『騙し合いの戦争史 −スパイから暗号解読まで−』(吉田一彦,PHP新書)
 孫子の兵法ではないが,「戦わずして勝」てたらそれが最上の勝利だし,戦闘になったとしても自軍の儀性が最小で勝利が得られたらそれでもいい。最悪なのは,敵にも味方にも儀性が出ることだ。だから古来から,騙し合い,ばかし合いをしてきたのだ。二重スパイ,三重スパイなんてお手のもの,大掛かりな偽装工作あり,謀略放送ありと,戦争とは古来からキツネとタヌキの馬鹿し合いの歴史である。

 この本の中で最も面白かったのが,最終章「自己欺瞞という落とし穴」という章だ。  スターリンは,ヒトラーが自分を裏切ってソビエト進行をするはずがないと信じ込んでいて,部下からの「ドイツはソビエト進行の準備をしている」という報告を握り潰した。そして,その報告をしたスパイを強制労働所送りにした。一方のヒトラーは,ソビエト侵攻のために,スターリンだけでなく味方さえも欺いていたという。これではスターリンに勝ち目はない。

 イギリスは日本軍を過小評価したため,イギリス史上最悪の惨事とされる「シンガポール陥落」を経験した。当時のイギリスはアジア人に対し人種的優越感を持っていて(植民地支配をしていたから当然でしょう),日本軍に対しても「日本人は体格が悪く,視力が低いため,夜間戦闘は不可能である。また,高度な機械の操作もできない。おまけに日本人は内耳に人種的欠陥があるためパイロットとしては不向きである。その上,日本人は片目をつぶる事ができないので,射撃もできない」とするのが,イギリス軍の公式の見解だった。「日本兵は白人兵を見ると,怯えて一目散に逃げ出す」というのもイギリス軍の常識だった。もう言いたい放題である。
 これが結局,イギリス軍に最悪の惨状をもたらす原因となった。

 その日本軍にしても,これらの勝利は本来,「予期せぬ勝利」だったのに,それがあまりに続くため(といってもせいぜい半年間だけど)「当然の勝利」だと思ってしまった。我が軍は勝つべくして勝った,戦って勝たないわけが無い,と考えるようになった。そしてそれが数年後の壊滅的敗戦の原因になった。
 その始めがミッドウエー海戦だった。日本軍は気楽に鼻歌混じりにミッドウエーを目指した。どうせ,俺達は勝てるんだとタカをくくっていた。一方のアメリカ軍は日本軍の暗号を全て解読して日本軍の作戦計画全用を明らかにし,その上で周到な作戦で待ち構えていた。その結果はもちろん,皆さんご存知の通りである。
 ちなみにこの戦闘の日本軍の総括は「ここぞと思うところになぜかアメリカの空母が出てきて邪魔した」「予想もしないところに,タイミング悪く敵と遭遇して戦闘になった」というものだった。「偶然の遭遇」だと信じて疑わないというか,自分達が勝つはずの戦争なのに,偶然が重なり,負けてしまったと思い込む事にしたのだ。これが「自己欺瞞」である。このあたりは,「私が勉強した分野がたまたま出題されなかったため,テストの点数が悪かった」という言い訳と,何ら変わるものではない。
 ここで「自己欺瞞」をしてしまったため,日本軍はその後の敗戦をまともに受けとめる事を止めてしまった。最初の嘘を正当化するため,次々と嘘で塗り固めた。「日本は勝てるはずだ」という思い込みが「日本が勝たないわけがない。負けたという報告のほうがおかしい」という信念にすり変え,事実をねじ曲げる事に腐心した。それが大本営発表である。
 ちなみに,日本海軍はこのミッドウエー海戦を「なかったことに」した。そのために厳重な情報統制を敷き,そればかりか負傷兵を各地の海軍病院に隔離し,肉親との面会も手紙などの外部との連絡も全て禁止した。
 この大本営発表は敗戦のその日まで続く事になる。

 相手の戦力を過小評価し,自軍の実力を課題評価し,それに自己欺瞞が加わった時に破滅的敗戦が起こることは歴史が教えてくれるようだ。

(2003/03/30)

 

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