《真夜中のピアニスト》 (2005年,フランス)


 万人にお勧めできる映画かどうかはわからないが,少なくとも私にとっては最高の作品の一つだ。なぜかというと,ここではピアノへの愛(この愛は音楽への愛と言うよりピアノそのものへの愛だ)が熱く描かれ,同時に,ピアノを演奏するという行為自体の持つ愉悦が画面全体から伝わってくるからだ。

 最初は弾けなかった曲が次第に弾けるようになり,複雑な動きがいつの間にか指になじんできてテンポを上げられるようになり,フレージングや音色,ペダリングに注意を払えるようになり,やがて音楽全体が見渡せるようになる。それがピアノを練習するということであり,ピアノがうまくなるというのはそういうことだ。そういう過程が見事に描かれているのだ。これはピアノを練習したことがある人にはわかると思う。


 主人公は28歳の男性,トム。彼は不動産のブローカーをしているが,アパートの住人を追い出すためにかなり荒っぽい仕事をするし,暴力沙汰になることも日常茶飯事だ。要するに悪辣なとんでもない奴である。そして彼の父親も同じような仕事をしている。そしてトムはそんなすさんだ日常に苛立っている。

 彼の母親はピアニストで,彼が18歳の時に死んでいる。そのため,トム自身も18歳までピアノを習っていたし,かなりの腕前だったようだ。

 暴力と欲に染まった生活の中で,ある日彼は亡き母のかつてのマネージャーに偶然に出会う。マネージャーは彼との再開を喜び,まだピアノを弾いているのか,と尋ねる。思わず彼は「時々は弾いている」と答えてしまう。かつてのトムの腕前を知っていたマネージャーはオーディションを開くことを知らせる。そして彼は忘れかけていたピアニストへの夢を思い出す。


 とは言っても10年のブランクがある。オーディションまでの日数もそれほどない。そこでトムはピアノのレッスンを引き受けてくれる人を捜し,ある人が中国からの留学生(女性)を紹介してくれる。自身もピアニストでプロのピアニストに教えたこともあるという。

 しかし彼女には問題があった。フランス語が全く話せないのだ。英語もわずかに話せる程度だ。だが,別の先生を捜す余裕はない。二人はレッスンのたびにフランス語と中国語で怒鳴り合うが,音楽という共通言語で次第に意志が通じ合っていく。

 亡き母への思慕,忘れていたピアノへの狂おしいばかりの愛,反発を感じつつも放っておけない父,日常への不満と焦燥感,それらがないまぜになってピアノへの情熱として昇華していく。

 その彼がオーディション曲として選んだのが,バッハの『トッカータ ホ短調 BWV 914』だ。まだ20代の若きバッハが激情を叩きつけた作品集『7つのトッカータ』の一曲であり,『トッカータ ホ短調』の最後の部分は5ページに及ぶフーガで,休むことのないエネルギーと熱と力に満ち溢れている。20代のバッハとトムの情熱がぶつかり合う。10年のブランクのトムの指が,バッハ若書きの無窮動フーガに立ち向かう。


 だが彼には,不動産ブローカーとしての仕事がある。荒っぽい取り立てもしなければいけないし,同僚のしょうもない女たらしともつき合わなければいけない。時間がいくらあっても足りない。だから,仕事をしている最中も酒を飲んでいる時も,彼の指は片時も動きを止めない。酒場のテーブルの上でも,彼の指はバッハのパッセージを奏でている。このシーン,ピアノ弾きなら誰でも共感するはずだ。

 そしてオーディションの当日,仕事でろくに眠れず,最悪の状態で彼はオーディションの場に向かう。そして彼の順番が来る。


 主人公を演じているのは,フランスの人気俳優ロマン・デュリスだが,彼はピアノが全く弾けず,楽譜すら読めなかったそうだ。それで音楽の猛特訓を受け,上記の「トッカータ」の簡単な部分なら弾けるまでになったという。途中で,中国人の先生に腕の柔らかな動きを教えられる場面があるが,それ以降の彼の右腕の動きは優雅で美しい。まさにピアニストの腕の動きになっている。そしてその変化が音の変化に反映されている。このあたりのディテールがしっかり作られているから,全体が生きてくる。
 ちなみにトムが使っていた楽譜はヘンレ版だった。こういうディテールも嬉しい。


 それにしても,途中で映し出されるスローモーションのホロヴィッツの指の動きの優美さは,ため息が出るほど美しい。まさにピアノの化身にして神,それがホロヴィッツだったことを再認識した。このシーン,ストーリーとは無関係だが,繰り返して何度も見てしまった。それほど美しい指の動きである。

(2006/06/00)

 

映画一覧へ

読書一覧へ

Top Page