これは文句なしに素晴らしい科学書である。私が考える素晴らしい科学書とは,正しいことが書いてある本でもなければ,わかりやすい解説をしている本でもない。誰も考えもしなかったことを,誰も考えつかなかった観点から説明し,しかもそれを支える論理の展開が緻密で,読者を新しい知の地平にいざなう本のことである。本書はそのすべてを満たしている。だから私はこの本を大推薦する。
この本に書いてある説明が正しいかどうかは現時点では判らないし,その理論が将来ひっくり返されるかもしれない。しかしそんなこととはどうだっていい。よい科学書とは新しい考え方を提示するものだからだ。正しいかどうかより,どのように思考したか,どのように論理を組み立てているかの方がはるかに大事である。最後のページを読み終えた時,複雑で巨大なジグソーパズルの最後の一片がきちんと納まるような爽快感とともに,圧倒的な読書体験を与えてくれることだけは約束しよう。
ダーウィンが進化論の理論を組み立てる際,最後まで悩んでいたのが眼の存在である。彼は名著『種の起源』のなかで次のように正直に悩みを述べている。
「比類のない仕組みをあれほどたくさん備えている眼が,自然淘汰によって形成されたと考えるのは,正直,あまりに無理があるように思われる」
眼の構造と機能は恐ろしく精妙である。原始的な生物は眼を持っていないから,進化の過程のどこかで眼が生まれたことになるが,これほど複雑なシステムが突然変異の蓄積で生まれるとするのはかなり難しい。ダーウィンが悩んだのも当然である。眼は見えるから眼であり,「眼ではないが将来眼になる器官」を備えた生物がいたとしても,それが淘汰により選択される必然性がないからだ。中途半端な機能しかない眼を備える暇な生物はいないのである。
その難問に本書は明確な回答を示すのである。そして同時に,バージェス化石で有名な「カンブリア紀の怪物(『ワンダフル・ライフ』スティーヴン・ジェイ・グールド)」の爆発的大進化の謎まで解いてしまうのだ。なんと,眼の存在こそがあの大進化の推進力だったというのである。
地球上の全動物(植物,菌以外の生物)は38の動物門に分類されている。私たち哺乳類が含まれるのは「脊索動物門」で,その他には節足動物門,軟体動物門,棘皮動物門などがある。驚くべきは,先カンブリア紀(5億4300万年前よりも古い時代で,エディアカラ化石が有名)にはたった3つの動物門しかなかったのに,カンブリア紀(5億4300万年〜4億9000万年前)に入るやいなや,38のすべての動物門がいきなり出揃った点にある。動物門とは生物の体の基本的な構造の分類である。つまり,これまでの地球の歴史で生まれた動物の体制は38種類のみで,それがわずか100万年の間に発生し,それ以後は生まれていないのである。それが,カンブリア紀の大進化だ。
その大進化の原動力が「光」だった,と著者は看破する。例えば人間の感覚には触覚,嗅覚,聴覚,視覚などがあるが,その中で最も強烈な刺激にして大量の情報を伝えるのが視覚である(人間が外界から受ける全情報の8割が視覚によるものでしたっけ?)。そして,視覚とは光を伝達媒体として伝えられる知覚である。
実際,光は生物進化を加速させる。それは,深海と浅海の生物種差に示されている。深海の生物は大型化する傾向がある一方,生物種の数は少なく,同時に一種あたりの個体数は驚くほど多いらしい。つまり,深海には多数の生物は生きているものの,その種類は極めて乏しいのである(深海の生物は巨大化するものが多く,栄養が不足しているわけではない)。これは,届く光が少ないため,進化を進める淘汰圧が低いためではないかと,というのが著者の見解だ。同様の現象は洞窟の生物にも見られ,光が届かない洞窟には古い形質を維持している生物が多いという。
なぜ,光が強力な淘汰圧となるのか。それは光は最も大量の情報を伝えると同時に,どんな生物も光から逃れられないからだ。暗闇と思われる深海にも光はちゃんと届いているのである(深海の生物は巨大な眼を持つものが多いのがその証拠だ)。
例えば,眼がなく嗅覚のみで獲物を探す捕食動物と,眼で獲物を探す捕食動物ではどちらが有利だろうか。匂い物質は空気中を拡散するため嗅覚では相手との距離や方向は大雑把にしか判らないのに対し,眼で相手を認知した場合には距離や方向は極めて正確に掴むことができる。つまり,視覚は他の感覚に比べ,飛びぬけて精度が高く,しかもその情報は瞬時のうちにリアルタイムに得られる点が異なっている。つまり,眼がある捕食動物と眼のない捕食動物では,まるで競争にならないのである。
眼のない生物ばかりの世界に眼を持つ生物が発生した時,その生物は飛びぬけた能力を持つ恐るべき捕食者となった。眼を持つ生物が発生した時,光のない(光が意味を持たない)世界は一挙に,光に満ち溢れた世界へと変貌したのだ。要するに,眼を持つ生物が誕生したとき,光は単なる電磁波から,情報を得る強力な武器となったのだ。
眼を持つ捕食者から逃れるためには,捕食される側も眼を備え,捕食者が近寄る姿をいち早く見つけなければ喰われてしまう。悠長に嗅覚や温度覚を働かせている暇はない。一旦そういう世界になってしまうと,光から逃れる手段はないわけだから,軍備拡張競争と同じで,眼の性能を上げ,運動能を向上させ,防御系を強固にし,より高度な神経系を持つしかなくなり,捕食者と被捕食者の競争は激化する。20世紀後半の冷戦時代の核配備競争みたいなものだ。これが光による淘汰圧である。この競争に乗り遅れたら絶滅するしかないし,競争がいやなら深海か洞窟に逃げるしかない。
そして,眼を最初に備えた生物こそが,カンブリア紀最初期の三葉虫だったのである。この三葉虫が眼を持ってしまったために,同時期のありとあらゆる生物が一挙に進化戦争に巻き込まれてしまったのだ。それが「カンブリア紀大進化」なのだ,というのが著者の考えだ。
そして彼は,眼の発生メカニズムも明確に説明する。光感受性のある皮膚の斑点が次第に陥入し,光の方向性に対する感受性を増し,やがて眼の原器になる過程を明らかにし,その進化の連鎖を構成する中間段階の眼原器が,さまざまな原生生物に実際に存在しているからである。そしてさらに他の研究者の,「光感受性の皮膚の斑点から魚類の眼になるまで,たかだか40万世代あれば十分」との計算を元に,カンブリア紀の最初の100万年であらゆる節足動物が眼を持つのに十分な長さであり,頭を悩ますほどの大問題ではないと結論付けている。
そればかりではない。本書の著者は,カンブリア紀の生物の色の再現にも成功するのだ。その色とはなんと,現在のコンパクトディスク(CD)の虹色の輝きと同じなのである。CDは色素を含まない円盤なのに,光を当てると虹色に輝く。これは回折格子の原理である。つまり,光の波長程度と同サイズの規則正しい反復構造(溝)があれば,反射波同士の位相が一致し,それが強い反射光となって,溝(回折格子)のサイズに応じて色を生み出すらしい。
著者はバージェス化石中の多毛類の表面に微細な回折格子の痕跡を発見し,その表面形状を再現し,海に沈めたところ鮮やかな虹色の輝きを見せたのである。そして同様の回折格子は他の節足動物にも認められ,やはり同様の華麗な反射光を放っていた。本文中の口絵に描かれているカンブリア紀の生物の鮮やかな輝きは感動的である。
ではなぜ,「眼による光の発見」がカンブリア紀初期でなければいけなかったのか,なぜこの時期に眼が発達したのかについても,本書で言及している。それは地球進化の過程で起こったある事件に絡んでいるのである。
本書はこのほかにも,さまざまな驚きと感動に満ちている。そして,このような「大風呂敷的仮説」を提案するために,地道に化石データを研究し,眼についてのさまざまな知識を吸収し(本書の昆虫の複眼の構造のところだけでも十分に勉強になった),膨大な事実とデータを積み重ね,その上で満を持して大胆な推論を提案するという著者の姿勢には,同じ科学の分野で仕事をするものの端くれとして,喝を入れられる思いである。
(2006/03/15)