- 監督(海老沢泰久,新潮文庫)
- 私の知る限り,もっとも感動的で胸を熱くさせる国産小説,それが,『監督』(海老沢泰久,新潮文庫)である。感動の深さと,読後感の爽快さは先ごろ紹介した『遥かなるセントラルパーク』と双璧である。
この小説は,広岡達郎を主人公にしている。彼はヤクルト・スワローズの監督に就任するや,万年最下位に安住していた負け犬集団を,戦う意志と力を持つチームへと変貌させ,わずか一年で優勝に導いた。まさに奇跡の一年であった。その奇跡の演出者,広岡を主人公とした小説である。
そしてこれは,今では中堅作家として安定した力を持つ海老沢泰久の,事実上のデビュー作でもある。私は初版本を持っているが,奥付けを見ると1979年3月初版となっている。もう20年前! しかし,今読み返しても全く新鮮であり,実在の人物を主人公にした小説が持つ「臭み」がない。どの一節をとっても鮮烈であり,熱い血が流れている。
万年最下位と言うのは,選手にとっては居心地いい環境である。チームの経営者は初めからチームの成績を諦めているし,選手達はシーズンの後半に頑張って,個人成績の帳尻を合わせておけば,年俸が下がる心配はない。シーズンが終わればゴルフに集中できるし,まさにぬるま湯に首までつかっている状態だろう。
広岡が監督に就任した当時のエンゼルスは,まさに,そうであった。選手達にとって,ペナントで優勝,なんて言葉は,火星人が存在するのと同じくらい現実味のない物であった。広岡はまず,このぬるま湯体質の一掃から取り掛かる。
当然,選手達からもコーチ達からも猛反発。家族的な愛に包まれた素晴らしきエンゼルス・・・がチームカラーであると信じていたからだ。
しかし広岡は選手達に,野球をする事が仕事でなく,勝つ事が仕事である事を繰り返し説き,勝つためにどういう事が必要か,野球とはどういうゲームなのか,説明して行く。彼は選手達を叱責し,罵倒し,発憤させ,気概を持たせ,勝つ事の素晴らしさを教えて行く。そして次第に,その考えに賛同する選手・コーチが現れれてくる。
選手達は勝つ事によって,自分達の持つ能力に目覚めて行く。勝つ事が自信を生み,監督への信頼感を生み,やがて一人一人が勝つためには何をすべきかを考え,プレーをするようになる。そう,勝つ事により,チームは成長し,変貌を遂げる。チームリーダーが初めて,個人成績を追求する事と,チームの優勝を目指す事が両立できる事を知る場面は,まさに感動的である。
海老沢泰久の文章は,あたかも翻訳ハードボイルド小説であるかのように,淡々と事実を積み重ね,余計な飾り立ても思い入れも意識的に避けている。文体に抑制が効いている。そのため逆に,感動が深くなっている。
「広岡には言葉が出なかった。喉の奥の方でつまってしまった。そのかわりになにか面倒くさい感情が胸にこみあげてきた。それは四十五歳の男にはちょっと照れくさい物だった。」
「打たれた音を聞いただけでヘミングウェイには分かった。音にはヒットの音とホームランの音があるのだ。そしてこれは明らかにホームランの音だった。」
「こうしていま首位争いをしていられるのはきみの力が大きい。今まで大事な試合をきみに何度もまかせて,それにきみが勝ってきたからだ。きょうの試合はもっとも大事な試合だ。それをきみにまかせるのは当然だろう。」
ちょっとページをめくっただけで,すぐにこれくらい見つかる。いずれも簡潔で,飾り気がなく,文にリズムがある。余計な思い入れを排している分,感動は鮮烈だ。
ペナントレースの終盤,エンゼルスは渾身の力を込めて戦い,9連勝する。残りゲーム数は2ゲーム。しかも,首位ジャイアンツが1.5ゲーム差で1ゲームを残して首位をひた走っている。エンゼル達は,緊張と疲労の極限に達している。たとえ残り2試合を連勝しても,ジャイアンツが勝ってしまえば,すべての努力は灰燼に帰す。疲れきった選手を集め,広岡は言う。
「最後までベストを尽くそう。もしそれで駄目だったとしても,われわれはそのなかできっと何かをつかむはずだ。私はその何かをきみたちひとりひとりにつかんでもらいたい。そして,最後は顔をまっすぐあげて,誇りを持って球場を出て行こうじゃないか。」
こう言われて,発憤しない人間はいない。自分を最高に評価してくれる人間を裏切る訳にはいかない。信頼してくれている人を裏切る訳にはいかない。監督は自分達を信頼し,自分達の力で戦え,と言っている。ここで力を振り絞らなければ,男じゃない!・・・そして彼らは,なけなしの力を振り絞り,残り2試合に挑む。自分を信じてくれ,全てを任せてくれた人に応えるために。
(1999/01/02)
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