症例は21歳男性。
2011年2月10日,溶接作業中に衣服に引火して背部全体に熱傷。直ちに茨城県の土浦協同病院に救急搬送され,皮膚科入院となる。入院中はゲーベンクリームで治療を受けていた。
その後,V度熱傷であり皮膚移植をしなければ治らないと説明を受け,3月11日に皮膚移植手術の予定で一旦退院となったが,知人から当科での治療なら植皮しなくても治ると聞き,3月1日に当科を受診した。
下記に示すように背部全体の熱傷であり,非常な痛みを訴えていた。患者さんと母親に湿潤治療の原理を説明し,今後どうなるかについて次のように説明。
その上で,この治療法の同意を得て,ゴミ袋とペット用シートを利用した治療法を説明し,家庭での処置方法も指導した。また,通院は週に2回程度で十分と説明した。
初診時(3月1日) | 初診時 ゲーベンを落としたところ |
6日目(3月7日) | 24日目(3月25日) |
ここで再度,日付を確認してほしい。手術予定日は2011年3月11日である。もちろん,あの [3.11 東北大震災] のあの日だ。手術は午後開始の予定だったから,恐らく,腹臥位で全身麻酔がかかった直後に震度6強の激烈な揺れが手術室を襲い,手術室の中の物が飛んできただろうから,予定通りに手術を受けていたら極めて危険な状況になったと思われる。そして,茨城県全体でライフラインが破壊され,電気と水道の復旧にかなりの日数を要したのである。
この患者さんは幸い(?),その10日前に当科を受診し,家庭でも治療ができるように繰り返し繰り返し,治療法と治療材料の作り方を教えていたため,[3.11] で通院ができなくても(何しろ当時,茨城県は2週間以上,深刻なガソリン不足に見舞われていたので通院自体が不可能だった),なんとか自宅で治療が続けられたようだ。こういうところは,ゴミ袋とペット用シーツとセロハンテープさえあれば治療ができる湿潤治療の強みである。
45日目 右側で「皮膚の島」が出現 |
81日目 「皮膚の島」が拡大・癒合 |
115日目 | 129日目 |
164日目 | 199日目 左側に突然「皮膚の島」出現 |
213日目 | 227日目 「皮膚の島」が拡大・癒合 |
262日目 | 296日目 | 317日目 | 353日目 |
380日目 運動障害も瘢痕拘縮ない |
以前紹介した「78歳 + 30% + V度熱傷」の症例と同様,広範な深い熱傷であっても保存的治療で治癒可能であり,しかも瘢痕拘縮も運動拘縮も生じないことがわかる。
ちなみに最後の写真は,私の石岡第一病院の最後の診察日にわざわざ,「研究のために使って下さい」と写真撮影のためだけに受診してくれて撮影させていただいたものである。
またこれは,「円形に近い全層皮膚欠損創はどのように治るのか」を教えてくれる。右背部,左背部とも「長軸方向に細長くなる」ことがわかると思う。これは「背部の運動を最も妨げない」方向に一致する(横軸方向に細長くなれば背部は瘢痕拘縮となり,運動障害を生じる)。
つまり,「動かしながら,日常生活を送りながら」上皮化させると,運動を妨げない方向に創収縮と上皮化が起こるわけである。つまり,運動障害が起こらない理想的な治癒である。
さらに,左側で199日目,つまり6ヶ月目に突然,肉芽面に「皮膚の島」が出現していることに注目してほしい。この「皮膚」はどこから来たかというと,創面に残っていた皮膚付属器しかありえない(・・・皮膚が空を飛んできたのでない限り)。ということは,この熱傷は皮膚付属器が残っている熱傷,つまりU度熱傷であり,V度熱傷ではないのである。つまり,この症例では「U度熱傷かV度熱傷か」の判断は,199日目以降でなければ行えず,199日以前では鑑別不可能である。
この症例の経過を見たら,患者さんサイドには色々な考えがあると思う。あなたが患者だとしたら,どう考えるだろうか。
(2012/07/24)