《リプリー》 (1999年,アメリカ)


 1960年代のフランス映画でもっとも有名な作品の一つといえば《太陽がいっぱい》でしょう。いうまでもなくアラン・ドロンの出世作。この《リプリー》はそのリメイク版にあたるそうです。とはいっても,《太陽がいっぱい》を見たのは大昔に一度テレビ放映の時だけなんで,両者がどう違っているかはよくわかりません。


 で,どういう映画かというと,上流階級が集うパーティのピアノ伴奏役としてたまたまピンチヒッターとして雇われたリプリー(もちろん貧乏人ですね)が,大富豪に「息子と同じ大学出身だ」と勘違いされ,そうだと嘘を言っちゃう場面から始まります。見栄っ張りなリプリー君,よせばいいのに「ええ,同級生です」とか調子よく答えちゃう。そしてこの大富豪夫妻に合わせて会話しているうちに,すっかりこの夫婦に好かれちゃう。それが彼のの特技なんですね。

 この富豪には息子がいるんだけど,そいつがとんでもない放蕩息子で,イタリアで遊び呆けていて帰ってきません。息子に帰って欲しい大富豪夫妻は,息子の同級生のリプリーに「イタリアに行って連れ帰って欲しい」と頼むわけ。ま,このあたりの展開はいいでしょう。

 それで,イタリアに行って放蕩息子のディッキーに遭うんだけど,ディッキー君は最高に格好いいイケメンで,いい女と一緒に暮らしているし,お洒落だし,スポーツマンだしと,「人生勝ち組」を一身で具現したかのようなやつなんですよ。そこは,誰にでも取り入ることが唯一の特技のリプリー君だから,大学時代の同級生だと思わせて(何しろディッキーは大学なんて禄に行っていないから同級生なんて覚えていない),仲良しになっちゃう。


 で,このあたりから映画の画面からはホモセクシャルの雰囲気が濃厚かつ怪しく漂ってきます。リプリー役のマット・デイモンがディッキー役のジュード・ロウを見る目は,最初は大金持ち生活に対する憧れなんだけど,途中からは明らかに恋する目に変わっちゃいます。マット・デイモンの演技,うますぎ! 気持ち悪いけど・・・。

 そして結局は,リプリーがディッキーを殺しちゃいます。殺人動機は多分「痴情のもつれ」ってやつだな。確か,《太陽がいっぱい》はこの殺人シーンがクライマックスで,それが露見するところで終わっていたと思うけど(・・・違っていたかな?),この《リプリー》ではここまでが半分で,さらに続きます。

 アメリカからイタリアへの最初の渡航の時に出会った女性に「僕はディッキー。父親はちょっと有名だけど」みたいに名乗っちゃうんだけど,彼女が後半,絡んでくるんできます。つまり,彼女は彼をディッキーだと思っているけど,それ以外の登場人物たちにとっては彼はリプリー,という状況になっちゃう。だから,相手ごとに「今は僕はリプリー」,「おっと,こいつの前ではディッキーだな」と使い分けなければいけない羽目になってしまいます。

 おまけに,ディッキーは行方不明なわけで捜査の手も近づいてきます。ディッキーとリプリーはいつも一緒でしたから,まず一番最初に疑われますが,ここでも持ち前の「口先三寸」を駆使して,何とか言い逃れます。ところがついに,リプリーだと思っている男(彼を見るリプリーの目もホモセクシャルっぽいです)と,ディッキーだと信じている女性が同じ船に乗り合わせ,しかも二人が知り合いだったのです。さぁ,リプリー君の口先三寸人生,風前の灯! 絶体絶命! そこでリプリーのとった行動は・・・,というところで映画は終わります。


 まずこの映画のいいところをあげましょう。ディッキー役のジュード・ロウがすごく魅力的です。男っぽくて,野性的で,退廃的で,しかも輝くような美貌と鍛え抜かれた肉体! 男が見ても惚れ惚れします。こういう男がいたら,とりあえず「降参ポーズ」をするしかありません。勝ち目がありません。

 そして,そのロウに負けず劣らず美しいイタリアの風景。金をかけてますね。いつも「低予算映画」しか見ていない目玉には,この美しさは圧倒的です。

 リプリー役のデイモンもうまいです。最初の頃は子犬のようにおどおどした眼でディッキーを見上げるだけで精一杯だったのに,彼を殺してからはなんだか堂々として,しかも服のセンスまで良くなります。あのホモっぽいまなざしも妖しくていいです(とは言っても,自分のまわりにこんな奴がいたら嫌だけど)。そうそう,女優さんたちも綺麗どこを集めていますね。演技もうまいし,それだけで元を取った感じになります。


 で,駄目なところ。まず,リプリーの行動の行き当たりばったりぶりがあまりにひどいです。計画性のかけらもありません。いつも出たとこ勝負です。ところが,それがうまくいっちゃうのですが,それが不自然すぎます。「島耕作シリーズ」じゃないんだから,と言いたくなります。

 そういえば,最後の方でディッキーを愛していた女性がリプリーに「あんたが彼を殺したのね」と詰め寄る場面があるんだけど,その場に同席している大富豪(ディッキーの両親)は「いや,そんなことはない」と押さえます。あまつさえ,息子に行くはずだった財産をリプリーに譲ろうとまで言い出します。あの程度のリプリーの嘘が見抜けないで,よくもまぁ,大富豪になれたものです。騙されやすくて悪賢くない大金持ちって,少なくとも映画の世界ではそんなにいないと思うぞ。

 それと,イタリア警察の無能ぶりには笑っちゃいますね。大富豪が捜査を依頼したアメリカの私立探偵が「イタリアじゃどうかしらないけど,僕たちは一つ一つ証拠を確かめながら捜査するんだ」って説明するんだけど,個人の私立探偵より捜査能力のない警察って・・・!


 映画としては悪くないし画像も綺麗だし役者もみんな上手いし見終わった後の余韻も心地良いんだけど,あの程度のリプリーの出たとこ勝負の嘘が見破られずに積み重ねられるのは,やはりちょっと無理が・・・。

(2006/03/23)

 

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