石岡第一病院では「傷の治療センター」を引き継いでくれる医師を募集しています。
私は湿潤治療のさらなる普及のために,都内の[新・光が丘病院]に異動しますので(石岡第一病院と同じ,地域医療振興協会の病院です),石岡第一病院の先生方から,「傷の治療センターを引き継いでくれる先生はいないだろうか。自分たちも全面バックアップするので是非,センターを続けて欲しい」という声が上がっています。「傷の治療センター」の仕事は次の通りで,外来診療に専念できます。
こんな感じです。これならやってみてもいいかな,という先生がいらっしゃいましたら,メールで連絡いただけましたら幸いに存じます。
私は「日本のどこの病院でもどの医者でも簡単に湿潤治療で傷・やけどを治療している」状態になるのがあたりまえだと思っています。これが私の最終ゴールです。つまり最初から,私しかできない治療にしようとは考えていません。つまり,治療はどこかで私の手を離れなければいけないし,私が死んでも「治療法として独り立ち」していなければ意味がありません。
自分で生み出した治療とは,まさに自分の子供みたいなものです。しかし,子供と決定的に違っていることがあります。子供は成年に達したら親の助けなしに一人で生きていけますが,治療法は最後の最後まで生みの親が育てなければいけない点です。生みの親が死んだと同時に治療法も廃れてしまった,というのでは治療法としては失敗なのです。
私が第一線で仕事をしていられるのはあとわずか10年です。それまでの間に「治療を独り立ち」させないと,いつの間にか自然消滅してしまうかもしれません。あと10年という短い時間の間に治療法を独り立ちさせ,私が死んだあとでも私なしでも生きて行けるように育てないといけないのです。
湿潤治療は秋田県の平鹿総合病院で産声を上げ,山形市立病院,松本の相澤病院で次第に成長し,石岡の地ですくすく育ちました。5年間,ここで仕事をしてきましたから,このままあと10年,仕事を続けるという選択肢もあります。
しかしそれでは,「湿潤治療を取り巻く環境」に変化はないかもしれません。「環境」を変えない限り変化が訪れないとすれば,生みの親も一緒により新しい環境に踏み出さなければならないはずです。年齢的に今回は,新たな環境に移動するラストチャンスでしょう。
多分これは,死神が速いか私のほうが速いかというレースです。死神というラスボスより先にゴールに飛び込むためには,一歩でも半歩でも先に走りだすしかありません。
(2011/09/21)