名文家・東海林さだお
 味や香りを文章で表現するのは難しい。大概は「○○のような味」とか「△△のような舌触り」なんていう,解ったようなわかんないような表現に逃げる事が多い。漫画『美味しんぼ』は「まったり」という表現で一世を風靡したが,その後は自己模倣を始め,何かと言うと「まったり」を連発。まあこの漫画の場合,鮮烈,清冽,豊穣,そして,まったり以外の表現は見当たらない,という意見もある訳ですが (悠然,雄渾,幽玄,精緻・・・を組み合われば『レコード芸術』の評論文,一丁出来上がり・・・ってか)。 ま,どこかのホームページの文章も,似たようなもんだけどね・・・。

 そんな中で,漫画家・東海林さだおは味を文章で表現する名人である。そう,彼は実に見事な,彼にしか書けない文章を産み出せる漫画家なのだ。失礼を承知で言えば,彼の漫画よりはるかに面白い。

 例えば,「豚肉生姜焼き定食」の魅力を語る時,彼はまず,味付けされた脂身の多いお肉が,焼かれてあちこちを捩じらせている様子に着目する。まさに私たちが,「豚肉生姜焼き定食」を「豚肉生姜焼き定食」として認識するのは,紛れもなくこの「身を捩らせたお肉」であったのだ。何と言う新鮮な視点。何と言う独自の切り口!
 そして,それを噛み切ったときの歯ごたえ,にじみ出る脂混じりの肉汁,直接腹の底にドシンと来るような匂いの描写が続き,それにご飯を食べるところで頂点に達する。彼はここで,豚生姜焼き定食の魅力が,脂まみれのご飯をワシワシ食べるところにある事を看破する。まさに,ご飯を食べる至福のひととき!
 ここまで読んでしまうと,口中,唾だらけ。時あたかも午前11時45分。もう豚肉生姜焼き定食を食べる事しか,頭には浮かばない。そんな力を持っている。

 あるいは,ビールの魅力を描き尽くした「ビール,苦いかしょっぱいか」。これは,彼の初期のエッセー集,『ショージ君のほっと一息』に収録されている。彼はまず,人間が口にする食べ物,飲み物,すべての中で,ビールがもっともうまい,と断言する。
 もちろんここで,松坂牛のステーキがうまい,フォアグラがうまい,銀座の○○寿司は最高だぞ,という反論が来るのは覚悟の上。
 しかし,どんな高級な食べ物でも,口の右側で噛んでいる時は,左側はほうっておかれる。まして,口蓋とかのどちんことかは,味わう事すらできない。同じ口の中なのに,右尊重・左無視,これはあまりじゃないか,というのである。
 それに対し,ビールは違う。右も左もない,口蓋も舌の裏側もない,歯茎でものどちんこでも同時に味わえる。そして,喉を通り,胃の腑に落ちるまで,あらゆる器官を楽しませてくれる。ここに至り彼は決然と書く。ビールの精神は「自由・平等・博愛」なのだ,と。

 あるいはカツカレーの話。ちょうどイラクがクウェートを併合しようとした時期に書かれた物だ。
 彼はまず,カツカレーの中のカレーとカツの間に漂う緊張関係を発見する。カツとカレーの併合は,どうも両者とも幸せそうに見えないのだ・・・と。トンカツがもともと領土拡大を狙っていたらしい,カツ丼はその最初の一歩だった。カレーもトンカツに併合され,次はスパゲティが危ない。これはどうも,豚肉原理主義による物だ・・・と続く。
 そこで彼は,巨大なトンカツに覆われてしまったカレーの中のお肉の心情を慮る。それまでカレーは独立国家であり,お肉は小なりと言えども王族として尊敬され,尊重されてきた。しかし,巨大なカツが覆い被さっては,お肉の立場はどうなる・・・。

 どうです,見事な物でしょう。徹底して自分の感覚に基づき,自分の五感をフルに働かせて,その料理を描写しています。決して,「鮮烈な香り」とか「絶妙の歯ざわり」なんて表現には逃げません。ある時は雅文調になり,ある時は漢文調,駄洒落を幾つも重ねたかと思うと,一転して見事な頭韻を踏む・・・まさしく,変幻自在な文章であり,圧倒的な筆力です。
 彼はそうやって安々と,カレーパン,チャーハン,カツ丼,立ち食い蕎麦,たいやきの魅力を完璧に表現していきます。

 興味をお持ちの方は,とりあえず,上記の「ビール」をお読み下さい。立ち読みで結構です。しかし,2ページ目あたりから,ビール表面に層を成すきめこまかな泡,ジョッキの内壁を昇る無数の小さな気泡,冷えたジョッキとその表面を滴り落ちる水滴,ジョッキのずっしりした重量感,乾ききった口中に注ぎ込んだ時の炭酸の刺激,じんわり冷えて行く口蓋,息もつかせず飲み干した時の爽快感・・・・もう,頭の中はそれしかないはずです。もうそうなったら,とりあえずレジに持っていってお金を払い,本を小脇に抱え,ビアホールを目指すしかありません。

 使用上の注意はただ一つ。仕事が残っている時に,この本を手にしない事です。

(1999/01/11)

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