《プレッジ》 (2001年,アメリカ)


 演技派俳優として数々の映画に出演している名優ショーン・ペンが監督・製作した映画である。同時に,主演のジャック・ニコルソンを始めとして,豪華名優たち(ミッキー・ロークとかサム・シェパードとか)が一堂に会したことでも話題を呼んだ映画らしい。

 非常に丁寧に真面目に作られた映画であり,押さえ気味の演出で静かな感動を呼ぶ,という路線を狙ったものだろうと思われるし,その目線で見ると感動的映画の部類に入れていいと思う。

 だが,普通の映画ファンからするとこの映画ってどうなのだろうか。満足して見終える人よりは,何となく不満,何となく判らない映画じゃないだろうか。多分,「結局,あの結末は何を表していたの? 犯人は一体誰だったの? というか,この映画ってどういうジャンルの映画だったの?」という反応が素直だろうと思う。老刑事(元刑事)が真犯人を執念で追いつめていくという映画かと思ってみていると,最後の最後で肩すかしを喰わされる映画である。見終わった後の余韻は深いが,この映画を見始めた時点での予想は完全に裏切られるので,そのあたりを許容するかどうかで,評価は完全に別れると思う。

 私としては正直言うと,肩すかしという感じが強く,素直に楽しめなかったです。


 主人公のジェリーは老刑事で定年間際である。そして,あと6時間で定年と言うところで殺人事件の連絡が入る。少女の惨殺死体が見つかったのだ。捜査に加わったジェリーは,少女の両親に事件を知らせる係になる。ジェリーは両親に「真犯人を捕まえる努力をする」と言うが,母親は「その言葉を魂にかけて誓えますか? 十字架の前で真犯人を捕まえると誓って下さい」と言われ,それを約束(プレッジ,pledge)する。

 しかし,ほどなく精神発育遅滞のインディアンの青年が容疑者として捕らえられる。レイプや強盗の前科があったために彼は最初から犯人扱いされ,強引な取り調べの中で彼は自白する。しかし,その取り調べの様子を見ているジェリーには,そのインディアンの青年が真犯人だとは思えない。彼は取調官の言う「私が少女を殺しました」という言葉を意味も分からずオウム返しに言っているだけに見えたからだ。

 ところが,取調室から連れ出されたところでこの青年はパニックを起こし,警官から銃を奪って自分の頭を吹き飛ばして自殺する。事件はこれで解決したかに思えたが,ジェリーには納得がいかない。

 定年を迎えた彼はかつての同僚に,近隣地域を含め,同様の少女惨殺事件,行方不明事件が起きていないかを過去を遡って調べてくれと依頼する。そこで彼は,8年前と3年前に同様の事件が起きていることを知る。いずれも年齢は8歳,髪の毛はブロンドで,赤いワンピースを着ていた。これは今回の事件の犠牲者にも共通していた。そして,今回の犠牲者の家族や学校の友達を訪ね,「黒いワゴン車に乗った背の高い男」で「ヤマアラシのアクセサリ(お菓子だったかな?)」を持った男が真犯人であると確信する。


 と,ここまでのあらすじを読んで,この後どのように展開すると思うだろうか。普通なら,「ジェリーが昔の同僚の協力を得て真犯人を追いつめる」か,「彼が刑事としての経験と勘を駆使し執念で真犯人を追いつめる」か,いずれかの方向に物語は進むはずである。いずれにしても,犠牲者の家族との「プレッジ」を果たしたことになるし,結果がどうであれ,見終わった時はカタルシスが得られるはずだ。

 ところがこの映画は,そのどちらでもないのである。このあと,「ジェリーが真犯人を追いつめる捜査劇」とも,「真犯人を探そうとするジェリーの心理劇・精神ドラマ」ともどちらにも取れるというか,どっちつかずというか,それは見た人が適当に判断してね,という映画になってしまうからである。


 となると,退職後のジェリーがドライブイン(?)を購入した理由も趣味の魚釣りのためなのか,あるいは,犯人捜査も考慮してのものなのかが判らないし,退職後のジェリーの日常生活を描く部分がダレてかったるく感じられるのも,実は彼の精神状態の微妙な変化の描写だったのかなぁ,という気になってくるが,そうなってくると,街に住む少女と彼女の母親(シングルマザー)と親しくなって買い物に行き,母親が少女に赤いワンピースを買ってやるシーンだって,ジェリーがこの時も犯人逮捕を考えてわざと赤い服を買わせたとすると,ジェリーはこの娘を餌にしたことになり,善悪の判断もつかなくなっていることになる。

 このジェリーの行動の意味は,「事件の真相,真犯人の正体」が判れば明らかになるはずなのに,そこのところを暗示するだけで映画が終わってしまうため,ずっと謎のまま,消化不良状態におかれてしまう。これが見ている方としては非常に困るのだ。「見ている人が自由に感じて欲しい,観客が好きに解釈して欲しい」と言われても,事件の核心部分が謎のままなので,正解のない問題を宿題に出されている気分になってしまうのだ。


 それと,ここまでジェリーがこの事件に入れ込む理由がよくわからなくなる。確かに,犠牲者の母親に「魂に誓って真犯人を探してくれますか?」と詰め寄られて「誓います」と言っちゃうわけだが,この母親との交流はこのシーンだけであとはない。とすれば,あの一言がこの映画の方向性というか,設定全てを支えていることになるはずだ。

 もちろん,犠牲者の母親だったからそこまで詰め寄るのはありとしても,常識的に考えたらこの刑事さんとは初対面なんだし,しかも彼は単に仕事できているわけで,そういう彼に「魂に誓って真犯人を捜してくれるの?」と十字架を持ち出して誓わせるのは,設定として無理があり過ぎじゃないだろうか。こういう事件が起きるたびに,たまたま被害者の家族への連絡役となった警官が,「魂に誓っても犯人を捜して!」と誓わされるのはたまったものじゃないし,そういう被害者家族との約束を一々気にしていたら,仕事にならないよ,というのが正直なところじゃないだろうか。


 このあたりは,この映画の存在価値にかかわる問題なのだから,十分に説明すべきだと思う。だから,映画最後のジェリーの姿を見ていると,「あそこであの母親が十字架を持ち出して無理難題を突き付けなければ,ジェリーはここまで追い込まれなかったんじゃないだろうか」と思ってしまうのだ。

(2006/08/28)

 

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