78歳,広範3度熱傷の治療経過と治療法(部位別治療経過はこちら)

−安全な「熱傷の湿潤治療」のノウハウ−


 この程度の熱傷なんて大したことはない,この程度を「広範」と言うのは笑止千万,もっとひどい症例を見せてもらわないと「熱傷の湿潤治療」を評価できない,という声が全国各地の大学病院・熱傷センターの「海原雄山先生」方面から聞こえてきますが,100床程度の地方病院で形成外科の医者が一人しかいないところでは,このくらいの熱傷が限界です。それに何より,このくらいの熱傷だと私のところでなく大学病院に直接運ばれちゃいますしね。
 というわけで,とりあえず海原雄山先生をほっといて話を進めます。


 症例は78歳男性。本人が詳しいことを言わないためよくわからない点もあるが,ゴミ焼きをしていてそれが衣服に引火し(?),熱傷を受傷したらしい。その日の午後,家族がやけどしていることに気がついて近医を受診。翌日,当科を受診した。直ちに整形外科入院となり(形成外科はベッドを持っていないため),卒後5年目の医師(それまで主に内科系を中心に研修。熱傷治療の経験なし)と私が中心となって治療を進めた。

 8月14日,初診時の状態。前腕,下腿はほとんど全周性。初診時の1度熱傷の範囲は不明だが,30%弱といったところだろうか。上肢,下肢の創面は羊皮紙様に硬化していた。

 なお,このサイトの症例写真では必ず背景に青か緑の背景にして撮影し,撮影アングルが常に一定になるように注意しているが,この症例では背景を入れて撮影する余裕がなく,余計なものが写りまくっているが,見なかったことにして欲しい。

8月14日。前腕背側 肩〜上腕 左側胸部 手背

手掌 大腿〜膝 下腿 足背


 初日はプラスモイストで被覆したが,あまりにも面積が広すぎるため,翌々日からは「穴あきポリエチレンゴミ袋」を開いたもので覆い,これを1週間くらい続けたが,ドレナージが十分に得られないため,

などの方法をやってみたがが,手間がかかったり面倒だったりと実用的ではなかった。
 そこで,折り畳んだポリエチレンゴミ袋にハサミで短冊状に切れ目を入れる方法を思いついた。ポリ袋は両端を切り開いたものをロール状につなぎ合わせ,巻物のようにした。なお,折り畳んだポリ袋に切れ目を入れるのにキッチンバサミが一番使いやすかった。

折り畳んで切れ目を入れる こんな具合 広げると3〜5センチの切れ目が短冊状に

図にするとこんな感じ。これをつないでロール状にする。

 これで創面全体を覆い,その上から紙おむつで覆うことにした。ちなみに,この方法にしてから処置が非常に楽になり,「前日のドレッシングを除去⇒ベッドサイドで適当に洗浄⇒短冊ポリ袋貼付⇒紙おむつ被覆」が10分程度で終わるようになった。
 ちなみに,左手指は全て3度熱傷であるが,一まとめに「ドラえもんの手」状に包み,指を1本ずつドレッシングすることはしなかった。後述するように,この程度の熱傷では「指を分けてドレッシング」する必要は全くない。

 なお,創洗浄はボトルに入れた温めた水道水で「ちょっと汚れを落とす程度」にした。要するに,水をちょっとかける程度であり,1回の処置でせいぜい500mlくらいしか必要としなかった。


 入院当日は「教科書よりかなり少なめ」に点滴を入れたが,レントゲンで肺野が白っぽくなり,経口摂取も十分に取れたため,点滴はすぐに減らした。以後は経口摂取(途中で経鼻栄養としたが,すぐに邪魔にして抜いてしまった)を中心とし,心拍が頻脈となったとき(=脱水)のみ,補液で補助することとした(500ml/day程度)
 3日目に39度近い発熱があり,セファメジン点滴で速やかに解熱した。以後は発熱があるたびに抗生剤を投与することとしたが,体温が上がっても微熱程度のため,その後,抗生剤投与はせずにすんだ。

 なお,処置の際は「痛い! 触るな!」と大騒ぎしているが,処置が終わるとけろりとしていて,普通に手足を動かしている。鎮痛剤は最初期の数日のみ使用したが,それ以後は全く不要だった。


 8月18日までには創面のほとんどが白色全層壊死となった。このため四肢に対し,メスと眼科用クーパーで,全層壊死部分に縦軸方向に数条の切開を入れた。切開は柔らかな組織が出るまで行ったが,深さは1〜2ミリ程度で十分であり,出血は全くさせない・・・というか,出血させてはいけない。全層壊死の表面しか切開しないため痛みはなく,局所麻酔は不要である。
 一般的に行われている「3度熱傷のデブリードマン」に比べたらデブリをしていないも同然で,「うぬ,これはデブリと呼べぬわ! 店主を呼べ!」と海原雄山先生に叱られそうだが,実はこれで必要十分である。
 要するに,「麻酔をして積極的デブリードマン」はそもそも不要な行為だったようだが,こんなことを書くと,雄山先生にまたもや叱られそうである。

8月18日。上腕〜肘 手背 側胸部

大腿 下腿


 8月21日。上腕,前腕の一部の壊死組織が融解して自然に取れてきた。この頃から「自然に取れるものは無理して取らない。明日取れそうなものは今日は取らない」が合言葉となり,切開を追加することもしなくなった。どうせ自然に取れることがわかったからだ。

8月21日。前腕近位
かなり溶けている
上腕近位も
ズルズルしてきた
大腿と 下腿はまだ溶けてこない


 8月24日。上肢の壊死組織はかなり取れたが,下肢の壊死組織融解は遅れている。壊死組織だらけでいかにも感染しそうだが,発熱はなく,局所の疼痛も全くない。つまり,感染していない。
 人間と同じで,熱傷も見た目で判断してはいけない,というのが「今日の教訓」である。

8月24日。肩〜上腕 肘〜手関節 手背 大腿〜下腿 足背


 8月28日の状態。

肩〜上腕 肘〜前腕 手背:
手関節部にちょっと皮膚が残っている

側胸部 大腿:
結構溶けてきた
膝〜下腿:
ここはまだだな

オムツはこれほど汚れているのに創面は汚れていない。
十分なドレナージ効果が得られていることがわかる。


 9月3日の状態。相変わらず,全身状態は極めて良好。そろそろ立たせてみようか,なんて話が出るようになる。

肩〜肘 肘〜手関節 大腿 膝〜下腿

膝窩部はこうなっていた


 9月9日の状態。

肩〜肘 肘〜手背 上腕内側〜肘窩

手背 手掌:
これは2度熱傷? 3度熱傷?

大腿〜膝 膝〜下腿 側胸部

 手背の写真で判るとおり,示指中指間の指間の皮膚はしっかりと残っている。熱傷受傷の瞬間,手を握り締めるためだろう。このため,指掌側+指背側の3度熱傷でも「野口英世の手」になることはない。
 従来,この程度の熱傷でも「野口英世の手」になっていたのは,
ゲーベンクリームとかアクトシン軟膏のような強烈な組織破壊性を持つ「治療薬」を使っていたためだろう。要するに,「医原性@野口英世」である。


 9月11日の状態。

手掌:
母指球の近部部が上皮化してきた


 9月14日の状態。依然として元気で,よく食べ,経腸栄養の流動食を飲んでいる。

肩〜上腕:
肘部の上皮化が進行
肘〜前腕屈側:
上皮化が急速に進行
手掌 大腿:
壊死組織がかなり溶けてきた


 9月18日の状態。

肘窩〜前腕屈側 前腕屈側〜掌側 手背:
指間の皮膚も伸びてきた
大腿

 ちなみに,このような熱傷創面の写真を見ると,全国各大学形成外科・熱傷センターの「海原雄山先生」は,すぐに植皮だ,さっさと植皮しろ,植皮なしに熱傷が治るわけがない,とお怒りのことと思うが,何しろ78歳である。分層植皮なんてしたら採皮部位が治らなくなって難治性潰瘍になるし,全層で採皮して覆うには面積が広い。
 多分,海原雄山先生なら躊躇することなく培養皮膚移植するんだろうな・・・78歳でも88歳でも・・・いくら金がかかろうと・・・。

 ちなみにこの頃から立位訓練を開始している(28日の時点では短時間なら自力で立てるようになった)
 補液に関しては,尿量が900ml/dayを切るか心拍数が100を越すと脱水のサインとわかったため,こういう時だけ500ml弱を輸液するのみである(それ以上入れるとすぐに肺水腫を起こしてしまう)

 ちなみに,一緒に治療をしている研修医はこの症例しか熱傷治療の経験がないため,自分がどれほどすごいことをしているか全く気がついていない。「大学病院や熱傷センターにこのくらいの熱傷面積の78歳の患者が入院すると,すぐに全身麻酔でデブリードマンをし,半端でなく出血して術後に状態が悪化し,ゲーベンクリームガーゼで治療するためにさらに状態が悪化し,結局,人工呼吸器から離脱できないままに死亡しちゃう患者が多いんだよ」と教えても,本気にしてくれないのだ。「こんなに元気な人が死ぬわけないでしょう? 先生が嘘ついているの,私だってわかりますよ」だってさ。


 9月24日の状態。

肩〜上腕 肘〜手関節伸側 肘〜手関節屈側

手関節背側〜手背 手関節掌側〜手掌 大腿〜膝: 膝〜下腿

 さて,9月24日の大腿部の創の肉芽の真ん中に「皮膚の島」が出現していることにお気付きだろうか(矢印の部分)。9月18日の同じ部位の写真を見て,この壊死組織の下に皮膚が再生していると考える人はいるだろうか。恐らく,一人もいないはずだ。実はこの数日後,さらに数箇所,「皮膚の島」が増えることになる。

 「熱傷の海原雄山先生」は「3度熱傷は早期にデブリードマンに決まっておる。全層壊死とわかってデブリをしないのは常識を知らない愚かな馬鹿者だ!」とお怒りだろうが,9月18日と24日の写真を見ると,なぜ早期にデブリしてはいけないのかがよくわかる。早期にデブリをすると,この「生き残っている皮膚」も一緒にデブリされてなくなってしまうからだ。
 しかも,「こういう壊死組織の下には皮膚が生き残っている,こういう場合には生き残っていない」という判断はできないのだ。だから,早期にデブリはしていけない,という結論になる。

 そしてこの症例の経過を見て気がついたのだが,これこそが「3度熱傷の自然経過」なのではないだろうか。広範な3度熱傷であっても,乾燥を防いでおけば壊死組織は勝手に融解してなくなり,残っている皮膚がどんどん広がって傷が治っていき,脱水を防ぐ程度の補液でも全身状態は良好・・・というのが,本来の3度熱傷の姿なのではないだろうか。
 逆に言えば,従来の熱傷治療のガイドラインは,誤った「3度熱傷の自然経過」を元に組み立てられたものだ,ということになる。どうりで,従来の熱傷治療の教科書を鵜呑みにして治療すると,どんどん患者の状態が悪くなっていったわけだ。


 9月25日の側胸部。

 右側の写真の矢印部分に皮膚がしっかりとできていることがわかる。しつこいようだが,初診時の状態,8月28日の状態を見て,この壊死組織の下で生き残っている皮膚があると予測できた人はいないと思う。つまり,「これは3度熱傷(全層壊死)だ」と診断できるのは受傷後1ヶ月以降名のである。逆に言えば,受傷1〜2週間くらいでの医者の「これは3度熱傷だから植皮しないと治らない」という説明は極めて疑わしいのだ。


 9月28日の状態。

 手関節背側にわずかに残っていた皮膚(8月28日の写真参照)が拡大し,手指背側も遠位から近位方向に上皮化が進んでいることがよくわかる。

肩〜肘 手掌〜前腕屈側 手関節背側 手背

側胸部 大腿〜膝 膝外側

 側胸部の創がいつの間にかかなり小さくなっていることがわかる。
 9月3日の写真と比べると,膝蓋部外側にわずかに残っていた皮膚が拡大し,膝窩部の皮膚と癒合し始めているのがわかる。さらにその頭側(写真では上側)に2つの「皮膚の島」と思われる白い部分が出現している。

 このような経過を見ていると,現在の熱傷治療の現場では「3度熱傷と診断した創面は本当に3度熱傷だったのか」という検証が一切されてこなかったことに気がつくはずだ。これまでは,3度熱傷と診断したとたん,それ以降の創面の観察は行われていないし,速やかにデブリードマン⇒皮膚移植が行われていたからだ。
 ということは要するに,見た目で「これは3度熱傷だろう」という判断のみで手術が行われ,それ以上の検索・研究が行われていなかったことになるし,そこには科学的根拠は全くないことになる。もしそうだとしたら,とんでもないことである。

 もしも私が熱傷学会に「大学病院形成外科熱傷センターなどで3度熱傷と診断された症例のその後」という演題を提出したら,「熱傷界の海原雄山」先生はどうするんだろうか,なんて考えてしまった。


 ここで,従来の熱傷治療(消毒と軟膏ガーゼ,早期デブリードマンと早期植皮)と,湿潤療法による熱傷治療の経過の違いをまとめてみると次のようになる。

 まず,従来法の経過。
 最初の熱源(熱湯,熱した個体など)による組織損傷に加え,治療(消毒薬とゲーベンなどの軟膏)による組織損傷が加わり,創はどんどん深くなる。
 肉芽形成は起こるが「治療による創面の乾燥と破壊」のために硬い瘢痕組織に置換される。従来はこれを「瘢痕治癒」と呼んで「治った状態」と考えていたわけだ。また,皮膚移植が行われても移植皮膚は必ず収縮してくるため,移植皮膚縁などに瘢痕拘縮が生じてくる。また,植皮のためのデブリードマンで,残っていた毛根・汗管も根こそぎ切除され,毛根・汗管からの皮膚再生は起こらない。

 次は湿潤療法による熱傷治療の経過。
 組織損傷は最初の熱源による損傷のみである。
 早期から壊死組織の下の創面で肉芽形成が起こりこれは柔らかで柔軟な肉芽組織である。そのあと,壊死組織の融解が始まるとともに周辺の皮膚からの上皮化も始まる。やや遅れて毛孔,汗管からの上皮化が始まるが,この時点ではまだ壊死組織の融解は進行中であり,壊死組織は創面を覆っている。要するに,壊死組織の下で既に治癒が始まり,進行しているわけである。

 というわけで,9月29日の状態。

肩〜肘 前腕屈側〜手掌 手関節橈側

側胸部 大腿〜膝


 10月1日の状態。

肩〜肘 指背 手掌〜前腕 手関節橈側 手関節尺側

側胸部


大腿〜膝 大腿のアップ 膝関節外側 膝〜下腿


 10月2日の状態。

肩〜肘 前腕伸側〜手背 手関節頭側 指背

側胸部 大腿〜膝 膝〜下腿

 某総合病院形成外科の先生から「この症例の手指の動きはどうなのでしょうか。屈曲,伸展位での写真も載せてください」というメールをいただきましたが,次のように回答しました。


 10月5日の状態。

肩〜肘 手関節屈側 手関節伸側 手関節橈側


大腿〜膝 膝関節外側 膝〜下腿


 10月8日の状態。

肩〜肘 手掌〜前腕屈側 手関節橈側 側胸部:
新たに皮膚が出現

大腿〜膝 膝蓋部外側:
ここにも皮膚が!
下腿

受傷後53日目なのに,毛根から皮膚が再生してくることがわかる。つまり,「これは3度熱傷だ(から植皮が必要だ)」と診断できるのは受傷後2ヶ月後であり,それ以前の診断はインチキだ,ということになる。


 さて,この熱傷患者さん,一日の処置にどのくらい金がかかっているか計算してみた。一日の処置で使用する物品は次の通りである。

 というわけで,合計138〜199円/day。1ヶ月合計でも4,140〜5,970円です。薬剤も何も使っていないので,かなり安上がりになっています。

 というわけで,10月13日の状態。ちなみに現在は,45リットルポリ袋を開いて短冊状に切れ目を入れたもので下肢全体を,20リットルポリ袋で上肢全体を覆うようにしています。これなら1枚で覆えます。

肩〜肘 肘〜手背 手関節橈側:
かなり皮膚が広がってきた
指背

側胸部:
皮膚の島らしきものが数個出現
膝関節外側〜下腿外側 下腿前外側


 10月14日の状態。ちなみに,創面からの24時間の総浸出液を測定してみると740gでした。思ったほど出ていないようです。

肩〜肘 手関節背側 手関節屈側

側胸部:
傷全体が小さくなっている
大腿〜膝 膝部外側

 この症例については,1週間遅れの「ほぼライブ更新」をしているが,これはかなり怖い試みである。途中で何かトラブルが起きたり,症状が悪化したりしてもそれを隠すことは不可能だからだ。途中で更新を止めたら「何かまずいことが起きたんじゃないか? 何か隠しているはずだ」とばれてしまうのだ。そして何より,この症例の最終ゴールが私にもわかっていないのである。

 そういうリスクを冒してまでこの症例の経過を「ほぼライブ更新」しているかといえば,これこそが世界初めて明らかにされた「3度熱傷と思われた創面の自然経過」であり,貴重なデータの宝庫となるだろうと考えているからだ。3度熱傷の創面に対し,植皮もせず,薬剤も使わず,ただただ乾燥を防いでいるだけというシンプルな治療(熱傷の海原雄山先生なら「これは熱傷治療とは言えぬわ! 店主を呼べ!」と吼えるはずだ)で創面がどう変化していくのか,どのように治癒していくのか,あるいは治らないままなのか・・・を,刻一刻と観察した症例報告は,これまで皆無だからである。

 こうやって,「創の状態@ほぼ連日」を見ていると,劇的によくなるわけではないが少しずつでも着実によくなっていき(特に側胸部,下腿遠位部),少なくとも悪化したりすることがないことはわかると思う。また,このように創面が広くても,創面が細菌だらけであっても感染を起こすものではないということも判ると思う。
 これが「3度熱傷と思われる創面の自然経過」であり,「早期植皮術をテーゼとする従来の熱傷治療」では見えてこない熱傷創の真の姿だと思う。


 10月18日の状態。少しずつ貧血が進行してきたため,2日間に分けて2単位輸血することにした。初めての輸血である。

肩〜肘:
肩の傷も小さくなってきた
手背〜前腕伸側 手掌〜前腕屈側

指背:
9月18日と比べてみよう
手関節橈側 側胸部:
「皮膚の島」がまたできた

大腿〜膝蓋 膝蓋部外側:
膝窩部はほぼ上皮化
下腿前外側:
遠位から上皮化が進行


 10月20日の状態。

肩〜肘 手掌〜前腕屈側 手関節橈側 側胸部

大腿〜膝部 膝蓋部外側 下腿前外側 下腿外側


 「短冊ポリ袋」の簡単な作り方。ポリ袋を畳み,両端と真ん中あたりをクリップで挟んで留め,調理ハサミで切れ目を入れると簡単に作れます。必要時間は2分程度です。


 10月26日の状態。なお,「食事はどうしているのでしょうか?」という質問をいただきましたが,病棟看護師によると「準備だけしてあげると,あとは自分で右手で食べています。食事介助はしていません」ということでした。

肩〜肘 手関節背側 手背,指背 手関節掌側

側胸部 大腿〜膝 膝外側 膝〜下腿


 10月28日の状態。

肩〜肘 手背〜前腕伸側 手関節尺側 指背

手掌〜前腕屈側 側胸部 膝蓋外側 下腿前外側

 なんにも変わっていないじゃないか,どこも改善していないじゃないかと不満をお持ちの方もいらっしゃると思いますが,治療らしいことは何もしていない,感染対策らしきことも何もしていないのに,創の状態は悪化せず,創感染も起きていないということが,実はすごいと思います。


 11月2日の状態。ついに,母指背側の再生皮膚と手関節橈側の再生皮膚がつながりました。手掌と前腕屈側のあと一息といったところです。

肩〜肘窩部 手背〜前腕伸側 手掌〜前腕屈側 手関節部橈側

指背 側胸部

大腿〜膝蓋部 膝蓋部外側 膝〜下腿


 11月5日の状態。1日の浸出液の総量は790グラムと,ここ数週間,あまり変化していないことがわかります。

肩〜肘 手関節橈側 手関節屈側

指背 側胸部

大腿〜膝 膝蓋部外側 膝〜下腿


 11月9日の状態。前腕屈側と手掌の皮膚がもうすぐくっつきそう。中指と環指は指尖部を除きほぼ上皮化した。

手関節尺側 手関節橈側 手関節屈側 指背〜手背

側胸部 膝窩部外側 下腿外側


 今回は補助なしで歩行しているという証拠写真です。11月10日に撮影しました。5メートルを4回ほど往復しました。傷が痛くなく,歩行に際して創面がすれたりすることもないのがいいのでしょう。
 もちろん,順風満帆とはいかず,昼夜逆転があったり夜間不隠があったりと,いろいろ問題はあるわけですが・・・。


 11月16日の状態。手関節〜母指橈側の皮膚がしっかりしてきました。同時に,指背の皮膚が手背に攻め込んでいます。膝窩部の皮膚も拡大していますし,気がつくと下腿の傷も小さくなってきました。

肩〜肘窩部 指背・手背 手関節掌側 手関節橈側


側胸部 大腿〜膝蓋部 膝蓋外側 下腿


 11月20日の状態。左肩の傷もずいぶん小さくなってきました。

肩〜肘窩部 指背 手関節屈側 手関節橈側

膝蓋外側 膝〜下腿


 11月24日の状態。

肩〜肘窩部 指背,手背 手関節屈側 手関節橈側

側胸部 大腿〜膝蓋部 膝蓋部外側 下腿前外側


 11月26日の状態。

手背 手関節屈側 手関節橈側 側胸部

大腿 膝関節外側 下腿


11月30日の状態。

上腕 手背 手掌

手関節橈側 手関節尺側 側胸部

大腿外側 膝部外側 下腿外側


12月3日の状態

上腕 手背 手関節屈側 手関節撓側 手関節尺側

側胸部 大腿 膝関節外側 下腿


 さらにドレッシングを簡易化できないかと考え,ちょっと工夫しました。とは言っても,短冊状ポリ袋(45リットル様のポリエチレン製ゴミ袋)をペット用シーツにかぶせるだけですけどね。
 なぜこうしたかというと,近々退院して在宅に持っていけそうだからです。現在の「短冊状ポリ袋で包んで紙おむつ(ペット用シーツ)で覆う」方法も病院では超簡便な治療法ですが,マンパワーのない在宅ではこれでも煩雑だと考え,この方法にしました。作るのも簡単です。


12月7日の状態です。

上腕 手背 手関節屈側 手関節撓側 手関節尺側

側胸部

大腿 膝関節外側 下腿


12月11日の状態。

上腕 手背 手関節屈側 手関節撓側

大腿 膝関節外側


12月14日の状態。数週間前から,一日の浸出液の総量は400g/day前後で推移しています。蒸発部分を考えても,補液しなくても経口で十分に補える量しか出ていないのかもしれません。

上腕 手背 手関節屈側 手関節撓側

側胸部

大腿 膝外側 下腿


12月17日の状態。1月中にも退院して,在宅にもっていけそうです。

上腕 手背 手関節屈側 手関節撓側

大腿 膝関節外側 下腿


12月21日の状態です。「上皮化が遅々として進まないようですが,大丈夫でしょうか?」と言う心配メール(?)を時々いただきますが,この症例の凄いところはキズが治る様にあるのではなく,

と言う2点にあります。従来の熱傷治療の常識では, となっていたはずです。そのすべてを覆しているのがこの症例です。要するに,熱傷治療の専門家は「なぜこの状態なのに患者が死なないのか?」とビックリし,熱傷治療の素人にとっては「なかなか治らないなぁ」という症例です。

上腕 手背 手関節屈側 手関節撓側

側胸部 大腿 下腿


12月24日の状態。

上腕 手背 手関節屈側 手関節撓側 手関節尺側

大腿 膝関節外側 下腿


1月4日の状態。自宅に帰す準備が着々と進んでいます。家族も受け入れに積極的です。これほどの面積の傷(raw surface)が残っているのに,患者さんの状態は悪化していないし,感染も起こしていません。一方,長期の入院となったために,認知症の症状が徐々に進んでいます。入院させて傷を治したけれど,認知症がひどくて家庭に帰れなかった,では本末転倒です。

上腕 手背 手関節屈側 手関節撓側

側胸部 大腿 膝蓋外側 下腿


1月8日の状態。

手背 手関節屈側 手関節撓側 手関節尺側

側胸部 大腿 膝〜下腿


1月14日の状態。

手背 手関節屈側 手関節撓側 手関節尺側

 さて,退院の期日が1月31日と決まり,以後は在宅治療となります。在宅で大丈夫,むしろ在宅で治療した方がいいと判断した理由は次の二つです。

  1. まだ傷はかなり残っているが,このくらいなら素人でも治療でき,入院していないと治療できない状態ではない。
  2. これ以上入院を続けると認知症の症状が進行してしまい,「ヤケドは完治したが家族が受け入れられない」状態になってしまう。

 私は最初から,「この熱傷を完治させよう,完治させなければいけない」なんて考えていません。生きて家庭に帰すことができれば大成功,御の字と思っています。
 なぜなら,78歳で30%の熱傷患者が大学病院や熱傷センターに入院して治療を受けた場合,生きて退院できる患者はそれほど多くないからです。形成外科医が一人しかいない田舎の病院なのに,これだけの熱傷面積の高齢患者を歩いて帰宅させられたら,それだけで十分と思っています。ちなみに私は,この患者さんを一番最初に診たとき,恐らく2週間くらいで亡くなるんじゃないかと思っていました。大学病院時代の経験では亡くなった例しか診たことがなかったからです。

 この患者さんは退院後はドレッシング交換は2日に1度になります。痴呆も進んでいるため,経口摂取も滞りがちです。しかし,それで状態が悪化しても,それはそれで仕方ないと思っています。78歳といえば人類全体からみると十分に長寿です。
 この患者さんの傷をどんどん治して完治させたとしても,それでこの患者さんが社会に復帰して働けるわけではありません。また,ヤケドの傷を完治させたとしても,日本人男性の平均寿命から考えるとその数年以内に自然死・老衰死する確率は高いです。
 同時に,これまでの半年の経過で一度も感染を起こしていませんから,今後も傷が治らなくてもそこから感染を起こすことは殆どないと考えられます。

 この患者さんの家庭での処置は「頑張らない,手抜きする,治らないからといって自分の責任だと思わない」を原則にしようね,と家族の方に説明しています。ヤケドの処置に全力をあげると,家族の生活が破綻するからです。極論すると,私はこれから50年は生きるであろう家族の方の生活・人生のほうがはるかに大切だと思っています。ヤケドが治ったが家族の生活が破綻した,家族が離散した,では困るのです。


 2月15日,2週間ぶりの外来受診です。自宅に戻ってから食欲は旺盛とのことで,とても元気でした。

 訪問看護は週に3回のみで,それ以外の日は奥様と息子さんがドレッシング交換をしていて,次のような手順で行っています。

  1. ドレッシング(短冊状に切れ目を入れたゴミ袋とペット用シーツ)をはずす
  2. 創洗浄はせず,創周囲の皮膚の汚れを水道水で濡らしたタオルで拭き取るのみ
  3. その後,「短冊状ゴミ袋+ペット用シーツ」で創を覆う
 ちなみに,ドレッシング材は当科外来看護師が作成し,1週間分まとめて訪問看護師に渡し,家族に届けてもらっています。

 このくらいの熱傷なら,通常は入院治療が絶対に必要とされていますが,在宅で適当に治療をしているだけなのに,創はゆっくりと上皮化しているし,患者さんの状態も極めて良好です。もちろん,感染も起きていません。
 ということは,この程度の熱傷なら外来通院でも治療できるということになるはずです。

 傷が治っていなくても風呂に入れる,傷があっても温泉に入れる,傷が治っていないのに痛くない,傷が残っていても普通に仕事もできるしスポーツもできる・・・というのなら,何も無理して熱傷を治す必要はないんじゃないでしょうか。医療の目的が「病気や怪我で社会生活ができなくなった人を,社会に戻すこと」であれば,これで十分じゃないでしょうか。

上腕 手背 手掌 手関節撓側 手関節尺側

側胸部 大腿 膝窩外側 下腿前外側 下腿外側


 4月21日,ほぼ2ヶ月ぶりに外来を受診してくれました。とても元気で,食欲も旺盛,意識もはっきりしていて,入院していた時よりしっかしている感じです。日中,好きなテレビ番組を眺めているそうです。
 訪問看護は一日おきで週三回,それ以外の日は奥様と息子さんが処置していますが,処置が簡単なために負担ではなく,毎日,少しずつでもよくなっていく様子を見るのが楽しみだそうです。そして何より,安上がりなので助かる,とのことでした。
 側胸部の潰瘍がかなり細長くなってきました。これは「運動を妨げない方向に潰瘍が収縮している」ことを意味します。長軸方向の収縮は側胸部の運動を妨げますが,横軸方向の収縮は妨げません。普通に動かしながら傷を治すと,運動できる状態を維持しながら治るんですね。逆に,患部を安静にして治すと「動かない状態」で治ってしまうため,運動障害を生じます。
 大腿部近位の傷もかなり小さくなりました。

 というわけで,受傷から8ヶ月を経過していますが,次のようなことがわかります。

肩〜上腕 手背 手関節撓側 手関節尺側 側胸部

大腿外側 膝関節外側 下腿外側


 6月2日の状態。2ヶ月ぶりの診察です。受傷後10ヶ月近く経過していますが,患者さんは入院中より元気になっているし,全身状態にも問題はありません。入院中に見られた認知症の症状もかなり改善していて,しっかりした受け答えで日常会話をしています。
 手関節撓側・尺側の様子がかなりかわりました。側胸部肉芽もさらに細長くなっています。大腿外側近位の創もかなり小さくなりました。

上腕 前腕伸側 手掌 手背 手関節撓側 手関節尺側


側胸部 大腿外側 膝関節外側 下腿外側


 7月14日の状態です。受傷からちょうど11ヶ月が経過しました。上腕外側の皮膚欠損部も次第に小さくなってきましたし,大腿外側ももうちょっとで全て治りそうです。

 膝関節,肘関節ともに正常に動いています。しかし,手関節,手指関節については最初から自分で全く動かそうとせず,リハビリにも非協力的だったため,動きは望めません。要するに,「動かしていた関節は動くが,動かさなかった関節は動かなくなり,結果として瘢痕拘縮・関節拘縮になる」ということのようです。

 最後に,自分で立っている写真を載せます。元気ですし,会話もしっかりしています。「熱傷は治ったが寝たきりになった」という「高齢者熱傷のルーチンコース」とは全く違った経過をたどっています。

上腕 前腕伸側 手関節撓側 手関節尺側 手関節屈側 側胸部

大腿外側 下腿外側 立ち姿

 このおじいちゃんから教えてもらったことです。


 受傷からほぼ1年の8月25日の状態です。1ヶ月前の診察とは比べものにならないくらいしっかりしていて,運動機能も驚くほど向上しています。自宅では杖なしで独力歩行していますし,診察室の中でも自分の足で支えなしに歩いていました。家族の方も「もう車椅子はいらないと思うけど,一応,病院の中なんで車椅子にしているけど・・・」とおっしゃられていました。

 何よりびっくりしたのは,受け答えが「79歳という年齢の割にはしっかりしている」なんてレベルを遥かに凌駕していたことです。
 右ひじ(ヤケドしていない方です)を自宅ですりむいたということで,「診てあげるよ」と言ったら,「男の人生,傷だらけさ。生きてりゃケガだってするさ」ってなことを,訥々と茨城弁で諭すように話すんですよ。格好いいぜ,爺ちゃん! しかも,1年経っても傷を治せない医者に文句一つ言わず,「助けてくれて,ありがとう!」って言ってくれるんですぜ。この爺ちゃんの熱傷を治療できた私は幸せ者です。

上腕外側 前腕伸側 手背 前腕屈側


側胸部 大腿外側 下腿外側


 受傷後14ヶ月となる2010年10月20日の様子です。ますます元気で,自宅では一人で歩くことも多くなりました。前腕は急速に創収縮していますが,肘関節の運動は正常。側胸部もすごく小さくなりました。下肢も膝蓋部を除いて上皮化しそうな勢いです。もちろん,膝の屈伸は正常にできます。一人で立って歩いて車椅子に乗り込み,帰宅されました。ちなみに,先月から治療材料を全面的にプラスモイストTOPに切り替えましたが,これが非常に効果的で,患者さんの家族にも「使いやすくてとてもいい」と大評判です。
 この症例を見ていてわかりますが,肘関節部,膝関節部,すなわち可動域が広い関節部を残して,それ以外の部位が上皮化していっています。また,上皮化するにしても,運動を妨げる方向の上皮化は起こりません。上腕や前腕であれば縦軸方向への上皮化でなく横軸方向への上皮化だけが進みます。この傾向は側胸部でも同じです。つまり,「運動させながら上皮化させると瘢痕拘縮は起こらない」ということです。従って,1年がかりでゆっくり上皮化させても瘢痕拘縮は起こりません。

上腕 前腕 側胸部
大腿 下腿 立って車椅子に移動


 受傷後16ヶ月の2010年12月15日の様子です。上肢も下肢も側胸部も加速度的に上皮化が進んでいます。残っているのは膝外側と肘外側,上腕の一部くらいでしょうか。この分なら来年3月ころには全て治っちゃうかも。
 しかも,ベッドに座っていてひょいと自力で立ち上がり,スタスタと歩いて自分で車椅子に腰掛けました。前回受診時より,体の動きは格段に良くなっています。左肩関節,肘関節,膝関節,足関節の動きは正常。上肢も下肢も側胸部も瘢痕拘縮はありません。
 ちなみに,「去年は病院で年越しだったから餅もおせちも食べられなかったけど,今年は餅も食えるな」と言っていました。よいお正月を。

上腕外側 肘部外側〜前腕 前腕伸側 前腕屈側 側胸部
下肢外側 大腿外側 下腿外側 普通に立って歩いてます


 受傷から545日目の2011年2月9日の状態。食欲もよくちょっと太ってしまったそうです。困ったことはないの,と尋ねると「耳が遠くなってだめだよ。他はなんともないよ」とのことです。自宅で普通に歩いています。
 上腕に4×1センチの潰瘍,肘部に直径4センチの潰瘍,膝蓋部に直径6センチの潰瘍を残すのみで,他の部位(側胸部,前腕すべて,大腿部,下腿部)は全て上皮化しました。あと2ヶ月ほどで全て上皮化しそうな勢いです。
 肘関節,肩関節,股関節,膝関節,足関節に瘢痕拘縮も関節拘縮もありません。

上腕 前腕伸側 前腕屈側 側胸部
大腿外側 下腿外側


 受傷から601日目となる4月6日の状態です。もう,ほとんどすべての傷が上皮化し,膝蓋部にわずかに潰瘍が残っている程度です。肘関節は伸展はマイナス30°のextension lagはありますが,本人は不便にしていませんし,膝関節はfull extension, full flexion可能です。
 自宅では一人で介助なしに食事をし,日中は一人でトイレに行っているそうです。もちろん,椅子やベッドから補助なしで立ち上がり,一人で歩いて移動できます。
 いよいよ,ゴールの日が見えてきました。

上腕〜肘頭 肘関節:伸展位 側胸部
大腿外側〜膝 膝蓋部 下肢:伸展位


受傷から659日目に当たる6月3日の状態である。膝蓋部も肘頭部も全て上皮化し,完治した。相変わらず,自宅では一人で歩き,トイレにも行っていっています。4月中旬に80回目の誕生日を無事に迎えられましたが,2年前にあれほどの大ヤケドを受傷したにも関わらず,ボケもせず自力で歩きまわれる80歳になるとは予想もしていませんでした。

 そんなわけで,長い間このおじいちゃんの治療経過を見守ってくれた全国のファンの皆様,これで通院終了となります。ご声援,ありがとうございました。
 最初期に一緒に治療に携わってくれた研修医の藤田先生,ありがとうございました。この治療経験は先生にとって一生の宝でしょう。
 家庭でしっかりと治療を続けてくれた奥様,そして息子さん,ありがとうございました。最後まで私と私の治療を信頼していただき,ありがとうございました。
 そして80回目の誕生日を迎えられた爺ちゃん,あんたは本当にすごい人です。

 私はこのおじいちゃんから多くのことを教えてもらいましたが,その最大のものが「医者の務めは,医者でしかできない治療を開発することではなく,医者でなくても治療できる方法を開発することだ」ということです。そして,たとえ傷が治っていなくても,普通に家庭で暮らせ普通に日常生活を送れることを,このおじいちゃんは身を持って証明してくれました。逆に「受傷から30日で完治させたが,患者はボケて寝たきりになり,1ヶ月後に誤嚥性肺炎で死亡した」というのでは,早期に完治させた意味はありません。
 もしもあなたが患者だったら,どちらの治療を希望しますか?

 もしも,熱傷患者の治療方針で迷うことがあったら,この症例を思い出してください。こんな,素人でも出来る治療で,これほどの重症熱傷が治ったということを思い出してください。

上肢全体像 側胸部
大腿外側 膝蓋部 下腿外側


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