なんていい映画なんだろう。なんて素晴らしい映画なんだろう。派手な仕掛けもなければ,大がかりなシーンもない。しかし,深い会話と押さえた演技が心にしみ入る感動を呼び起こす。見終わった後,一つ一つのシーンや会話を何度も呼び覚まし,そのたびに感動に包まれる。これはそういう作品である。
冒頭,主人公(クオイル)が父親に海に投げ込まれるシーンで始まる。水を怖がる子供に泳ぎを教えるための,ちょっと乱暴な教え方だ。しかし,子供はあがくばかりで浮かび上がれない。そこで父親は「お前は泳ぎも満足にできないのか」と諦める。こうして彼は,父親に駄目な奴というレッテルを貼られ,育てられる。
やがて彼は成長するが自分に自信が持てない人間になってしまう。自分は誰からも関心を持ってもらえない役立たずだと思っている。新聞社のインク係りという仕事はしているが,要するにどうだっていい仕事だ。
そんな時,彼はある女に出会い勢いに任せて結婚する。しかしこいつはトンデモナイあばずれ女だった。子供ができて生まれた途端に男遊び再発し,滅多に家に帰ってこない。クオイルは乳飲み子を抱えておろおろするばかり。子供をなんとか育てるが,たまに家に帰ってきた妻を見ては「家に戻って欲しい」ということもできない。こんな女に対してもクオイルは愛情を持っていて,彼女が外に出るのは自分が駄目なためだと自らを責めることしかできない。
そんなある日,妻は男の車に娘(バニー)を乗せて連れ出す。児童売買だったか,幼児ポルノの売人に自分の娘を売ったのだった。まさにクズ人間の見本である。しかし,車は交通事故で海に突っ込み,娘だけが助け出される。彼は娘を抱いて,呆然とするばかりだった。
そこに,ただ一人の身内,それまで疎遠だった叔母が登場する。そして,クオイル一族がかつて住んでいた故郷に戻り,そこで娘を育てようと提案する。彼女はそこで暮らしていたのだ。クオイルは叔母の言葉に従って見たこともない故郷,ニューファンドランド島に移住し,叔母がかつて育った家の扉を開く。家は多少は傷んでいたが,長年の風雪に耐えたその家は頑丈で,修理すれば暮らせそうだった。ここでクオイルとバニーは新しい生活を始める。
ここで叔母が斡旋してくれた仕事は,地元の小さな新聞社の記者だった。そして,船の入港・出港情報(シッピングニュース)を担当することになる。それまで記事なんて書いたことがないクオイルだが,先輩記者に見出しの付け方や記事の書き方を学びながら,少しずつ記事を書くようになり,ついに彼の記事が新聞に掲載されるようになる。事件そのものより,背景にある人間に焦点を当てた彼の記事は新聞社主幹の目に留まり,週1回,署名入りのコラムを書くようになる。最初,おどおどしていた彼の表情に,少しずつ,少しずつ,自分に対する自信が芽生えてくる。そしてついに,先輩記者の反対を押し切って,自分の考えを貫いた記事を書き,それが掲載される。村人の彼を見る目も少しずつ変化していく。
そこで彼は,娘と同じくらいの男の子(出産時の事故で軽い障害がある,と説明されている)を連れた一人の女性に出会う。4年前に夫を船の事故で亡くしたという。彼女と次第に親しくなるが,どうしても自分の思いを告げられないし,彼女もある範囲を超えて自分の生活に入り込むことを許さない。
次第に村人たちとの生活に溶け込むうちに,クオイルはやがてクオイル一族のおぞましい過去を知る。クオイル一族は村を追放され,村を離れた岬の突端に暮らしていたのだ。そして,叔母の衝撃の過去,親しくなった女性の過去の出来事が次第に明らかになる。皆,それぞれの過去を引きずって生きている。そして彼は悟る。過去は消すことができない。しかし,未来は過去の中にはない。未来は未来だ。彼は岬の家を出て,村で暮らすことを決意する。
そして彼は溺れる悪夢から開放され,村を嵐が襲い,あの過去にがんじがらめに縛られた家が暴風の中で悲鳴を上げながら吹き飛ばされる。嵐の翌朝,岬は本来の美しい姿を見せる。
恐らく,映画のストーリーはこんなものだろうと思う。ストーリーをあらかじめ知った人が見ても,あの感動は変わらないと思う。それほど,地に足が着いている作品だ。
もう一つ言及しなければいけないものは,ニューファンドランドの厳しくも美しい風景だ。ここは,人間が恒常的に生活ができるもっとも北の地域の一つであり,過酷で苛烈な土地だ。この容赦ない荒れ地にあっては人間は豆粒みたいだし,漁師たちの乗る船は木の葉のようだ。だからこそ漁師たちは,仲間が難破したと聞けば助けようと海に乗り出すし,困っている村人を見ると放ってはおけない。無骨で素っ気ない村人たちだが,熱い血が流れている。過酷だからこそ一人では生きていけないのだ。
この映画はさまざまな見方ができると思う。そして,それぞれの視点から見るとまた新たな面が見えてくるはずだ。
時間を置いてまたもう一度見てみたい映画が,また一つ増えた。
(2006/09/13)