《博士の愛した数式》 (2005年,日本)


 eiπ+1=0 この数式がこの映画の主人公である。数学好きなら,映画の画面にこの数式が出た時点で,感動に胸が震えるはずだ。

 これは以前にも紹介した数式だが,自然対数の底 e と円周率のπという最も基本的な二つの無理数,そして虚数単位の i ,さらに数字の根元である1と0が,この美しい数式で一つに重なる。これを奇跡といわずして何を奇跡というのだろうか。これを美と言わずに何が美だろうか。究極にして至高とは,この数式のためにある言葉だ。


 この数式の発見者はオイラーである。言うまでもなく,19世紀最大の数学者にして解析学の大家であり,史上もっとも多くの数学論文を量産した人物だったと思う。何しろ,夕食の用意ができるのを待つ間に数学の新しい法則を発見し,手紙を書くより容易に論文を書いたというのだから,論文一つでっち上げるのに四苦八苦している身からすると,もう超人としか表現する言葉がない。

 単なる数学マニアの私にも,彼が発見した無限級数の美しさは判る。その美しさは,バッハやモーツァルトの音楽,ラファエロやミケランジェロの絵画の美に通じている。彼の無限級数はモーツァルトの音階のように単純であり,数学好きの中学生なら理解できるはずだ。しかし,その数式を自分で解こうとすると深遠な迷宮が待ちかまえている。バッハの『フーガの技法』の未完の無限フーガを思わせる知と美の迷宮である。人間の抽象化能力が最大に発揮された時にのみ垣間見ることができる美だ。

 数学の巨人,オイラーが発見した至高の美,それがeiπ+1=0である。この数式の証明を説明した文庫本があるので,興味を持った高校生や大学生は是非読んで解法に挑戦して欲しい(『オイラーの贈物 人類の至宝 eiπ = -1 を学ぶ』,吉田武,ちくま学芸文庫)。


 以前,数学者を主人公にした《ビューティフル・マインド》という映画を紹介した。いい映画だったと思う。しかし,この《博士の愛した数式》とは比べ物にならない。まさに雲泥の差である。その違いは,数学そのものへの愛が描かれているかどうかだ。

 《マインド》において数学は映画の単なる小道具の一つに過ぎないが,《博士の》では数字と数式が主人公なのである。《マインド》では主人公が数学者である必然性はなく,他の職業人でもよかったんじゃない,という気がするが,《博士の》は主人公が数学者でなくては成立しないのである。この違いは大きい。


 交通事故で脳に障害を受け,80分しか記憶を保持できない数学者が主人公だ。その事故以前のことは記憶しているが,それ以降のことは80分しか覚えていられない。そこに,シングルマザーの家政婦が派遣される。博士は彼女にまず最初に「君の靴のサイズは幾つかね?」と尋ねる。24センチだと言うと,「それはいい数字だ,4の階乗(4!)だから」と答える。それ以後,彼女に会うたびに博士は靴のサイズを尋ね,そこから,友愛数,完全数などの整数の不思議な世界を彼女に説明し,見る者を数学の世界に誘って(いざなって)いく。

 友愛数はピタゴラスがもっとも愛した数字だった。約数を足すとある数字になり,その数字の約数を足すともとの数字になる。220と284が友愛数であることはピタゴラスの時代に知られていたが,このような数字の組は滅多に見つからず,その次の友愛数が発見されるまでに膨大な時間が必要だった。

 そして完全数。1を含めた約数を足すと,その数になるという数字だ。6 (=1+2+3) や28 (=1+2+4+7+14) が有名だが,その次がなかなか見つからない。スーパーコンピュータを駆使してもまだ30個ほどしか見つかっていないのである。おまけにこの完全数は,必ず連続する自然数の和になるのである(例:6=1+2+3, 28=1+2+3+4+5+6)。ところが,このような完全数が無限にあるか,なぜ連続する自然数の輪になるのかは,まだ証明されていなかったと思う。


 というわけで,この映画のあらすじも紹介しなければ,見所についても書きません。とにかく,この映画を見て数の魅力に浸って下さい。数の世界の面白さを味わって下さい。それだけでもこの映画を見る価値があります。
 数学的な説明に一部間違いはありますが,それは些細な問題ですし,目くじらたてて指摘することはしません。

 数学の場面だけ見ても感動作,数学の場面を除いても感動作,そういう映画です。

(2006/11/15)

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