事態は泥沼化する。


 この映画はソマリアでの一日の戦闘を描いたものだが,その背後にはとんでもなく深い闇が口を開けている。それは,人類文明の根元に食い込んでいる醜怪な闇だ。

(2007/02/02)

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