「熱傷患者の救命処置」についてのメールです。
 八つ当たり行為、論理の破綻についてはほかのかたが書いてくださっているのでここでは繰り返しません。

 世の中、言葉も大事だけど大切なのは行動だと思います。信念は、言葉でなく行動で示すのが、最も説得力があるし、それが信念の強さを裏付けることになるかと思います。
 そんなに自殺の正当性を主張されたいなら、おなじく火傷をされた同志と合意の上、集団自殺に踏み切ったらよろしい。残念だけど、とめることはできません。
 そうはされず、40歳にもなって遠くから石を投げるように言葉を述べるだけということは、このかた、本当はそこまで自殺したいとは思っていないのではと思われます。行動に移す勇気までは持ち合わせていない。ということは、本当は生きたいと思っていることの裏返しでもある。その生きたい(「思うように」生きたいというべきか)という想いが、現在八つ当たりの形で出てしまっているのかもしれません。一生このまま八つ当たりし続けるかそうでないか、それもご本人が決めることだと思います。どちらを選択するにしても自由ですが、ほかの人を巻き込まないこと、これだけは是非お願いしたいものです。

 私もB型肝炎治療の一環としてインターフェロン投与したころは、鬱状態がひどく、何度も何度も自殺が頭をよぎりました。それでも自殺しなかったのは、もっともっと大変な想いをされても一生懸命前向きに生きている人たちのこともまた、頭をよぎったからです。今では、あのとき踏みとどまってよかった、と心から言えます。
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 「熱傷患者の救命処置」についてのメールです。
 「 あなただって、火傷患者の救命行為を行っているのでしょう?」
 おそらく夏井先生は熱傷患者の救命行為を行ってません。頼まれればやってくれるかもしれませんがね!
 なぜならば、そういった重度熱傷患者を救急隊員が救急車で先生のところに連れてこないから。
 死にそうな重度の患者が来ても対応ができるのか?という問いにそういった返答がありました。
 批判をするならもう少し相手の研究をしてからにしたほうが良いかと
 救急隊が「これは救命処置が必要な熱傷患者だ」と判断すると患者は自動的に大学病院の救急救命センター,熱傷センターのある地域の中核病院などに送られることになり,私が過去15年間に勤務してきた「医者一人か二人の地方病院形成外科」に搬送されることは絶対にありえません。
 そして,大学病院などに搬送された熱傷患者は救命処置が取られ,その一環として「早期の皮膚移植」が行われます。患者さんの意識が戻るのは皮膚移植が終了した後だったりします。
 その結果,患者さんは皮膚移植のあまりの醜さと運動障害に驚き,ネットで熱傷治療について検索し,ようやく私の外来を受診します。しかしこの時点では,私にできることは何一つありません。皮膚移植前であればいくらでも助けられますが,皮膚移植後では手も足も出ません。
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 「熱傷患者の救命処置」についてのメールです。
 ご本人が子供の頃に広範熱傷を体験されたこと、それが元になってのことかも知れませんが、ロジックとして成立しておらず、人様に見せられた文章ではありません。ただの八つ当たりかと思います。
 「救命することがクソ」「死ぬ権利もあたえるべき」という言葉から推測するに、重度の熱傷患者は治療せずに死なせろ、という主張になるでしょうが、
医者としては見捨てることが許されていない
( たとえ容姿が変わってでも ) 生きたいかは本人が決める事であり、医者に判断させることでない。
死にたいのなら治療が落ち着いた段階で自分の責任でされれば良いのであって、医者の手を煩わせるものではない。
 
 医者に責任を問えるとすれば、
患者に十分な情報を提供しているか
患者の意志を尊重できているか
複数の選択肢がある中で ( 患者の意志に沿って ) ベストと判断できる治療を行っているか
 
 の部分であって、夏井先生が植皮を問題にしているのはここの部分に抵触するからでしょう。話がそもそも違います。

 とばっちりで大変かとは思いますが、サイトの更新日々楽しみにしています。
この記事のアドレス・・・http://www.wound-treatment.jp/new_2015-10.htm#1009-06:00-2

 「熱傷患者の救命処置」についてのメールです。
 熱傷受傷者です。よちよち歩きの頃に受傷しました(記憶はありません)。顔ではなく広範囲でもありませんが、常に人目に容易につく部位の熱傷です。皮膚移植をしていませんので、赤剥けた色調の、固い瘢痕が残っています。拘縮はほとんどありませんが、若干感じます。
投稿者のバックグラウンドが不明ですのではっきりしませんが、夏井先生に限らず目の前に瀕死の人がいれば、どうにかして救命をはかろうとするのが医師の本能だと思います。その後、容貌の劣化、QOLの低下、様々な後遺症が想定されたとしてもそれが医師でしょう。
 
 昨夜PCに向かい思考を巡らしながら、私が最終的にたどり着いた結論はこの方のご意見とほぼ同じです。40歳の熱傷患者さんのバックグラウンドや、今現在のこの方の心情を知り得ない状態では、これ以上のことを想像で言うことは出来ないと思うからです。
 熱傷に限らず命を救うことが、医師の職務です。

 傷のとらえ方は、当事者それぞれで全く違ったりします。例えばそれが同じ部位・同じ範囲・同じ色や形の熱傷による傷跡であったとしても、熱傷受傷後の周囲の環境や当事者自身の生まれ持った性質によって、そのとらえ方は大きく違ったものに成り得るのです。
 私自身のことをお話すれば、私の傷跡は、これまでの私の人生に大きく影響を与えることはありませんでしたし、これからもそうであると思います。もの心ついた時には、その傷があったのです。ですから、それが私には俗に言う「普通の体」であり、不都合も不自由も感じませんでした。はたから見たら、私の傷跡は憐れむべきものであり、私は親の不注意によって熱傷を負ったかわいそうな子、だったのかも知れません。現に、私が「普通の子と違う」、この傷跡が「普通ではない醜いものなのかも知れない」と感じるきっかけになったのは、そんな、優しいに違いない方たちからの言葉によってでした。小さい時には、それは大人でした。小・中学生の頃には、それに加えて同じ年頃の子だったりもしま した。私の場合は、その方たちのどの言葉にも違和感を覚えました。「かわいそうに、結婚できないね。」と言われたこともあります。ちょうど思春期の頃でした。

 私は女性です。酷い言葉ではないでしょうか?多くの心優しい方には、思春期の女の子に向けるには残酷な言葉に聞こえるでしょう?でも私には、それほど深刻な言葉ではありませんでした。言われた私が思ったことは「どうして結婚出来ないの?」と言うことです。「この熱傷の傷跡のため?」私には思いもよらない発想だったのです。そしてこう思うのです「傷跡を醜いと思わない人と結婚すれば良い」。

 私の傷跡は、ある人には結婚出来ない要素になる程醜いものであり、私にとっては、誰かが指摘しなければその存在さえ空気のようなもの。またある人には、他人に気付かれたくない程度のものであり、またある人には、生きていくのも辛いほどの傷跡に成り得る。
 私はこれまで、私の熱傷による傷跡に対するさまざまな反応を見て来ました。多くの方々は、私の傷跡につて触れることはしません。優しいのでしょう。もちろん「どうしたの?」と言葉にする方々もいます。その多くは子供たちです。しかしこの子供たちの多くも、小学校2・3年生くらいになれば、やはり視線を向けてジッと見たりしてしまうけれど、「どうしたの?」とは聞かなくなります。子供ながらに「触れてはいけない」と思うのでしょう。もちろん、中学生・高校生になっても、もちろん大人でも、「どうしたの?」と聞く方はいます、稀ですが。
 私には「どうしたの?」とたずねる方の方が、実は気を使わなかったりします。目を奪われてしまうのに「言葉にしてはいけない」と耐える子供たちには、「気を使わせてごめんなさい」と、こちらが申し訳なく思えたりもするのです。
 そして、私にとって最も心地良いのは、「どうしたの?」と真っ直ぐに問う、幼い子供たちの反応です。幼い子供たちは、私の傷跡を見つけるとほとんどが、じっと傷跡を見た後に私の顔を見て「どうしたの?」と聞くのです。私はこう答えます、「痛い痛いだよ」。「ふ~ん」と言って終わる子や、傷跡を触って「痛い?」と改めて聞く子もいます。そんな子には、「もう痛くないよ」と答えます。すると真剣だった顔がパッと明るくなったり、にっこり微笑んだりして、小さな彼らの興味は終わります。彼らの第一の興味は、目の前にある「見たことのないもの」に対してであり、次の興味はそれが「痛い」か「痛くない」のか、と言うことなのでしょう。彼らには、それが「醜い」か「美しい」か、と言 った類の価値観がまだ無いか、それ程重要ではないものなのだと私は思います。やがて彼らが成長する過程で、様々な環境やご両親をはじめとする周りの人々や、外的な要素によって形成されていくものなのでしょう。

 私にとっては、周囲と自分が、外見や思考に関して同じではないことがあっても特に苦痛ではありません。生まれ持ったのが、そう言う性質なのでしょう。私とは違う性質で私と同じ熱傷を受傷した方は、傷跡に対して私とは違った思いを持ち、違った経験をし、あるいは自ら命を絶ってしまう方も、いらっしゃるかも知れません。その傷の重さは、大きかろうが小さかろうが、それを背負う当事者にしかわからないもの。
 そして、40歳の熱傷患者さんがおっしゃるように、一度、ある程度焼けてしまった皮膚はやはり元通りに戻らないのが現実です。
 願うことは、誰も、特に小さな子供たちが熱傷を受傷することがありませんように、と言うこと。
 救われた命が、出来ることなら「生きてて良かった」と思う人生を送れますように。
この記事のアドレス・・・http://www.wound-treatment.jp/new_2015-10.htm#1009-06:00-8

 「熱傷患者の救命処置」についてのメールです。
 そのような方には、この単純な言葉を差し上げたいと思います。
 「自分はこう考える。でも他人が同じとは限らない」
この記事のアドレス・・・http://www.wound-treatment.jp/new_2015-10.htm#1008-06:00-2

 「熱傷患者の救命処置」についてのメールです。
 なんだかやるせないというか、責任転嫁したい気持ちもわからないでもないですが、ご自身の不満や思いを他人にぶつけるそのぶつけ方や方向が間違っていると思いました。
 本当に苦しんでらっしゃるのかもしれませんが。

 あと、やはりご自身でHPを立ち上げていない、という点で、単に当たり散らしているだけなのでは、という印象も受けた次第です。
この記事のアドレス・・・http://www.wound-treatment.jp/new_2015-10.htm#1008-06:00-3

 「熱傷患者の救命処置」についてのメールです。
 救急医です.
 熱傷患者さんからのメールの記事を読みました.とりあえず行間からはこの方が熱傷(及び植皮術)の後遺症で瘢痕が残り,機能的・審美的に困っているということが読み取れます.happyな気分ではなさそうです.冷静に物事を考えることも難しそうです.まずはカウンセラーによる傾聴や,第三者的な視点で自分自身を捉えてみるよう導いて頂く必要があるのではないでしょうか.
 前向きに生き方を考えたり,熱傷の治療や救命するか否かについて議論したり,医療で機能・審美的側面に介入したりする時期はその後が適切かと.
この記事のアドレス・・・http://www.wound-treatment.jp/new_2015-10.htm#1008-06:00-4

 「熱傷患者の救命処置」についてのメールです。
 救急救命士です。
 彼の好きにすればいいと思います。彼がどう思おうと、何と言おうと勝手です。
 ただし、必死で生きたい人もいます。元の生活に戻れるように必死でリハビリに励む方もいます。医療者も必死で支えています。そんな方の気持ちを汲むことができず、冷笑的で答えの出ない文句。
 彼も苦しんでいるのかも知れませんが、夏井先生に絡むのはお門違いです。
 辛いなら辛いと正直に言う方が彼は救われると思います。
この記事のアドレス・・・http://www.wound-treatment.jp/new_2015-10.htm#1008-06:00-5

 「熱傷患者の救命処置」についてのメールです。
 獣医師です。
 この方の熱傷についてはどの程度で、今までどのような苦しみがあったのかわかりませんが、このように書くからには想像を絶する苦難があったのでしょう。
 ただその怒りの矛先を夏井先生に持ってくるのがわかりません。
 湿潤療法は少しでも早く苦痛を取り除き、痕も残らないように、いうなれば患者さんに優しい治療です。
 それを提唱し実践している先生は救世主のはずです。今まで植皮しかないと言われた方々を何人救って来たのか。
 今日の症例にもあった3歳の女の子。もし初めから夏井先生にかかっていればあのようにならずに済んだでしょう。この先思春期を迎え、恋の季節になった時を考えるとこの子苦悩は察するに余りあります。娘を持つ身として他人事ではありません。
 だからこそもっと広く湿潤療法を知らしめればこうした悲劇が少なくなるということに気づかないのでしょうか。

 確かに私は安楽死が人道上必要とは思いますが、それは法律論なので夏井先生に矛先を向けても仕方ないこと。
 それよりも夏井先生の診察を受けて暗かった顔が帰る時には笑顔になったという症例がたくさん紹介されているのに、他の旧態依然とした治療で不幸になった症例をなぜ先生が謝らなければならないのか。
 そういうクレームは熱傷学会へでも持ち込んでください。

 もしかしたら自分の火傷の時に湿潤療法に出会えなかったことへの悔しさかもしれません(ご本人の責任ではありませんが)。お気の毒ですとしか言いようがありません。
この記事のアドレス・・・http://www.wound-treatment.jp/new_2015-10.htm#1008-06:00-6

 「熱傷患者の救命処置」についてのメールです。
 投稿者のバックグラウンドが不明ですのではっきりしませんが、夏井先生に限らず目の前に瀕死の人がいれば、どうにかして救命をはかろうとするのが医師の本能だと思います。
 その後、容貌の劣化、QOLの低下、様々な後遺症が想定されたとしてもそれが医師でしょう。
この記事のアドレス・・・http://www.wound-treatment.jp/new_2015-10.htm#1008-06:00-8

 「熱傷患者の救命処置」についてのメールです。
 整形外科医です。
 この方は全身にひどいやけどを負ってしまい、そのせいで今までたくさんつらいこと悲しいことがあり、医師を逆恨みするようになったのでしょう。

 医師には本人が望む望まないにかかわらず患者を助ける義務があります。自殺に失敗して運ばれてきた患者さんも助けます。
 夏井先生に因縁をつける暇があったら、国会議員になって、「全身の○%以上のやけどをした人は救命してはいけない」という法律を作ったらいいと思います。
 まあでも、今回のメールはアクセス数がダントツに多い夏井先生のウェブサイトを利用して、自分の主張を世間に知ってほしいという思いで書いたのかもしれませんね。

 湿潤療法ならば植皮による熱傷治療よりは傷跡はきれいに治ります。湿潤療法を広げることでこの方のようなつらい思いしている人を少しでも減らしていくことが、私たちにできることなのではないでしょうか。
この記事のアドレス・・・http://www.wound-treatment.jp/new_2015-10.htm#1008-06:00-10

 「熱傷患者の救命処置」についてのメールです。
 この方(仮にAさん)の述べていることについて、どう考えるのか。
 それは賛否両論千差万別で、論議の集約点はありません。なぜなら、Aさんのメールには、ご本人の信念しか述べられていないからです。
 熱傷治療についての事実とそれに基づく見解については、議論のしようがあります。しかし、Aさん御自身の体験とそれに基づく信念については、誰も肯定も否定もできないものです。もし、話し合えば、国会で見るように、信念の相違だけが露わになる形にしかなりません。

 夏井先生はAさんとは他人の関係ですから、万が一答えるとすれば、「そのご意見はAさんの治療をなさった医師に向けるべきものです。」としか言いようがありません。
この記事のアドレス・・・http://www.wound-treatment.jp/new_2015-10.htm#1008-06:00-11

 「医者が熱傷患者の救命措置をするのはおかしい。患者が苦しむだけだ」という40歳の熱傷患者さん(小児期に広範熱傷で植皮術を受けている)からの「熱傷治療をしている夏井は謝罪しろ」というメール。みなさまはどう思われますか?
 植皮の話ではないんですよ。
 熱傷患者を救命することこそ、クソなんですよ。(笑)
 もう、全身火傷を負った時点で、どの程度、痕が残るか、大体、分かるでしょう? つまり、あなたの言葉を借りるならば、熱傷で救命されてしまうと、それを元通りにする手段はないのですよ。
 だから、熱傷患者を救命するのは最悪の行為である。だから、本人の意思を無視して救命するのならば、その後に死ぬ権利も与えるべきである。海外で安楽死できるなら、それもよしです。

 私はこの主張を「火傷の広場」でずっと書き続けてきました。
 自身のホームページ 開設には至っていませんが、これらのことを世間に伝えるべきではあるでしょう。
 黙っている人が多いですが、火傷体験者は納得はしていないと思います。もちろん、自殺された方も大勢います。

 あなただって、火傷患者の救命行為を行っているのでしょう?
 罪悪感はないのですか?
この記事のアドレス・・・http://www.wound-treatment.jp/new_2015-10.htm#1007-06:00-5