いい映画だったなぁ。繰り返し見ても,多分同じ部分で涙が溢れてくるんだろうと思う。マット・デイモン演ずる青年の魂の開放と成長する姿,そして彼を助ける中年精神分析医との心の交流,単なる遊び仲間に見えた仲間たちの真摯な友情に胸が熱くなった。
主人公は数学の天才ウィル・ハンティング。しかし彼はスラムに育ち,養父に虐待された過去を持つ。現在20歳だが,まともに仕事につこうという気はなくバイト暮らしで,毎日,気の合った仲間たちと遊び回っては酒場に行き,女の子をナンパしたり,因縁をつけては喧嘩をふっかける生活に明け暮れている。
そんな彼だが,驚異的な記憶力を持ち,一人で図書館の本を読み漁っては独学で数学を学び,数と図形の世界を楽しんでいた。しかし,それが特別な才能とは思っていないようで,それを生かせる仕事をしようという気も更々ない。せいぜい,ハーバードの学生が入り浸る酒場に行っては,知識をひけらかして女子学生をナンパしようとする男どもの鼻をあかすのに使う程度だ。
多分ウィルは,シューベルトみたいな人種なんだろう。頭からは常に新しいメロディーが湧き出てきて,それを楽譜に書き留める方が大変,という天才。本人は速く走っているつもりはないのに,かけっこすると誰も追いつけないというタイプだ。
ウィルのモデルは多分,ラマヌジャンじゃないだろうか。19世紀後半にインドで生まれた数学の天才である。彼は南インドの貧しい家庭に生まれたが,幼い頃から数学の才能を発揮していたらしいが,たまたま中学生の頃(だったかな?)に手にした数学書を読み耽ることで,その才能は一気に開花する。しかしインドではその才能を生かす場はなく,彼は自分の発見した定理を書き連ねた手紙を3人の数学者に郵送する。普通なら,ただ数式だけが書かれている読みにくい手紙は,間違いなくゴミ箱行きだが,幸運にもケンブリッジ大学の数学教授ハーディがその尋常ならざる内容であることを見抜く。彼はその手紙が前代未聞のダイヤモンドの原石だらけであることに驚嘆し,ラマヌジャンをケンブリッジに招き入れて共同研究するのだ。
ラマヌジャンは特に連分数と代数的級数に関する研究を飛躍的に発展させ,ラマヌジャン予想は20世紀後半になるまで未解決の難問として知られていた。現在でも,彼のノートには彼が発見した定理が残され,証明の日を待っているという(ラマヌジャン自身は定理の証明を全くしていないし,証明の意味を最後まで理解できなかったらしい。朝起きると,いきなり頭の中に定理が浮かぶんだ,と言っていた)。
恐らく,この映画のウィルとランボー教授の関係は,ラマヌジャンとハーディの関係をなぞらえたものではないだろうか。
さて,この映画に戻ろう。
MITの数学科教授,ランボーはある日,学生に宿題を出す。フーリエ解析に関する問題であり,院生でも難しい問題だ(ちなみにランボーは数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞受賞者でもあり,数学界をリードする俊才である)。その問題は廊下の黒板に書かれていたが,なんと一晩で完全回答が書かれるのである。もちろん教授は驚嘆し,誰が回答したのかと学生に尋ねるが,手を挙げるものはいなかった。そこで教授はもう一問,さらに難しい問題を黒板に書く。同僚の教授たちと協同でも解くのに数ヶ月かかったという難問である。
そして夜,教授は掃除夫がその回答を書いているところに出くわしてしまう。教授は彼に声をかけるが,彼は逃げ去ってしまう。黒板に残された回答はまたも完璧なものだった。その掃除夫がウィルだった。
ランボーは何とかしてウィルに連絡を取ろうとするが,彼は暴力事件を起こして裁判所で審理中だった。ウィルはこれまで何度も暴力事件や窃盗事件を起こしていたのである。だが,彼の数学の才能を惜しんだランボーはウィルの身元引受人となり,カウンセリングを受けることを条件に保釈してもらう。
ウィルはランボーがどうしても解けない数学の問題を易々と解いていくが,どのカウンセラーからも「こいつはお手上げだ,こいつのカウンセリングだけは御免だ」と匙を投げられてしまう。ランボーは最後の頼みの綱として,かつての大学の同級生で精神分析医のショーンにカウンセリングを依頼する。
しかしウィルは,ショーンにも心を開こうとはせず,かたくなに彼を拒否しようとする。そこでショーンはカウンセリングの枠を超えて,ウィルの心の闇に迫っていく。そしてショーンは,自分と妻の出会いから一緒に過ごした日々,彼女が死んだことを包み隠さずにウィルに話す。やがてウィルとショーンの間に会話が生まれる。
そしてウィルは,一人の女子学生を好きになる。彼女はハーバードの学生で,将来,医学部進学を目指している。最初は軽い気持ちでナンパしたつもりだったが,ウィルはどんどん彼女の魅力に惹かれていく。
しかし,ウィルは彼女に「あなたの家族や友達に紹介して」と言われ,動揺する。彼女によく思われようとして何気なく言った両親や兄弟についての嘘が,彼を追いつめていく。彼女は彼を「なぜ両親に会わせないの」と詰問するが,彼には紹介する親はいない。かと言っていまさら,スラム育ちの孤児だとは彼女に告白できない。真相を知られたら彼女に嫌われると思いこんでいるのだ。
ウィルは数学の天才だが,本気の恋では童貞君である。だから,どう振る舞っていいか判らない。天才とて恋の素人であり,恋い焦がれた相手の前では無様に右往左往するしかないのである。しかし,そんな彼の態度を彼女は不審に思い,やがて彼の元から去ってしまう。だが,彼はどうしていいかわからない。
まず,中年精神分析医ショーン役のロビン・ウィリアムズが素晴らしい。かたくななウィルに過去を語らせることはせず,自分の人生と人を愛するということはどう言うことかを,ゆっくりと時間をかけて語っていく。その彼の言葉に,閉じ込められていたウィルの感情が,ついに一気に爆発する。このシーンには誰しも涙するはずだ。
ウィルの遊び仲間もいい奴だ。特に仲間の一人,チャッキーとの会話がいい。チャッキーはウィルに「お前は本当は何をしたいんだ?」と尋ねる。ウィルは「ずっと今の仕事(ビルの解体みたいなバイト)をしていいぜ」と答える。それを聞いたチャッキーは怒り出す。「もしも20年たっても,お前が同じ仕事をしていたらお前を殴ってやる! お前は,生まれながらにして宝くじの当たりを持っているんだ。俺たちはその当たりくじが欲しくてずっとあがいている。だから,それを持っている奴が生かしもしないで捨てるのは我慢がならないんだ。お前は俺たちとは違うんだ」,と。
こんな事を面と向かっていってくれる奴を,本当の親友と言うんだろうな。そして遊び仲間たちは,仕事に就いたウィルに一台のボロボロの車をプレゼントする。廃車の部品を集めて作りチューニングした車だ。「こんなボロな車を見たのは初めてだぜ」というウィルの笑顔がいい。
そして何より,ウィル役のマット・デイモンが素晴らしい。「俺に知らないことはないんだ」という傲慢な表情が,次第に柔らかなものになり,そして最後の必死に恋人の元に行こうとボロ車を走らせる姿がいい。
確か,まだ鳴かず飛ばずという状態だったマット・デイモンが,いつかこういう映画を演じてみたいと思いのたけをこめて一篇の脚本を書き,それがこの映画の元になったそうだ。
(2006/12/19)