以前,「プレートが露出した下腿骨折の保存的治療例」を提示したが,同様の患者さんを治療中なので,「ほぼリアルタイム」で治療経過を報告しようと思う。こんなずさんな治療で骨髄炎を起こしたりしないのか,ハラハラ,ドキドキしながらご覧いただけたら幸いだ。
ちなみに患者さんからは「どんどん公開してください。このような状態で何度も何度も無意味な手術を繰り返し受けている患者さんが全国にたくさんいると思います。私のキズの写真を見て,これなら自分も治るんじゃないかと思ってくれたら,私のこれまで受けた治療が無駄でなくなります」と話しておられます。
症例は北関東の某県在住の45歳男性。
平成23年8月16日,石垣から飛び降りようとして左頸骨天蓋開放骨折,左腓骨骨折を受傷。近医で初期治療を受けた後,〇〇病院整形外科に転院し,9月2日にプレート固定術を受けたが(初診時,患部の腫脹が高度のため,腫脹が治まるのを待って手術を行った),術後皮膚壊死を生じてプレートが露出。
10月4日,同院形成外科で後脛骨動脈穿通枝皮弁と網状植皮を受けたが,皮弁壊死を起こしてプレートが再度露出。細菌が検出されたため,感染予防のために灌流治療を受けていたが,灌流液からは常にMRSAとCorynebacteriumが検出されていた。
主治医からは「培養で常に細菌が検出されるため,まず感染を治療しなければいけない。そのため,プレートを抜去して創外固定を行うしかない」と説明を受けたが,ネットで湿潤治療により同様症例が治癒していることを知り,セカンドオピニオンで11月21日に当科受診。
当科初診時の状態。左下腿内側にプレートは露出しているが,発赤や圧痛などの感染症状を認めなかったため,水道水で洗浄し,OpWT(穴あきポリ袋+紙オムツ)で創部を被覆した。そして,後日入院ということにして,この日は帰っていただいた。
2011年11月21日 | プレート露出! |
ちなみに,上述の経過で最悪の選択だったのが「同院形成外科での後脛骨動脈穿通枝皮弁と網状植皮」である。「とりあえずプレートの上に蓋をして見えなくすればいいよね」という方針でこの手術をしたとしたら,それこそ「臭いものに蓋」であり,創感染のイロハも知らずに手術したと断罪するしかない。
私も西暦2000年ころまでは,同様の症例(整形外科での手術後に皮膚が壊死してプレートが露出し,手術での閉鎖で紹介された)に対し,様々な皮弁で閉鎖を試みたことがあった。結果は全戦全敗だった。一時的に皮弁が生着して治癒したように見えた症例もあったが,1週間〜3週間以内に全例で感染を起こし,すべて創離開となった。そしてその後,なぜ感染を起こしたのか,その理由がわかるまでしばらくかかった。要するに,原理的に成功するわけがない治療法だったのである。
いまこの時点でも,全国各地に「金属プレートが露出し,プレートの上に皮弁形成術の予定」の患者さんがいらっしゃると思うが,恐らくその手術は失敗するであろうことを予言しておく。
11月25日の創部の様子。わずか数日でプレートの上に肉芽が伸びているのがわかる。もちろん,局所の感染症状(圧痛,発赤,腫脹など)は全く見られない。つまり,感染は起きていない。
患者さんは「すごく楽になった。全然痛くないのがいい。実は前の病院で回診車の音が聞こえると,今日もこれからあの痛い治療かと思って胃がキリキリと痛んでくるんですよ。それがなくなっただけでも,こちらの病院に移ってきてよかったです」と言っていた。
11月25日 | プレート部の拡大 |
12月1日の状態。初診から1週間で順調にプレート表面が肉芽で覆われてきた。局所の感染症状はなく,全身性の感染症状もない。肉芽全体が収縮と言うか,上皮化しているのがわかる。
12月1日 | プレート部の拡大 |
12月5日の状態。依然として局所感染は起きていない。4日前から目立った変化は起きていないが,「悪化しない」という事自体が実はすごいことだと思う。
レントゲン像を示すが,前医が行った骨折整復は見事である。これで「傷の治療」の知識があったら整形外科医として鬼に金棒なんだけどなぁ・・・。
12月5日 | プレート部の拡大 | レントゲン像 |
12月9日の状態。チタンプレートがどんどん肉芽に飲み込まれるように覆われていく様子がわかる。依然として,局所の感染症状も全身の感染症状もない。また,この日から1/3荷重の歩行リハビリを開始した。
実はこれから10日間で局所の状態は驚くほど変化していくことになるので,乞う,ご期待!
12月9日 | プレート部の拡大 |
12月13日の状態。プレートが肉芽に覆われて見えなくなってきた。ちなみに,しつこいと思われるだろうが,治療は「抗生剤なし/普通に風呂で入浴/創部はOpWT(穴あきゴミ袋+紙オムツ)で覆うだけ」である。
多分,「徐々に肉芽が上がってプレートが見えなくなった」症例の説明にあるとおり,このような場合には感染は起きないのではないかと思う。
12月13日 | プレート部の拡大 |
12月16日の状態。前日から2/3荷重の歩行訓練開始。プレートとしては「うわぁ,飲み込まれちゃうよ!」という心境かもしれません。
12月16日 | プレート部の拡大 |
12月19日の状態です。プレート本体は見えなくなりました。
12月19日 | プレート部の拡大 |
12月20日の状態です。プレートもネジも見えなくなりました。
12月20日 | プレート部の拡大 |
12月21日の状態です。この日から松葉杖歩行が始まり,12月24日から全荷重歩行となりました。足関節は当初非常に硬くて動きませんでしたが,この頃から徐々に可動域が広がって来ました。
12月21日 | プレート部の拡大 |
12月26日の状態。全荷重歩行が始まり,それまで動かなかった足関節を積極的に動かすようになり,その結果として,一旦は肉芽に埋もれたプレートが最露出した。これはいわば「想定の範囲内」である。
と言うか,「傷が開くくらいリハビリをしないと,もう2度と自力で歩けなくなるよ」と半ば脅しながら歩行訓練を進めたため,傷が開いてプレートが顔を出したのは,それくらい患者さんが一生懸命にリハビリを励んだということであり,むしろ喜ぶべきことだと患者さんに説明した。
「プレートは見えなくなったが足関節は動かない」のと,「プレートは再露出したが足関節は十分動くようになった」というのと,どちらが望ましいかといえば,私は後者が望ましいと考えている。傷なんていつでも治せるが,足関節を動かすのは今しかないからだ。だから,「もっと金属が顔を出すほどリハビリしようね」と患者さんにさらにハッパをかけた。
12月26日 | プレート部の拡大 |
12月28日の状態。依然としてプレートは露出しているが,気にせずに歩行。本日退院となり,以後は週に1回程度の外来通院とした。
12月28日 | プレート部の拡大 |
1月4日の状態。依然としてプレートは露出しているが,気にせずに歩行。年明け初めての診察。依然として感染症状なし。そろそろ仕事に復帰予定とのこと。プレートが露出していても仕事には差し支えありませんから。
2012年1月4日 | プレート部の拡大 |
2月1日の状態。依然としてプレートは露出しているが,気にせずに歩行。肉芽部分がかなり上皮化していることが分かる。年明けから仕事に復帰しているとのことだ。
2月1日 | プレート部の拡大 |
この症例について,ある整形外科の先生から次のようなメールをいただきました。
「金属プレートが露出した下腿骨折症例」 大変興味深いです。おそらく、今の整形の上司や、前話したアカデミックとされる病院の親玉大先生が聞いたら、猛烈に否定するでしょうね。私は「手の外科」は専門家みたいなもので,大概の「手の手術」はできます。もちろん手指の骨折なんてお手の物ですが,この時,固定用のワイヤーは皮膚の外に出ています。そしてもちろん,ワイヤーは骨髄の中に入っています。ワイヤーが入った状態で患者さんは1ヶ月くらい過ごし,私の外来なら翌日から水道で洗い,入浴の際はワイヤー刺入部も風呂の中に入れて洗わせています。それなのに骨髄炎が起きるのは極めて稀です。
私は、とてもすばらしいと思いますし、整形外科医では考え付かない処置法と思えました。整形外科医の立場では、固定概念や、上司への遠慮、周囲同僚の否定の声を気にする と、どうしても思い切った事はできません。逆に整形外科でない立場からのほうが、こうした方法は進めやすいかもしれませんね。
2月8日頃から微熱(37.5℃前後)が続き,患部も腫れているようだということで2月10日に受診。皮弁部に軽度の腫脹があり,局所麻酔下に切開してみたが膿は溜まっていなかった。念のために経口抗生剤を3日分処方。
2月10日 | プレート部の拡大 |
抗生剤を内服して2日で微熱は治まり,痛みもなくなったとのこと。というわけでこの患者さんには,抗生物質を渡して「熱があったり患部が腫れっぽい感じがしたら飲んでね」と説明した。
2012年2月15日 | プレート部の拡大 |
2012年7月17日 | 2012年11月7日 | 2013年5月16日 秋頃,プレート抜去予定 |
というわけで,2011年10月から2013年5月までの1年7ヶ月に渡り,骨折固定用金属プレートが露出した症例の経過である。治療は基本的に「水道水で洗って穴あきゴミ袋で覆うだけ」であり,無菌操作もしていなければ滅菌物も使っていない。金属が露出したまま普通に入浴していた。抗生剤は1年7ヶ月で数回使ったのみだ。しかもこの期間,患者さんは安静にしていたわけでなく,普通に仕事をしていた。
それなのに,創感染も骨髄炎も起きていない。
恐らく,1年7ヶ月間で感染が起きていないということは,2年7ヶ月でも5年7ヶ月でも10年7ヶ月でも骨髄炎は起きないのではないだろうか。
逆に,この症例で骨髄炎が起きないのであれば,どんな症例で骨髄炎が起こるのだろうか?
もちろんこの1例は「たかが1例」だ。しかし,1例に起きたことは,もう1例に起きても不思議ない。たかが1例,されど1例,だ。