83歳男。
 2013年11月21日,自宅でコンロをひっくり返して衣服に引火した。家族が誰もいなかったため,自力で消火。家族は直ぐに病院に行くように言ったが,「病院に行っても同じだから」と拒否し,妻に湿布薬(冷湿布)を貼るように命じ,病院は受診しなかった。発熱などの症状はなく,普通に近所を歩きまわり,毎日大好きなお酒を飲み,食事をしていたとのことである。
 12月3日,食欲低下などがあり,高血圧の薬もなくなったため,当院内科を受診(診察室には助けなしに独歩で入室)。「何かお変わりありませんか」という医師の質問に,「なんともない」と回答したが,同行した家族が「10日ほど前にお腹にひどいヤケドをしました」と説明したことからヤケドが発見され,創部を見て仰天した内科医が当科に連絡し,緊急入院となった。ちなみに,あとで聞いたところでは,本人はそのまま歩いて帰宅するつもりだったそうだ。入院後も,「入院するとお酒が飲めないのが困る」と家族にこぼしていたらしい。

 創部に冷湿布が固く固着していたため(冷湿布は11月21日から張りっぱなしだった),キシロカインゼリーを塗りながら2日かけてゆっくりと除去した。
 入院時,静脈確保して補液と抗生剤点滴を行ったが,経口摂取が十分に取れて発熱もなかったため,数日でどちらも中止した。
 ドレッシングは,以前報告した「78歳:広範3度熱傷」のじいちゃんと同じ「短冊カットゴミ袋+吸収シート」で行い,安静にしないでどんどん体を動かすように家族に説明し,じいちゃんには「歩いて帰れれば,家で酒が飲めるよ」とけしかけた。

 家族に処置方法と治療材料の作り方を説明し,本人の「正月は自宅で過ごし(て酒が飲み)たい」という希望もあり,2013年12月29日に退院となった。2014年1月4日,お酒の買い置きがなくなったため,一人で近所の酒屋に買い物に出かけた。2月15日に「東京大豪雪」があったが,16日にはお酒を買いに酒屋まで歩いて行った(お酒があると飲んでしまうため,家族はなるべくお酒を買わないようにしていたため)

 2014年8月には高度の腹部瘢痕拘縮を伴って上皮化したが,家族は「じいちゃん,テレビ見ながら背中を丸めてお酒飲んでいるからだよ」と意にも介さず,本人も「背中が丸くなると爺さん臭くて嫌だ」とこぼしながらも,可能な限り背筋を伸ばして凛として歩いている。
 2014年9月16日に通院終了とした。背筋を伸ばして歩くじいちゃんは最高に格好良かった。


【胸腹部】

2013年12月3日 出血しないように湿布を除去 重症感のない笑顔

12月4日 12月6日 12月11日 ベッドに寝ているのは嫌い

12月16日 12月19日 12月25日
4日後に独歩で退院

2014年1月7日 酒を買いに行くかな 1月21日

2月18日(77日後) 3月18日 4月15日(133日後)

5月20日 6月17日 7月15日(224日)

8月12日 9月16日(287日) 9月16日
後ろ姿が格好いいぜ

2015年6月3日(547日) 普通に歩いています 2016年1月7日:765日後


【右大腿】

2013年12月3日 12月11日 12月25日 2014年1月14日
2月18日 4月15日


【左大腿】

2013年12月3日 12月11日 12月25日 2014年1月14日
2月18日 4月15日


 もしもこの患者さんが受傷直後から大学病院に救急搬送されていたらどうなっていただろうか。熱傷面積は20%くらいで,全て3度熱傷だからBurn Indexは 20,Baxterの公式通りに補液するだろうから「50 (kg) ×20 (%) ×4 (ml) = 4000ml/day」の補液量が必要と計算され,最初の8時間で半分の2000mlが末梢から入れられたはずだ。
 その結果,どうなるかというと,もちろん,輸液過剰による肺水腫が起こり心不全となる。その治療のために利尿剤が投与され,その結果として低ナトリウム血症となり,それを補正するために高張輸液となり,それを入れるために中心静脈カテーテルが入り,絶対安静のためにベッドに縛り付ける必要が生じる。患者さんは昼夜逆転し夜間不穏になり,訳のわからないことを口走るようになって精神科の医師が呼ばれ・・・というお決まりコースとなる。運良く助かったとしても寝たきり状態だ。

 そう考えると,「とりあえず病院に行かない」というじいちゃんの選択は,初期治療としては間違っていないことになる。

【アドレス:http://www.wound-treatment.jp/next/case/hikari/case/891/index.htm】

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