日経ヘルスの記事を書くにあたって、いろいろ「糖質制限反対本」を読む機会があったのですが、糖質制限に反対している人によくある言説に「体重が減ったように見えるのはグリコーゲンが消費されて水分がなくなっただけだ」というのがあります。実際、最大量として、肝臓に100g、骨格筋に300g程度のグリコーゲンがあるとされ、グリコーゲンの親和水としてその4倍重量の水分子もなくなる訳ですから、400+1600=2000gで2kg程度が一気に減る計算になります。まあ、2kg以上は体重の減少が進まないなら説得力もありますが、現実はそれ以上に体重減(体脂肪率減)が起きる場合がほとんどなので、これまでは「そりゃ糖質が入らないんだから消費されたグリコーゲン分は減るだろうな」くらいにしか思っていませんでした(なお、「グルコース1gに水4g」という言い方をする人もたまにいます。「グルコース1g換算」の略かとは思うのですが、誤解を招くので「グリコーゲン1gに水4g」にした方が良いと思います。グルコース1分子には親和水としての水分子は最大10分子程度と考えられるので、グルコース1gには水は1gくらいしか付随しないでしょう)。
ただ、落ち着いて考えてみると「肝臓のグリコーゲンはいいとして、骨格筋のグリコーゲンも糖質制限によって完全に枯渇した状態になっているものだろうか?」という疑問も出てくるのです。もし、完全に枯渇している状態なら、安静時から急激な激しい運動を始めた時に副次的に発動する「無酸素呼吸」つまりは解糖系をまわす「呼吸基質」としてのグルコースはどこから持ってくるのか。「肝臓の糖新生で生じた血中のグルコースを使う」という考えもあるでしょうが、短時間ではあっても急激に増大したATP需要を賄うには、おそらくはそんなのでは到底足りない(時間的に間に合わない)ように思います。アスリート系の人が良く言う「カーボローディング」というのも、このグリコーゲンを充分に確保するという意味で重要視しているのだろうと推察します。
実際、糖質制限を始めた最初の頃に「安静時から急激な激しい運動をすると充分に力が出せない」つまりは「瞬発力が落ちた」あるいは「脚がつりやすくなった」というような例はいくつか耳にしたような記憶があります。これは、急激な運動時に需要が増大したATPを解糖系で充分に合成できずに起こると推測されます。と同時に「糖質制限をしても、持久力は変わらない」というのは多くの人が共通して言っていることでもあります。「持久力が変わらない」の方は、マラソンで言う所の「セカンドウイング」状態、すなわち呼吸基質が糖質から脂質へ転換した状態でグリコーゲンに依存しない運動と考えられます。つまりは、身体全体が酸素を使った呼吸を効率的に回せる状態になったということです。
となると、糖質制限を長期間・継続的に行っていて、いつまでも「瞬発力低下」「脚がつりやすい」という状況が変わらないという人がいるなら、その人は「糖質制限中は骨格筋のグリコーゲンは合成されてない可能性が高い」と言う事になります。
逆に、「糖質制限を続けているうちに、そう言った症状はなくなった」というのであれば、「糖質制限中でも骨格筋のグリコーゲンは合成されている」ということになります。
さらには「糖質制限初期段階でも、そのような瞬発力低下などの症状は全くなく、順調に体重が減少した」という人がいたらなら、糖質制限の有無にかかわらず骨格筋のグリコーゲン合成は行われている可能性を示唆します。
あくまで個人的な見解ですが、「糖質制限の有無にかかわらず骨格筋のグリコーゲン合成は程度の差こそあれ行われている」と考えます。以下、傍証。
- 猫の骨格筋にもグリコーゲンが存在する事。
猫が行う強度の高い運動の大半は「瞬発的運動」でしょう。つまりは、無酸素呼吸なしに獲物を狩る時の急激な激しい運動を維持するのは困難と思われます。そして、猫は原則「肉食」で糖質はほとんど必要のない動物であるにもかかわらず、猫の骨格筋にはグリコーゲンが存在します。まあ、「人間は猫とは違う」と言われればそれまでですが、型は違うものの、後述する糖原病は猫にもあるので、傍証としてはあながち無関係ではないと思います。
- 糖原病Ⅴ型にセカンドウインド現象が認められる。
糖原病Ⅴ型は、筋グリコーゲンを分解するホスホリラーゼが働かないために運動不耐、筋痙攣などが起こる遺伝疾患です。グリコーゲンが分解できないので、グルコースが充分に供給できずにエネルギー不足になり、強度の高い瞬発的な運動が困難になると言う訳です。そして案の定、糖原病V型に関しては、セカンドウイング現象が高率で起こるらしいのです。つまり、運動を継続すると、グリコーゲンの分解がなくても運動ができるようになる。これは、おそらく脂質の分解(あるいは肝臓のグリコーゲンの分解で生じた血糖)による酸素呼吸をおこなう体勢になったという事かと思われます。逆に考えれば「激しい運動の初動にはやはり骨格筋 グリコーゲンの分解が必要」ということでもあります。
たがしゅう先生の2017年5月18日ブログの人体実験もぼんやりとそれを裏付けている感じです。
ということで、「糖質制限初期の2kg減はグリコーゲンの減少分」というのは、もしかすると多めの見積もりかもしれません。骨格筋のグリコーゲンは、糖質が入って来なくても、実は糖新生による血糖からゆっくりと継続的に合成されていて、予想されているほど減少してないかもしれないです。糖質制限初期のグリコーゲン減少分は、せいぜい、肝臓グリコーゲンの部分100+400=500g程度の可能性もあります。もし、糖質制限初期に体内のすべてのグリコーゲンが枯渇しているなら、その人は糖原病Ⅴ型の症状になっていないとおかしい訳です。
さて、実際の所どうでしょうかね。いろいろな人の「糖質制限初期」の「急激な激しい運動時」の状況を知りたい所です。
なお、余談になりますが、極めて強度の高い運動を頑張って続けると、ハンガーノックと呼ばれる低血糖状態になることが知られています。生化学的にはATPの需要量が大きすぎて、酸素呼吸で使う中性脂肪の分解が間に合わずに、本当に全身のグリコーゲン及び血糖が枯渇し、骨格筋の収縮・弛緩ができなくなり、意識も低下する現象です。休息すれば脂質が分解されて(もしくは糖質を摂取すれば)回復します。これは「激しい糖質制限をやりつつ、脂質やタンパク質も同時にカットしてダウンしてしまう」失敗例をはからずも人工的に起こした状態です。しかし、「糖質制限でトライアスロンの成績がよくなった。ハンガーノックも起こりにくくなった」という話もあるので、もし本当にそうならどういう風に身体が変化したのか、そのメカニズムは興味深い所です。無論、糖質制限によりケトン体を生産しやすい体になり、肝臓グリコーゲンに頼ら ずに無酸素呼吸からの脱却がしやすくなったという事が考えられますが、何が変化してそうなったのかに興味がある訳です。
話はちょっとかわって、江部先生が「肝臓と消化器官のエネルギー代謝」について書いておられました。
夏井さんは既にお気づきかとは思いますが、肝臓・小腸・大腸はすべて内胚葉由来の器官です。ついでにいえば、肺・膵臓・甲状腺も。
発生における三胚葉を人に教える時は、
内胚葉→エネルギー
中胚葉→ボディ
外肺葉→インフォメーション
と言う風にくくって、説明していました。そして、
内胚葉と外胚葉は、原始的な胚葉なので、成体になった後でも比較的可塑性が高い事が多い。
そして中胚葉は、進化上あとから加わった胚葉なので、分化が完了すると比較的可塑性が低い事が多い。
と言う事も付け加えます。
つまりは、エネルギー代謝の「燃料的」側面は内胚葉由来の器官が臨機応変に対応して、中胚葉由来の器官はその内胚葉器官の出した方針に従うということになります。まあ、中胚葉の方が後から出てきたので当然の成り行きでしょう。
で、何が言いたいと言うと、筋に存在するグリコーゲンは、進化上、肝臓よりも後に装備されたのではと言う事です。
言うまでもなく、筋肉は中胚葉由来であり、ミミズなどの環形動物のような原始的な三胚葉生物では「突発的な激しい運動」は必要ないので、筋肉の緊急エネルギー源であるグリコーゲンは必要なかったと思われます。
しかし、軟体動物ともなると筋肉にもグリコーゲンが蓄積するようになります。牡蠣が有名ですが、他の貝類や蛸・イカでも含まれています。
ということで、グリコーゲンと一口に言っても、肝臓と筋肉では、その由来は違うのかもしれないという話でした。
まあ、そもそもグリコーゲン代謝関係の酵素自体も肝臓と筋肉では違う訳ですしね。
また、昆虫の話ですが、スズメバチの成虫は、自分で食事ができないので、幼虫から貰う栄養液中のアミノ酸と幼虫時に蓄積した脂質のみで活動してます。糖新生とは違いアミノ酸自体が実質的に糖質の代わりをしている訳ですね。おそらくは脳や神経節のエネルギー源もアミノ酸である事が予想されます。
その辺、神経伝達物質的にどうやって統合しているのが興味深いですね。