40代主婦,という方からメールを頂きました。ご本人の許可を得て,転載させていただきます。
幼少期よりアトピー性皮膚炎を患い、ステロイド軟膏と内服薬で治療をしておりましたが、昨年春ごろより急激に症状が悪化。手と顔が酷い状態に陥りました。特に両手については、主婦の仕事である「水仕事」ができないばかりか、極度の乾燥と無数のひび割れで指を曲げることも困難になり、外出した際には財布を開けてお金をとる作業さえ痛くて苦痛に感じるほどでした。
掛かり付けの皮膚科を受診しても「今使っているアレルギー剤を飲んで、ステロイド(最強)を塗り続けるように」とのこと。つまり現在使用している薬剤より上はないので仕方がない、といったニュアンスでした。
もう一種類アレルギー剤を併用してみてもいいけど…と言ったアドバイスもいただきましたが、これ以上薬を使ったところで症状が軽くなる保証もありません。他、喘息などの持病もあるためこれ以上は薬を増やし肝臓に負担をかけたくないというのが本音です。
しかし、症状はますます酷くなる一方でした。両手はガチガチに乾燥してひび割れた餅のような皮膚になり、酷い痒みのあまり皮膚を掻き崩した結果、指がほとんど曲がらなくなり、日常生活に及ぼす影響は最悪に。あわせて顔にも頻繁に症状がでるようになり、外出や人と会うことが億劫となり、昨年一年間はほとんど家に引きこもっていました。家事さえまともにできずに家に引きこもってしまった自分に、一時は生きる価値がなくなったようにさえ感じました。
ところが先日、「新しい創傷治療」サイトの「手荒れ・乾燥肌についての治療」という記事に目がとまりました。それからの私は「手のワックスがけ」をとても熱心に行いました。夏井先生の「数日で変わる」という言葉を信じて。。。
3日後、…変わりました。しかも劇的に!
途中、多少のステロイド軟膏は使用したものの、今まであれほど塗り続けて治まらなかった症状が、ワセリンでここまで改善するとは。本当に驚きです!
私が今までやっていたことはいったい何だったのでしょう。皮膚に傷があるからとバリアー機能を無視して洗いすぎて、ハンドクリームを塗りたくり。その昔は、保湿目的で超高濃度の「自家製尿素入り化粧水」まで使用していたのですから。挙句の果てステロイドは最強のものを使い続け、飲み薬も最新のものを飲み続けているにも関わらず、悪化していったのです。
顔の肌荒れについても同様に考え、無意味で余計な手入れをしないように心がけた結果、手同様に症状が治まってきています(必要以上に洗浄せず、洗顔後は化粧水使用後ワセリンで薄っすらと保護するのみです)。以前より確実にトラブルの頻度が少なくなり肌質が変ってきました。
アトピー歴数十年になりますが、ステロイド軟膏と内服薬以外でもコントロールできることを身をもって体験しました。この体験は私にとってとても大きな転機となりそうです。日常生活に支障を来さなくなった、ということだけではありません。現在事情があって主婦業に専念しておりますが、将来的に外で仕事をすることも可能になったということです。暗く閉ざされていた私の人生に「希望」という光が射してきました。
これからも症状の波はあると思いますが、うまく付き合う自信がつきました。先日久しぶりに夫の好きなサトイモの煮物を作ったのですが、料理を作れることに感極まってしまいました。きちんと料理をするのは本当に久しぶりだったのです。生き返ったような気持ちです。
私は幸い、現在の症状は両手及び顔に限られていますが、それでも大変辛い思いをしました。私より広範囲で酷い症状の患者さんにおいてはどのような経過を辿るのかは分か りませんが、この体験が少しでもお役に立てるのならメールを全て公開していただいて結構です。
気まぐれな天候(症状)と今にもひっくりかえりそうな不安定な船(治療)に振り回され海を漂っていた私が、やっとオールを持って海原を漕ぎだせたといった心境です。長年コントロールされる側だった私が、やっと、コントロールする側にまわれそうなのです。
私は幸いにも、このような情報に出会い助けていただきました。これを機に、これからの人生を大切に生きていかなければならないと思っております。
このような思いをひとりでも多くのかたに体験していだだければ幸いです。これからもひとりでも多くの患者さんに「オール」を渡して助けてあげてください。
以下,私の感想です。
このサイトを作って本当によかったです。「患者さんにオールを渡すのが医者の役目」という表現が素晴らしいです。
「生徒に魚を釣ってあげるのが教師の役目ではない。魚の釣り方を教えるのが教師の仕事だ」という有名な言葉を思い起こさせますが,それよりははるかに詩的で含蓄に富んでいます。
病気の患者さんが,医者(病院)の助けを借りなくても一人で大海原に漕ぎ出して自由に航海できるように手助けするのが医者の本来の仕事なのだということを教えていただきました。
(2010/04/14)