歴史認識,という言葉があるが,これはそれほど易しいものではないようだ。
例えば,「江戸時代は士農工商という身分でガチガチに固まっていた封建社会であり,農民は武士に虐げられて,搾取されるばかりの惨めな存在だった」というのは,ほとんど定説となっていると思うが,実はこれは正しくないという見方があるらしい。
「士農工商」という言葉は江戸時代にはなく,明治時代になってから登場した言葉である。作ったのは明治政府である。また,江戸時代の身分は固定的なものではなくて,結構流動的であって,決して士農工商で固まっていたものでもないし,農民はいつも虐げられていたわけでもないらしい。
ではなぜ,「士農工商という固定した身分制度で百姓は苦しめられ」という定説が生まれたのだろうか。明治維新はいわば流血革命である。だから,勝者となった方に革命を始めるのに十分な大義名分が必要だ。それが「士農工商」なのである。「俺たちはこういう理由でこの戦争を始めたんだ」という言い訳が必要である。
要するに,どっかの大国の大統領が「あの国は大量破壊兵器を持っているテロリストの温床だ。だから戦争してぶっ潰してしまおうぜ」と理由をつけて,一方的に戦争を仕掛け,戦争が終わって大量破壊兵器がないことがわかったら,まったく別の「あの国の民衆に民主化をもたらすための戦争だった」というのを理由にして,戦争開始を正当化したのに似ている(・・・ような気がする)。
だから,明治政府は「江戸時代は身分制度で固められ,一般民衆は搾取されて虐げられ,武士ばかりが威張っていた理不尽な社会だった。そういう虐げられた一般民衆を救うために,我らは立ちあがったのだ。そして明治維新の結果として,民衆は開放されたのだ」という大義名分を作り出した。それが事実であろうとなかろうとどうでもいい。嘘も繰り返し言えば事実と思われてくる。そのためには歴史教科書にそのように書いてしまえばいい。毎日繰り返し宣伝して,民衆が「そういえばそうだったような気がするよな」と思ってくれればこちらのもんだ。
このような「過去の歴史の捏造」して,「旧体制をクソ味噌にけなす」のは,何も明治政府に限ったことではない。
例えば,徳川家康は「信長神話」と「秀吉神話」を捏造した,という見方もある。たとえば,信長の長篠の闘いの「鉄砲三段撃ち」はありえなかったし,秀吉の「墨俣一夜城」も嘘である。いずれも,地形的にありえないことは物理的に簡単に証明できる。これらは「信長,秀吉という天才たちが世を平定し,それを江戸幕府が引き継いだ」とすることで,自らの正当性を示そうとしたためだろうか。
ちなみに信長や秀吉については「信長公記」と「信長記」の2つの文献があるが,前者の方が資料的価値が高いとされているが,後者はかなり胡散くさいといわれている。「信長記」にしか記載されていない事件や出来事(つまり,他の文献には登場しない出来事である)が多いからだ。墨俣一夜城なんてのはその典型らしい。
同様に,鎌倉幕府は「平安貴族達は華美な生活に溺れ,贅沢三昧に明け暮れたため次第に人心が離れ,やがて荒々しい東国武士達が反乱を起こし,その結果として武家政権である鎌倉幕府が誕生した」という話を作り上げ,それが歴史の定説になっているのはご承知の通り。しかし当時の記録を見ると,平家側は決して惰弱でもなければ蹴鞠にうつつを抜かしていたわけでもない。兵士の鍛錬度ではむしろ平家の方が勝っていて,特に弓矢の技術,馬を扱う技術については東国武士より平家の方が数段優れていたらしい。平家が源氏に滅ぼされたのは,他の要因なのである。
また,あの英雄,西郷隆盛にしても主君の薩摩藩主,島津斉彬がことあるごとに「我が藩には西郷という実に素晴らしい豪傑がいて,そ皆が慕っておる」と方々で吹聴していたので有名になっただけ,という説もあるし,幕末の英雄,坂本龍馬にしても,武器商人にいいように操られただけの単なる乱暴者(愚連隊),とする考えもある。
要するに,歴史の見方は一つではないし,唯一の歴史的真実というのはないのかもしれないよ,ということである。歴史は為政者に都合よく歪められているのかもしれないよ,ということである。歴史については,そういう柔軟な見方が必要なんだろうと思う。
たとえば最近(2005年4月),中国各地で反日暴動が起きている。韓国でも反日の気運が高まっている。これにはもちろん中国や韓国の国内事情といった背景があるだろうし,反日になればなるほど利益を得る連中が裏で操っているのは確かだろう。だが,それだけでは暴動にはならないはずだ。
多分この背景には「歴史の真実はただ一つだけ」という歴史観が両国にあり,そういう歴史教育を受けているためじゃないだろうか。事実,中国でも韓国でも,歴史教科書は1種類だけだと聞いている。これでは柔軟な歴史観は生まれなにくいし,もしかしたらお上が歴史を歪めて教えているのかも,という発想も生まれない。
また,実際にそういう事件があったのか,犠牲者は本当は何人だったのか,という過去の検証もないがしろにされがちだ。日本軍が100万人を殺した,なんて言う荒唐無稽の数字が一人歩きしてしまう。「日本軍は残虐非道だった」ということを前提にしてしまうから,日本軍による犠牲者はどんどん増えたことにしないと不都合が生じてしまい,数字が加速度的に水ぶくれしてしまうらしい。
「歴史上の事実」は多分あるかもしれないが(・・・場合によったら,それを確かめることすら難しいかも),「唯一正しい歴史認識」というのは幻想である。
(2005/04/18)