《力道山》 (2005年,韓国/日本)


 第二次大戦での悲惨な敗戦後,日本はアメリカ軍による占領下にあった。「鬼畜米英」が一転して「強くて優しいマッカーサー」になった時代である。価値観が逆転し,正邪が反転した時代だった。占領軍のアメリカ兵を見ると,どいつもこいつも背が高くて恰幅がいい。こんな奴らに勝てるわけがない,こんな連中と争うなんて所詮無謀だったんだ,と日本人が最も打ちひしがれていた時代だったと思う。

 そしてそれから日本は占領が解かれ,高度成長の時代に向かうが,その大きな原動力の一つは紛れもなく力道山だった。176センチの体(当時の公称は180センチだった),つまりアメリカ人レスラーより頭一つ小さな体で,汚い反則をしてくる外人レスラーに正義の空手チョップを浴びせ,ばったばったとなぎ倒すのである。これで熱狂しない日本人はいない。自分たちだってやればできるのだ,何も恐れることはない,胸を張って堂々と立ち向かえばいいのだ,と力道山の姿は示している。

 そして,時代も彼を後押しする。彼がプロレスに転向してからわずか2年後,プロレスのテレビ中継が始まったのだ。街頭に置かれたテレビに人が群がり,力道山のファイトに熱狂する。そして彼は日本全体のヒーローとなった。


 だがプロレスラー・力道山が最後まで隠し通したことがあった。彼は日本人ではなかったのだ。彼は相撲力士を目指して10代で朝鮮半島を後にし(ちなみに彼は1924年生まれである),相撲部屋に入門している。だが,彼が入門した時代はまさに日本が戦争に突入した時代であり,朝鮮半島を占領していた時代である。日本人全体が彼らを蔑視していた時代である。

 当然,相撲部屋では連日,兄弟子達の凄惨なしごきを受けることになる。朝鮮人だからという理由でいじめ抜かれる。しかし,彼はそれに歯を食いしばって耐える。横綱になる夢があったからだ。彼は1946年に入幕し,49年には関脇に昇進する。そしてその後も好成績を収め,当然,大関に昇進するものと思われていた。しかし,彼の大関昇進は見送られた。当然,力道山には納得がいかない。自分が朝鮮人だから差別されたと考え(当然である。ちなみに,昇進できなかった理由は現在でも明らかにされていないらしい),彼は「相撲に捧げたこの10年は無駄だった」と嘆き,憤り,自ら髷を切り,失意の日を送る。

 そんなとき彼は日系二世のレスラーに出会い,世界を相手にするプロレスの世界で生きていくことを決め,アメリカに旅立ち,プロレスの修行をする。

 1年後,日本に凱旋帰国した力道山は柔道出身の木村(映画では井村となっていた)とタッグを組んで,アメリカの巨漢,シャープ兄弟との試合に向かう。シャープ兄弟は執拗に井村を攻める。汚い反則もする。もう駄目かと思ったとき,力道山はリングに躍り上がる。彼は巨漢達に空手チョップを浴びせ続け,高く抱え上げてはマットに叩きつける。この日,日本の戦後の歴史は変わる。その後,1963年に腹を刺されて死ぬまで,彼は日本マット界に君臨し続けることになる。


 力道山を演じるのは韓国の俳優,ソル・ギョング。彼はこの役のために,どれほど体を鍛え,トレーニングを積んだのだろうか。実際に彼はこの映画のために20キロ体重を増やし,激しい鍛錬を積んだそうだ。その結果,彼はまさにプロレスラー顔負けの体躯を獲得し,この映画の試合のシーンは彼が実際に出演しているのである。その動きは見事であり,試合シーンは凄まじい迫力だ。アッパレな役者魂だと思う。彼が試合で流血し,痛めつけられるシーンでは,本当に見ている方に痛みが伝わってくる。そして,空手チョップが炸裂するシーンは胸が熱くなり,思わず声援を送ってしまう。格闘シーンに嘘がないからだ。

 もちろん,彼の日本語は万全ではない。濁音の発音もイントネーションも違和感がある。本当の力道山がこんな発音で話していたら,朝鮮半島出身者だということはバレバレじゃないか,と心配になるくらいだ。だが逆に,そのぎこちない日本語がかつて力道山が置かれた境遇や悔しさを自然に描き出すことになる。


 実際の力道山は粗暴な性格で,ちょっとしたことで感情を爆発させる気むずかしい人物だったらしい。バーやキャバレーでの暴力沙汰は日常茶飯事で,その都度,金で事件をもみ消していたらしい。特に後年になるに従い(といっても30代後半だが),猜疑心にさいなまれ,誰も信じることができず,薬に溺れるようになる様子は映画の中でも描かれている(一説ではこの薬は興奮剤だったといわれている)

 彼は日本のプロレスをゼロから立ち上げ,大衆スポーツの花形にした立役者だ。だから彼にとっては「プロレスの力道山」ではなく「力道山のプロレスだ」という強烈な自負があった。彼は自分以外のレスラーがトップに立つことを許さず,そのために興業主とトラブルになる。肉体の強靱さと体力に絶対の自負があり強烈な自信があったため,逆にそれが精神を追いつめることになっていく。

 ちなみに彼は赤坂のキャバレーで暴力団員に腹を刺され,その傷が元で1週間後に亡くなった,とされてきたが,実は傷は大したことはなく,再手術の際に外科医が挿管に失敗し,呼吸停止したことが死因であると,担当医が後に告白しているそうである(Wikipedia 力道山)。


 まさに力道山は,時代が彼を必要とした時に颯爽と登場し,駆け上るように一気に頂点に到達し,そして忽然と姿を消したのだった。

(2006/12/01)

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