創傷治療の歴史的変遷/ 新たな発想-湿潤環境での創傷治癒-/ 創を覆うものは浸出液のみである/ 創を閉鎖して感染は増えないのか?/ 湿潤療法と細胞成長因子/ 膿みたいに見えるんだけど・・・/ 湿潤治療の説明のコツ:その1/ 湿潤治療の説明のコツ:その2/ 湿潤療法:医師・看護師を説得するためには -人力車と自動車-/ 人力車医者からの反論・・・そして反撃/ 過湿潤は上皮化を遅らせるのか? 仮説提案/ 鳥谷部先生とラップと私の関係
怪我をすると痛いし,血も出る。放っておくと膿が出てきてズキズキと痛くなる。これじゃ困る,ってんで傷口を何かで覆うことを考える。この傷口を覆うものを総称して「ドレッシング」と呼ぶ(ちなみに,料理のドレッシングも同じ語源らしい)。
ちなみに,本邦におけるドレッシングの歴史は古く,因幡の白兎の皮膚欠損創をガマの穂で覆ったオオクニヌシノミコトが文献的に最も古い治療例とされる・・・らしい・・・多分。
これまで人類が「傷を覆う」ために使ってきた素材はそれこそ枚挙に暇がない。一番最初はおそらく木の葉・草の葉だったろう。
紀元前25世紀頃のシュメール文字の陶板には蜂蜜と樹脂を混ぜたもので傷を覆ったと書かれているし,古代エジプトのパピルスには蛙の皮膚と獣脂を染み込ませた包帯についての記述があるらしい。
医学の祖,ヒポクラテスは「感染していない傷は何かで覆わずに,乾燥させて痂皮を作ることで速く治癒する」と述べている。「傷は乾燥させる」という迷信の元はヒポクラテスだったんだな。
ローマ時代のケルズス(Celsus,炎症の4徴候を記述した人)は,新鮮外傷はワインなどで洗った後に膏薬を用い,慢性潰瘍には蜂蜜と包帯の治療を提唱。ガレヌス(Galen)はワインを染み込ませた布で傷を覆うことを提唱するなど,今日の「湿潤環境による創傷治癒促進」を思わせる治療について説明しているが,,一方で,傷に塗るものとして豚のフン,沸騰した油(!)などとんでもないことまで記述している。ちなみに以後1500年間にわたり,こういう治療法が無批判に信じられ,続けられることになる。まさに暗黒時代である。
ルネッサンス期のパラケルズス(Paracelcus)は,それまで行われてきた「銃創には沸騰した油を」という「常識」に疑問を提唱。卵白とバラ油とテレピン油で処置することで痛みもなく化膿することもなく治癒することを示した。
18世紀半ばのVillarsはワックス,テレピン油による軟膏と頻回のドレッシング交換で傷の化膿が防げることを示した。
19世紀半ば,産婦人科医のゼンメルワイス(Simmelweiss)は,当時,高い死亡率で恐れられた「産褥熱(出産後に高熱がでる状態)」について考察し,医者の手に何かがくっついていて,それが患者に移り,高熱が出て膿が出るのだろうと考え,「赤ん坊を取り上げる前には必ず手を洗うこと」と提唱し,産褥熱の発生が劇的に下げられることを示した。
しかし,当時の医学界はその成果を賞賛し・・・とはならず,「手を洗うなんて面倒。医者の手に何かがくっついているなんてナンセンス。あいつは馬鹿じゃないのか?」と冷笑され,無視され,挙句の果てに彼は病院を追われ,最後は発狂して悲惨な末路をたどる。
もちろん,ゼンメルワイスの考えは全面的に正しく,今日でも「何かする前,何かした後には必ず手洗い」は感染予防の王道とされている。ゼンメルワイスの不幸は30年ほど早く生まれてしまったことだろう。彼は「医者の手にくっついている何か」の正体がわからず,それを論理的に説明できなかったのだ。
彼の考えの正しさは,30年後,ロベルト・コッホとパスツールによって証明されることになる。
科学的な創感染の予防策を提唱したのはリスター(Lister)で,医学雑誌Lancet(現在でも出版されている一流誌)に「石炭酸に浸したリント布で傷を覆うと傷が化膿しない」と発表。時に1867年。
同時代のパスツールによる「腐敗と細菌の関係」の発見,コッホによる「病原菌と病気の関係」の発見などが相次いだことから,次第にリスターの説は医学界全体に受け入れられるようになった。
そしてこの頃から「消毒薬と何かの油類」による材料が次々開発されるようになり(ちなみに当時は「消毒」でなく,防腐法と呼ばれていた),「創傷被覆と乾燥状態の維持」が創傷管理の二大コンセプトとなった。これは20世紀後半まで唯一の方法として信じられることになる。
それ以後,手術材料やドレッシング材は滅菌処理したものを使うことが普通になり,傷を覆うドレッシング材としてリント布,麻,脱脂綿が用いられるようになった。
創傷治療という点で,最もエポックメイキングであったリスターの治療法(リスター主義と呼ばれた)を今日的な創傷治療の面から見直すと,その基本理念は「創傷管理=感染予防」だろうと思う。つまり,感染さえ抑えられたら傷は治癒するというものだ。
当時,ちょっと深い傷は必ず感染していたわけで,そのための敗血症による死亡率も極めて高かったことを考えると,当然の発想だろう。従ってリスターは,「創面にいる細菌を除去し」「外から入り込む細菌を防ぎ」「創面にいる細菌が増えないように乾燥させる」ことを目的に,上記の治療法を考案した。彼の示した圧倒的な治療効果は彼の考えを批判する勢力を次第に駆逐し,リスター主義を厳密に行うことが一流の臨床医の証とされるようになった。
このリスターの方法,すなわち「傷は消毒して乾かさないと治らない」という考えが19世紀後半から一般に普及し,それが21世紀の今日まで続いているわけである。
なお上記を書くにあたり,『ドレッシング 新しい創傷管理』,『近代外科のあけぼの』を参考にした。
(2001/10/17)
前項で述べたように,リスターの治療法(乾燥ドレッシング -化膿を防ぎつつ,痂皮を作らせて治癒させる-)は劇的に創傷治療を変えたが,更にそれを根本から覆す「湿潤環境(つまり,傷を乾燥させない,ガーゼを当てない)治療」はどのような過程から生まれたかをまとめてみる。
もっとも速い時期の報告は,1958年のOdlandによる「熱傷は水疱を破らずに,そのままにしておいた方が速く治癒する」というものだった。それまでは「熱傷の水疱は早く取り除き,乾燥させないと治らない」と信じられていたのだから,当時の常識を真っ向から覆す報告だった。
次いで1962年,Winterが豚の皮膚欠損創に対し,ポリエチレンフィルムで覆った場合と,乾燥させて痂皮を作らせた場合を比較し,前者が後者より遥かに速く治ることを報告。その後,人間でも同じ結果が報告された。ここで「傷は乾かさず,湿潤環境で治癒する」ことが確立された。
このあたりから,傷が治るとはどういう現象なのか,傷ついた組織はどのように修復されるのか,各種の細胞はどのように連携しあっているのか・・・などについての基礎的報告が相次ぐことになる。
1970年代初め,Roveeが,湿潤環境で創周囲の皮膚から上皮細胞が移動することで上皮が再生することを証明。
その後,各種の細胞の役割,各種のサイトカイン,Growth Factorの働きが明らかにされ,基礎的研究からも「湿潤環境を保つために何かで創を閉鎖する」治療法の正しさが証明された。
これらの知識を元に,創傷治癒に最善の環境を提供する「創傷被覆材」が開発されることになる。
創傷被覆材としてもっとも速く製品化されたのが,1971年に発売されたポリウレタンのフィルムドレッシング。その後,親水ポリマーを主成分とするハイドロコロイド・ドレッシングが1983年に発売され(人工肛門用の接着材料としてはそれ以前から使われていた),その後,アルギン酸塩被覆材など多数の創傷被覆材が開発されることになった。
従来使われてきたガーゼや綿などの旧@被覆材は単に「傷を覆うもの」という消極的な意味しかもっていなかったが,これから述べる創傷被覆材は「傷を覆う」という意味以上に,「傷を速く治す」という積極的な意味を持っているのである。それはいわば,攻撃型の治療材料なのである。
(2001/10/24)
湿潤治療の本質とは何か。それは「創面を湿潤に保つ」ことである。湿潤に保てるのであれば,その手段は何だっていい。被覆材を使ってもいいし,食品包装用ラップでもいい。ガーゼの表面にオプサイトなどのフィルムを貼付してツルツルにし,それで創を覆ってもよい。ガーゼの替わりに紙おむつを選んでその表面にフィルムを貼付すれば,浸出液が多い創に非常に有用だ(この方法は鳥谷部先生のサイトで詳しく紹介されている)。浸出液が多くて創周囲の皮膚にアセモができる場合,台所用の「穴あきポリ袋」がとてもよい。これで創を覆い,その上に紙おむつを当てれば完璧である。
だから創を密封する必要もない。創を密封しなければ創面が湿潤に保たれないのであれば密封するし,密封しなくても湿潤に保てるのであれば密封は不要だ。
浸出液が多い創(例:黄色期の褥瘡)であれば,創に直接ガーゼを当てようが紙おむつを当てようが,創面は湿潤に保たれて乾燥する事はない。
逆に,浸出液が少ない時にガーゼを当てると乾燥するから,その場合はラップや被覆材になる。
口唇のように被覆材が張れない場合は,口内炎用の軟膏を頻回に塗布させればいいし,あるいは一日中,唇を舐め回してもらってもいい(通常はそれが面倒なので油脂性基剤の軟膏を塗布する)。
頭皮挫創でも軟膏塗布でよい。この時,塗布の回数を質問するのもナンセンス。乾かないようにすればいいのだから,一日に3回でも乾燥しなければそれでいいし,6回塗布しても乾いてしまう場合は7回でも8回でも塗布すべきだ。要するにそれは,温度と湿度の問題である。患者さんが自分で決めればいいことであって,医者に決めてもらうことではない。
このように考えると,創面を直接覆うものは「浸出液のみ」でいいということに気がつくはずだ。要するに,創面がしっとりと浸出液で覆われていれば,その上に空気があろうと被覆材があろうとラップがあろうと問題にはならない。だから,創面に被覆材が直接あたっている必要もない。
陥凹している創面に被覆材を貼付するように工夫する必要もない(例:ハイドロサイトに渦巻きの切れ込みを入れる)し,浸出液が創面を覆っていれば,あとはそれが蒸発しないようになっていればいい。だから,たとえば術後の創離開で深い陥凹になっていても,それを覆うのは「オプサイトを貼付した紙おむつ」だけでいいし,なにもハイドロゲルなどを詰め込む必要はない。「オプサイト貼付紙おむつ」を作るのが面倒だったらポリウレタンフォームをポンと載せて絆創膏固定すればいいし,ラップを張ってもいいだろう。
同様に,深いポケットに軟膏ガーゼを詰め込むのも不要である。創面を軟膏で覆うことがそもそも不要だからだ。
最近,鳥谷部先生がドレッシングを
「創面は医療材料で覆われていなければいけないはずだ」という考えの呪縛はかなり強烈である。事実私も,この呪縛から完全に逃れたのはここ数年だ。それまでは被覆材を創面に直接接触させるためにいろいろな工夫をしてきたからだ。しかし,「創面を覆うものは浸出液のみでよい。医療材料が創面に触れている必要性はない」ことに気がつくと,いろいろな発想が生まれるようになったし,治療材料や治療方法に拘泥することがなくなってきた。
そしてこのようなことに気づくと,創傷被覆材を創面に貼付していても,実は被覆材は創面に接していないことがわかってくる。この場合,創面を覆っているのは浸出液であり,被覆材は創面に直接触れているわけではない。もしも直接触れていたら,それは被覆材が浸出液を完全に吸収していることを意味し,この場合,創面は乾燥していることになり,創治癒は望めないことになる。
「創面を覆っている被覆材は,創面に直接触れていない。直接触れてている状態だったら,創面は乾燥している」ことに気がつくと,「褥瘡のラップ療法」の本質が見えてくるし,この治療に対する日本褥瘡学会の反発が全く的外れであり,感情的なものでしかないことが明らかになる。
「褥瘡のラップ療法」に対する日本褥瘡学会の攻撃を見ていると,彼らは「創面は医療材料で覆われていけないはずだ」という呪縛から逃れていないから,「創面を食品包装用ラップで覆うなんてもってのほか」と攻撃していることが見えてくる。
ちょっと考えればわかるが,ラップ療法でのラップはあくまでも「創面を浸出液が覆う」のを助けているだけであり,創面に触れているのは浸出液だけである。ラップは直接触れていない(浸出液が覆っているのだから,ラップが触れる余地はない。これは初歩的理科である)のである。ラップは単に,乾燥を防いでいるだけの補助的役割でしかない。だから「ラップを使っているから治療ではない」というのは,単なる勘違いである。
要するに,ラップであろうと被覆材であろうと台所用の穴あき水切りポリ袋であろうと,治療の本質は同じなのだ。どれもこれも,「浸出液が創面を覆う」ことを助けているだけであり,それ以上でもそれ以下でもない。
「創面を覆うものは浸出液だけでよい」ことが理解できれば,「外傷の湿潤治療」「褥創のラップ療法」の本質が見えてくるはずだ。
(2005/05/27)
皮膚欠損創を創傷被覆材で密封すると,驚異的に速い創治癒が得られることは実例をあげて説明したが,このような「閉鎖療法」を説明すると必ず,「密封することでかえって細菌が増えるのでないか」,「密封すると嫌気性菌が増えるのでないか」という疑問が出る。
講演会などでも真っ先に出る質問の一つだ。
だが,これまで,「密封することで感染が増えた」という報告は一つもないのだ。むしろ,「開放治療と密封治療を比較すると,後者のほうが感染率が低い」という報告しかない。最近,EBM,つまり「証拠に基づいた医療」の重要性が言われるようになってきたが,まさに「密封することで創は速く治癒し,感染も少ない」というEvidence(証拠)しかないのである。
閉鎖療法を行っている創面の細菌叢に関する報告は多いが,「ハイドロコロイドで閉鎖した創面の細菌は,表皮ブドウ球菌がほとんど」という報告ばかりで,嫌気性菌が多数検出されたという報告はない。半透過性フィルムと閉塞性ドレッシングでは,後者のほうがブドウ球菌の増殖が少ない,というデータもある。
なぜ,創面を密封すると感染が少なく,創治癒が速いのだろうか?
創を閉鎖することで起こる,創面の変化は次の3つになる。
1. 温度
好中球などの異物や細菌を貪食する細胞にとって,温度が低化すると貪食機能も低化するとともに細胞分裂も制限され,28℃以下になると著しく障害される。また創傷治癒において中心的な役割を果たすマクロファージにしても,体温と同じ程度の温度でないと正常に活動できないこともわかっている。
ガーゼで創面を覆った場合,創面の温度は25度程度まで低化するが,ポリウレタンフォームで創面を覆った場合,30℃以上に保たれるというデータがある。すなわち,被覆材で創を覆うと温度が保たれることになり,創感染抑制に有利になる(勿論,細菌の増殖にとっても温度が高いほうが有利なわけだが・・・)。
2. pHの低下
ハイドロコロイドなどで創を被覆すると組織のpHが6前後に低化するが(ハイドロコロイドの持つ緩衝作用によりpHが低下する),逆に創を開放にしておくと呼吸性アルカローシスになり,組織のpHは8前後になる。
貪食細胞の活動は低いpHで活性化し,細菌の繁殖を抑えるほうに作用する。また,pHの低化は創傷面で産生されるアンモニア(組織障害性を持つ)の発生も抑えるため,これも創傷治癒を促進させることになる。創を開放するのでなく,密封したほうが良いというのはこれらからも明らかだ。
3. 低酸素化
そして低酸素だがこれはちょっと複雑。まず,上皮細胞は酸素濃度が高いほうが増殖に有利とされる。一方,低酸素状態になると血管新性が促進され,組織に供給される細胞は増加することになる。線維芽細胞を見ると,酸素濃度があまり高いと活動が鈍くなる(酸素中毒)。白血球の酸素依存性の殺菌効果を発揮するには多くの酸素が必要となる。
つまり,上皮細胞と好中球では酸素濃度が高いほうが有利であり,線維芽細胞や血管新性にとっては酸素濃度が低いほうが有利ということになる。
だが,閉鎖環境(=低酸素状態)の方が創傷治癒も速いし,創面の細菌数も少なくなるという事実から,低酸素状態が不利に働いていないことがわかる。
これは,上述の温度やPHの低化のすべてが閉鎖環境において成立していることを考えて,低酸素状況がもたらす上皮細胞と好中球の活動低化というデメリットを凌駕しているためと考えられる。少なくとも,閉鎖療法が提供する湿潤環境が保たれている限り,低酸素状態は創傷治癒にとって好ましいものなのだろう。
要するに,創面に多少細菌がいたとしても,その細菌の増殖を上回るスピードで創の上皮化が起こってしまえば細菌は自然に排除されるということなのだろう。閉鎖環境がもたらす低酸素化は好中球による殺菌には不利に働くため,嫌気性菌が増殖しやすくなるように思われるが,実際にそれを裏付けるデータが全くないというのは,閉鎖環境下での創傷治癒が多少の細菌の存在など問題にしないほどのスピードで進行することを意味しているように思われる。
(2001/11/12)
「傷が治る」というと簡単に聞こえるが,実はかなり複雑な現象が次々起こることで成立している。例えば,縫合された傷を例に取ると,創面では次のような現象が起こっている(これでもかなり大雑把な説明だが・・・)。
成長因子は主に,血小板とマクロファージが産生する蛋白質で,血小板に作用する成長因子,上皮細胞に作用する成長因子,血管新性に作用する成長因子・・・というようにターゲットとなる細胞ごとに成長因子がある。
ここで面白いのは,低濃度の成長因子はターゲット細胞の遊走に作用し,高濃度の成長因子はその細胞の増殖を促す,ということだ。これは実に合理的といえる。
つまり,最初は成長因子は分泌されたばかりで低濃度なので,これがターゲット細胞の引き金を引き,次第に濃度が高くなると遊走先でそれらの細胞が増殖する,というわけだ。実にうまい仕組みである。
そして考えてみるとわかるが,この「低濃度から高濃度へ」という変化のためには,創が密封されていたほうが有利である。産生される成長因子がどんどん外に流れ出るようでは,いくら待っても「高濃度」にはならず,細胞は遊離するものの増殖への引き金が引かれないことになるからだ。
要するに,閉鎖された環境でこそ,コラーゲン産生も,上皮化も,血管新生もうまく進むのである。そして,ターゲットとなる細胞にとっても,体温により近い温度のほうが遊走にも増殖にも有利なことは常識的にもわかるだろうし,この温度保持が創傷被覆材による閉鎖でもたらされることは前述の通りである。
(2001/11/12)
創傷被覆材で密封療法をしていると,被覆材の下に「いかにも膿」みたいなのがべっとり溜まったりします。色はもろに黄色だし,臭いだってします。被覆材の治療に慣れていないと,「これは膿だ! 化膿している! すぐに消毒して抗生剤だ! 密封なんて即刻止めろ!」と大騒ぎになることでしょう。
実例で言うと,こんな感じです。
1 | 2 |
もちろんこれは間違いです。膿でも化膿しているわけでもありません。例えばハイドロコロイドですが,これは浸出液に触れるとゲル化し,溶けて黄色のドロドロになります。
なぜこれらが「膿」でないかというと,「感染症状(炎症症状)」がないからです。
下に,ドレッシングを剥がし,「膿状物質」を濡れたガーゼで拭き取った状態を示します。
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「膿みたい」と「膿そのもの」には大きな差があります。それなのに被覆材で密封療法をしていると,被覆材の下に溜まっているものは「膿」に非常に似ています。
しかし,両者の違いはあくまでも「炎症症状」の有無です。周囲の皮膚に発赤がなければ,どんなにドロドロしていようとそれは膿ではありません。
傷の状態をきちんと科学的・医学的に判断すること,それが,新しい創傷治療の基本です。
(2002/03/25)
「どうしてもこれまでの治療と180度違うため、患者さんの中には消毒薬の有害性を説明してもどうしても理解していただけない方もいらっしゃいました。何かいい説明方法ってありますか?」というメールも時々いただきますので,私の説得法を伝授します。
「消毒薬による組織障害性」とか「創傷治癒を阻害するとか」といくら説明しても,患者さんは理解してくれません。このように説明しても,患者さんにとって何がメリットであり,何がデメリットなのかがわからないからです。
湿潤療法(うるおい療法,閉鎖療法)にはさまざまなメリットがありますが,患者さんが真っ先に実感するのは「痛くないこと」です。つまり,「痛くないこと」を患者さんに自覚してもらうことが,湿潤療法(うるおい療法,閉鎖療法)の凄さを理解してもらう第一歩です。
まず,受傷当日は患者さんもびっくりしていますから,どさくさにまぎれて「消毒なし,被覆材で密封」します。患者さんは「新しいガーゼだな」くらいにしか思わないはずです。
勝負は翌日です。次の日に外来に来たら,「昨日は痛かった?」と聞いてください。ほぼ間違いなく,「痛くなかった」という答えが返ってくるはずです。この「痛くなかった」を足がかりに,治療法を説明します。
「痛くないの,不思議でしょう? 怪我をしたのに痛くないって経験,ありますか? なぜ痛くないか,その理由,知りたい?」と誘導します。そこで興味を持ってくれそうだったら,
「痛くなかったのは空気に触れないようにしたからなんですよ。空気を遮断する最新の治療材料を使ったから(ここにちょっと,嘘が含まれてるよな),痛くなかったんですね。でも,空気に触れさせたりガーゼをあてたりすると,傷の表面にカサブタができますよね。するとこのカサブタの下に膿が溜まり,それで痛くなっていたんですよ(・・・と,ちょっと問題のある説明だけどさ)。しかも痛いだけじゃなくって,傷の治りも悪くなっていたのです」。
そして,追い討ちをかけるように
「消毒すると,傷にしみるでしょう? 痛かったでしょう? あれは傷口を痛めつけていたから痛かったの。しかも消毒すると,キズが治るのが遅くなるのですよ。痛くて治らない方が良かったら消毒するけど,どうしますか?」ときめの一言!
ここまで言われて,「消毒してください」という患者さんは一人もいないはずです。
そして手の外傷の患者さんだったら「一日手を洗っていないから,気持ち悪いんじゃないですか? 実は,洗ってもいいのです。私も最近知ってびっくりしたんですが(とまた嘘をつく),傷を濡らしちゃいけない,というのはどうも,日本だけの迷信らしいですよ。外国では洗うのが普通なんですよ(と「外国」を持ち出すと説得力がある)。絶対に痛くないから,洗ってみませんか。気持ちいいですし,洗った方が早く治りますよ」と水道に誘導。
まず,キズとは関係のない部分の汚れを洗い落とし,キズの部分に少しずつ水をかけます。恐らくそんなに痛くないはずです。ここでさらに「痛くないでしょう? これが最新理論に基づく(とまた嘘をつく)治療の威力です」と説明。
忙しい外来でそこまで時間をかけて説明できないよ,と言われる先生方もいらっしゃると思いますが,勝負は受傷翌日です。ここで納得してもらえれば,その後の治療は順調に進みます。このタイミングを逃してはいけません。
恐らく,治療が終了する頃には,「このピンクのスポンジ(あるいは「皮膚になじむ絆創膏」)ってすごいんですねぇ。薬局で売っていないんですか? だったらお金を払いますから,一枚余分に下さいよ。子供が怪我したときにこれがあったら,安心ですから」なんて言い出す患者さんも出てくるはずです(私の外来には,こういう患者さんがすごく多い)。
(2002/10/06)
以前,雑誌「クリニシャン」から次のような質問をいただき,書いたことがあります(クリニシャン,2010年7月号)。
水で洗浄し,フィルム材で傷の部分を覆って処置してしまうととても簡単です。しかし年配の方は抵抗を示し,不安がる方が多いので,現場ではとても困惑します。患者さんの不安をなくす説明の方法を教えてください。
以下,私の回答(説明法)です。
湿潤治療(傷を消毒しない,乾燥させない)を患者さんに理解してもらうのはとても簡単です。湿潤治療のメリットを既に患者さんが享受していることに気づかせるだけで十分です。そのメリットとは「痛くないこと」です。「傷が痛くないのって不思議じゃないですか?」と一声かけるだけで,患者さんはこの治療を理解してくれます。
たとえば膝を擦りむいた患者さんが来院したとします。初日は治療について説明せず,血をふき取ってアルギン酸塩被覆材を当て,フィルムで密封するだけです。理論的な話もしません。そして,翌日必ず受診してもらいます。治療について説明するのは必ず翌日にして,初診時には説明しません。理由は以前説明したとおりです。
そして,『さらば消毒とガーゼ 「うるおい治療」が傷を治す』(春秋社)のカラー口絵のページを開いて,写真を見せながら次のように説明します。
まずこれを見てください。転んで足をひどくすりむいた患者さんです | |
これがなんと,3日後にはこんなに治ってしまいます | |
こちらは顔をすりむいた子供さんです | |
こちらも3日後にはきれいに治っていて,傷跡もほとんど残っていません。これって不思議でしょう? なぜ,こんなに早く治るか知りたくありませんか? 治療のコツはまず第一は傷を乾かさないです。なぜかというと,傷を乾かすと痛いからです。あなたの傷も乾かすと痛いです。試しに乾かしてみてもいいですけど,痛いのは嫌ですよね。 |
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そして,傷を乾かすとカサブタになりますが,中にばい菌を残して蓋をするので後で傷が化膿するし,痕も残ります。つまり,カサブタを作っちゃ駄目なんですよ。 では,傷を乾かさないようにするためにはどうしたらいいのか。 |
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これは腕のヤケドの赤ちゃんです。 | |
これもなんと,2週間足らずで治っちゃいます。 | |
どうやって治したかというと,サランラップなどの食品包装用のラップで巻いただけです。なぜラップだけで治るのかというと,ラップは空気を通しません。だから傷がは乾きません。傷が乾かないから痛みがないし,カサブタもできないため速く治ります。 でも,この傷にガーゼを当てるとどうなるでしょうか? ガーゼって空気を通しますよね。だからガーゼを当てると傷が乾きます。だから,傷にガーゼを当てると乾いて痛いのです。しかも,ガーゼは乾いて傷にくっつくので剥がすときにすごく痛いですし,血も出ます。 一方,ラップは傷にくっつかないので剥がす時も痛くありません。 |
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それから,この傷を消毒すると飛び上がるほど痛いと思いませんか? 実際に消毒してみるとわかりますが,本当に痛いです。あなたの傷も消毒してみましょうか? 嫌ですよね。 なぜ痛いのかというと,消毒すると傷が深くなるから痛いのです。 治療の第二のポイントは「消毒なんて止めちゃえ!」です。傷口のバイキンは洗えば落ちますから,消毒でなくて水道水で洗えば傷はきれいになります。 |
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もちろんラップでも治療できますが,ラップには欠点があります。汗疹を作りやすいことです。 それで,ここではこのプラスモイストという治療材料で治療します。これは汗や血液は吸い取るので汗疹はできず,また,水分の蒸発を防ぐので傷も乾きません。そして何より,傷にくっつかないので剥がす時に痛くありません。 治療は「洗ってこのシートを張り替える」だけと簡単なので,病院には毎日来る必要はなく,週に2回くらい通院するだけで大丈夫です。ちなみに,このプラスモイストは病院の売店で売っているので,病院に来なくてもきちんと治療できます。 もちろん,自分で治療をするのは不安,病院に来たほうが安心という場合は,毎日通院してもいいですよ。 |
(2011/04/26)
「傷は乾かさない,消毒はしなくていい(しない方がいい)と,医者(あるいは目上の看護師)に説明しても全く相手にしてもらえず,理解して貰えません。何かいい方法がありますか?」という相談もよく受ける。同じような悩みを抱える看護師,医師も多いと思うので,ちょっとアドバイス。
こういう新しい知識を説明する時に「こっちの方が科学的(医学的)に正しいから」とか「新しい理論だから」と始めるのは一番まずいやり方だ。それまでのやり方を変えようと言う時に,「あんたのやり方は間違っているから,正しい方法にしましょう」と言われれば,だれだってカチンと来るし,人によっては意固地になるだけだろう。つまり,正しさを全面に出すのは戦略的にまずいやり方だ。
しかもまずい事に(?),傷は消毒してガーゼをあてていても(いつかは)治ってしまう。つまり「消毒してガーゼ」の医師や看護師にその方法は間違っていると言っても「今までこの方法で治ってきたし,何の不都合もない。何で今更変える必要があるのだ」と反論されるのが関の山だ。
こういう考えを論破するのはかなり大変だろう。
これはちょうど,人力車しか知らない明治初期の人間に,車が便利だから人力車から車に替えましょう,といっているようなものだ。人力車しか知らない人に人力車よりいい方法があると説明したって,わかってもらえるだろうか?
恐らく彼は言うだろう,「人力車は駕籠より便利で速いし,もちろん歩くよりも速くて疲れない。こんな便利なものがあるか。それが不便な乗り物だなんて信じられない。お前は嘘を言っている」と・・・。
つまり,人力車しか知らなければ人力車で十分便利だし,不満に思う事もないだろう。不満がないのに別のものに替える必要はない。
だがしかし,これはあくまでも人力車しか知らない時だけだ。こういう人間に車が走っているところを見せ,実際に乗せたらどうだろうか。多分,人力車の方が便利だとは二度と言わないし,人力車の方がいいとは言わないだろう。
こういう風に喩えては失礼かもしれないが,「消毒してガーゼをあてて現実に傷が治っているのだから,それでいいではないか」と考えている医師・看護師は要するに,人力車しか知らない明治初期の日本人と同じなのである(ううむ,我ながら失礼な喩えである)。人力車(=消毒とガーゼ)しか知らないから,あるいは他にもっと速い乗り物がある事は知らないから,人力車で十分に満足しているだけなのである。比較対照がなければ,人はそれに満足したままだ。
つまり,人力車しか知らない人にいきなり「人力車は遅いし不便だし,自動車が普及すれば忘れられる存在です。だから人力車を止めましょう」と説得しても無駄である。
ましてや,人力車時代の人にいきなり,車の構造を説明したり,エンジンの構造を説明しても理解してもらえないのは当たり前だ。要するにこれが「創傷治癒のメカニズム」とか「消毒薬の組織傷害性」を論拠に「人力車医者」を説得するのに相当する。当然,説明するだけ無駄である。
人力車医者に車(=湿潤療法(うるおい療法,閉鎖療法))の威力をわかってもらうには,車の構造でなく,実際の走るスピードを見せつけるしかない。そうやって世の中には人力車より速い乗り物があり,スピード以外の点でももっと便利だと理解してもらえるはずだ。
車の構造を説明するのはその後でいいのだ。
新しい治療法の有用性を理解して貰うには,具体的な治療法のメリット,効果を見せるしかない。理論的背景はその次でいい。とにかく具体的な成果を提示することだ。遠回りのようで実はこれが一番近道だ。
全てそうだと思うが,物事は正しいから普及するわけではない。便利であり,メリットがあるから普及するのだ。理論的な説明が十分でなくても,実際の生活に役立つのであればそれは必ず普及する。逆に,いくら正しい理論に基づいていても,それが実際上のメリットを有しなければ普及させる事は難しい。
(2002/10/21)
「このサイトを知人の医師(複数)に紹介したところ,次のような疑問,反論がありました」というメールをいただきました。これ以外にも反論などをいただいておりますので,まとめて反撃させていただきます。
まず,これらの反論をまとめると次のようなものになります。
ううむ,見事なまでに「人力車医者」ですねぇ。情けないような反応です。
これを「人力車と車」に言い換えてみるとよくわかります。
こう置き換えてみると,この反論のどこがおかしいか,一目瞭然でしょう? 一応,解説も書いときましょう。
これは喩えると,毒物が入っているとわかっている料理を「客が食べたがっているから」という理由で出し続けている料理人みたいなものです。こういう料理人(医者)にはこういってやりましょう。「なら,あんたがまずその料理を食え!(あんたが怪我をしたら,傷口にイソジンをたっぷり塗りこんでやり,次の日にガーゼを思いっきり剥してやるからな! その時泣くなよ!)」。
でも,この目的のためだったら何もガーゼでなくてもいいわけで,ティッシュペーパーで傷を隠してもいいはずです。つまり,ガーゼの優位性を示す言い訳にはなっていません。
それよりも,このお医者様には,感染している膿と,感染していない単なる浸出液の区別がついているのか,そちらの方が心配になります。
第一,私はこのサイトで「皮膚欠損創の被覆材料としてのガーゼの問題点」を論じているのに,「水分吸収材料としてのガーゼ」を持ち出すのは,姑息な論点すり替えのような気がします。
こういうタイプのお医者様は,中国製痩せ薬も覚醒剤も,有害ではないと認識されているようです。多分,嫌煙権運動に対し,タバコは無害だというデータを集めてくれるのは,こういうタイプのお医者様かもしれません。
しかし,「外傷治療に湿潤療法(うるおい療法,閉鎖療法)」というのは今まで,ごく単発的な発表があるだけで,それを系統的に治療に応用しようとか,どういう医療材料で閉鎖すると創傷が早く治るかとか,治療する際に何に気をつけたらいいかとか,そういう論文はありません。私がこのサイトを作るまでは,外傷の湿潤療法(うるおい療法,閉鎖療法)とは,個々の医者がひっそりと行っている治療でした。
名著『ドレッシング』にも,外傷での湿潤療法(うるおい療法,閉鎖療法)の有用性は書かれていますが,それはあくまでも治療原理だけの提示ですし,この本だけで実際の治療を始めようとすると途方に暮れてしまいます。
私がこのサイトを作り始めたのは,その「湿潤療法(うるおい療法,閉鎖療法)を実際に行うためのノウハウ」を公開し,共有するためです。ですから別に「新しい創傷治療」でも「これからの創傷治療」でも「ちょっとましな創傷治療」でもタイトルはよかったのです。
また,私がこういう治療を最初に考案した,なんて主張する気も毛頭ありません。
私がなぜこのサイトを作っているかというと,湿潤療法(うるおい療法,閉鎖療法)が「痛みのない外傷治療」を実現するものだからです。そしてその補助手段として,現在手に入る医療材料では創傷被覆材が最適だからです。
なぜ,「消毒とガーゼ」を攻撃しているかというと,それが明らかに患者さんの害になっていることがわかったからです。
それが患者さんに対して有害な行為だとわかったのに,それを患者さんに行う勇気は私はありません。私にとって「傷を消毒する」のは,患者さんに毒を盛るのと同じ行為です。臆病な私には,それができません。
私の治療原理はきわめて簡単です。「患者さんに害になる行為はしない」,それだけです。
(2002/10/30)
【上皮化が遅れる創とは?】
湿潤治療をしていると,大体の場合は何事もなく上皮化が順調に進む。順調に治っていく肉芽はだいたい同じような外見をしていて,引き締まっていて平坦で,きれいなピンク色で適度に湿っている。いかにも「健康な肉芽」という感じである。
しかし,往々にして,適切に湿潤治療をしているのに肉芽面の上皮化が遅れる場合がある。臨床的には大抵それは次の二つだ。いかにも「病的肉芽」という感じだ。前者に対しては肉芽の切除,あるいはステロイド軟膏塗布を行うことで上皮化が再開するが,後者は時に治療に難渋する。こういう症例にぶつかると,「湿潤状態でしか創傷治癒が起こらないといっても,過剰な湿潤状態では創傷治癒は阻害されるんだろうな。水分量をコントロールしたら,また治癒が再開するんじゃないだろうか?」と考えたくなる。
- 過剰肉芽(肉芽面が周囲の皮膚より盛り上がっている)
- 肉芽がブヨブヨして水っぽい
この「過剰湿潤で創傷治癒は遅れるのか」という命題について思考実験をしてみた。
【基本的な事実,基本的な考え方】
肉芽面の上皮化は肉芽上に遊走してきたケラチノサイト(角化細胞,表皮細胞)が細胞分裂して増殖することで起こる。つまり基本的には細胞培養と同じである。
細胞分裂には大量のATP,すなわちエネルギーが必要である。つまり,ケラチノサイトが分裂を続けるためには,常にエネルギー源が供給されなくてはいけない。そのエネルギー源とは何だろうか。
肉芽上のケラチノサイトにとってそれは,肉芽面から分泌される浸出液しかないはずだ。他のルートからはエネルギー源となる物質は供給されないからである。つまり,肉芽の上に遊走してきたケラチノサイトは肉芽側の細胞膜から浸出液を吸収し,分裂のためのエネルギー源としてATPを作り出すわけだ。
しかし一方,肉芽面に生存するのはケラチノサイトだけではなく,細菌・微生物(黄色ブドウ球菌だったり酵母だったり真菌だったりする)が必ず定着する。恐らく,浸出液の性状(タンパク質の組成と濃度,各種イオンの濃度,pHなど)にもっとも生育条件の合致したものがコロニーを作るはずだ。つまり,浸出液は細菌や微生物にとってもエネルギー源となる。
ここで一つの疑問が浮かぶ。「浸出液(=エネルギー源)をめぐってケラチノサイトと細菌・微生物は競合関係にあるのか」という疑問でる。浸出液の量が有限である以上,恐らく競合関係が成立しそうだ。もしも本当に競合しているのであれば,これも上皮化の遅れの原因になるかもしれない。
上皮化が「肉芽面でのケラチノサイトの分裂」である以上,上皮化遅延についてはこれらの問題を多角的に考える必要があるはずだ。
【5つの仮説】
肉芽上でのケラチノサイト分裂(=上皮化)が遅れる原因としては次の仮説を考えついた・・・というか,これしか思いつかない。
- ケラチノサイトの異常があり,エネルギー源である浸出液が吸収できず,分裂できない。
- ケラチノサイトに異常はないが,肉芽面とケラチノサイトの間に何かが物理的に介在し,浸出液吸収を阻害している。
- 浸出液の性状が変化してしまったため,ケラチノサイトの分裂に最適の環境ではなくなってしまった。
- 細菌がエネルギーを横取りしたため,ケラチノサイトの分裂ができない。
- 肉芽面の細菌がケラチノサイト分裂を阻止する物質を産生している。
(2010/04/15)
私の記憶が確かなうちに,「私の側から見た鳥谷部先生とラップ療法」について事実関係をまとめておこうと思う。
私が最初に創傷被覆材で外傷治療を行ったのは1996年9月頃(秋田県の病院に勤務していた),最初にインターネットで「創傷治癒の新しい知識」について書いたのが1999年,そして「新しい創傷治療」というサイトを開設したのは2001年10月1日である(山形の病院に勤務していた)。
ちなみに,私が一番最初のインターネットサイト『超絶技巧的ピアノ編曲の世界 ー体育会系ピアニズムの系譜ー』を開設したのは1996年10月で,当時は個人のインターネットサイト自体が珍しく,ホームページ作成ソフトも市販されていなかったと記憶している(少なくとも,使い物になるソフトは市販されていなかった。このため,当時から現在にいたるまでエディタでタグを直接入力してサイトを運営している)。さらに言えば,NifftyやPC-VANが個人向けにインターネット接続サービスを始めたのは1994年である。
鳥谷部先生は1996年(偶然にも私が治療を開始した時期と同じ)に宮城県の病院でふとした思いつきから「褥瘡に食品包装用ラップが使えるんじゃないか」と思いつき,褥瘡にクレラップを張ってみたらしい。また,インターネットサイト「褥瘡のラップ療法」を開設したのも2001年と,これまた偶然にも私のサイト開設と全く同じである。要するに,宮城県で鳥谷部先生が,秋田県で私が,ほぼ同時期に全く別個に全く偶然に似たような治療を始めたのだ。
私と彼は東北大学医学部の先輩・後輩関係にあるが(もちろん私が後輩ね),最初のメールのやりとりは2002年の初めの頃に始まり,直に顔を合わせたのは2002年7月の「仙台褥瘡・創傷セミナー」が最初だった。
ただ正直に言えば,私は「褥瘡のラップ療法」を知った時はさほど興味を持たなかった事は,正直に告白しよう。私の興味の対象はあくまでも外傷だったからだ。当時の私は「創傷被覆材でどのような傷が治せるのか,どのような傷は治せないのか,どのような傷には使えるのか,どのような傷には使ってはいけないのか」という問題に直面していてラップどころではなかったのだ。
なぜかというと,当時は創傷被覆材のメーカー側ですら「外傷に創傷被覆材が使える」ことを知らなかったし,外傷に創傷被覆材を使った文献は世界中でほぼ皆無だった。
そんなことも知らずに創傷被覆材を使った治療を始めてしまった私は,さまざまな問題に直ちに直面してしまい,それらの問題を解決しないことには一歩も先に進めなくなってしまったのだ。
だから,褥瘡に関わっている暇はなかったし,創傷被覆材以外の治療材料について考える余裕もなかったのである。あの当時の私の頭は創傷被覆材で一杯であり,この未知の可能性を秘めた治療材料の限界を探ることで手一杯だった。
もちろん,その頃も褥瘡治療はしていたが,それは日常業務として行っているだけで,すぐに治療結果がでない褥瘡の治療はあまり面白くなかったのが事実だ。外傷治療だと翌日には治療結果が出るが,褥瘡治療はそうではなかったからだ。
ちなみに,山形の病院での褥瘡治療は「最初は創傷被覆材,その後は軟膏ガーゼ」という方針だったと思う。ラップ療法の存在は知っていたが自分でやってみようとは思わなかったからだ(鳥谷部先生,すまぬ!)。当時私は「山形創傷ケア研究会」の設立メンバーであり,創傷治療については積極的に発言していたが,褥瘡治療についてはそれほど熱心ではなかったのだ。
私が褥瘡のラップ療法を始めたのは,2003年4月に相澤病院に移ってからである。私が同院に赴任すると同時に,同院での褥瘡治療を「食品包装用ラップを使ったラップ療法」に全面的に切り替えたからだ。
私が外傷治療に最初に食品包装用ラップを使った日付ははっきりしている。2003年11月10日に前腕熱傷の治療に使ったのが最初であり,2例目の使用は11月21日に肘部の皮膚損傷だった。
褥瘡にラップを使っていても外傷での使用に踏み切るのに数ヶ月かかったのはなぜかというと,各メーカーが持ってきた試供品の創傷被覆材や治療材料が豊富にあって,特にラップを使用する必要性がなかったからだ。しかし,広範囲の深い熱傷を試供品だけで治療するのは無理だったため,しょうがなくラップを使ってみた,というのが真相だったような気がする。
こんな次第で私はラップを熱傷や外傷治療に使い始めたが,鳥谷部先生のラップ療法があったからこそ,ラップ使用に踏み切れたと思っている。もしかしたら,私単独でも「ラップが治療に使えるんじゃないか?」と思い付いたかもしれないが,実際の治療での使用を決断できたかどうかは怪しいものだ。医療材料でないラップを意識ある患者の治療に使うには,並大抵でない勇気が必要だからである。褥瘡にラップを使った先駆者がいたからこそ,私もラップ使用に踏みきれたのだ。
従って,外傷(熱傷・褥瘡を含める)の治療におけるラップの使用は鳥谷部先生が先駆者であり,他の誰でもないことは私が証言する。あの当時,彼以外の誰も,褥瘡治療にラップをつかうという破天荒な発想ができた医者はいなかった。
もちろん,かなり昔から皮膚科ではODT療法としてラップを使われてきたことは周知の事実であるが,それはあくまでも湿疹などの皮膚疾患に限定した使用であり,広範な皮膚欠損,深い皮膚欠損創に対するラップ使用ではない。実際,日常的にラップを皮膚科疾患の治療に使っていた皮膚科医で,褥瘡や外傷にラップを使っていた医者はいなかったと思うし,仮にいたとしても,それを他人に伝えよう,治療として確立しようという意志は持っていなかったのは確かである。
ちなみに,ラップ療法の素材としてなぜポリエチレンがいいのかについて教えてくれたのも鳥谷部先生であり,それは彼が相澤病院にやってきた直後だと記憶している。彼は生来の化学オタクであり,私の目の前で何も見ずにポリエチレンの分子式をスラスラと書き,なぜそれが安全で無害か,燃やしてもダイオキシンなどが発生しないかを教えてくれたのだ。ちなみに私は物理学は好きだが化学はちょっと苦手であり,この時から彼に一目置くようになった。
そういえば,あの頃から鳥谷部先生は「ダイオキシンというのはタンパク質と食塩を一緒に燃やすと発生する物質で,つまり,生物の遺骸が燃えると必ず出る普遍的物質なんだよね。そういう自然の産物を最悪の発ガン物質呼ばわりで騒いでも意味が無いよ」と教えてくれたことを今でも覚えている。当時は「ダイオキシンはもっとも恐ろしい発ガン物質」というマスコミ報道一色で,それを頭から信じていた私は非常にびっくりしたことを告白する。
「化学や物理を基礎から知っていないとこういう発想は出ないな,自分も科学を基礎から勉強し直さなければ鳥谷部の足元にも近寄れない」と考えるようになり,基礎から勉強するようになったのはこの頃である。
ちなみに,当時は「恐怖のダイオキシン」報道一色であり,落ち葉焚きは危険,正月飾りを燃やす地域の風習も危険と,あれもこれも廃止された時期だが,現在,ダイオキシン報道はパッタリと姿を消している。どうやら「ダイオキシンは危険ではなく,最初のデータが間違っていた」かららしい。ちなみに,「ダイオキシンについての最初のデータは間違っていて,実は危険ではない」と報道されたことはないと思う。
この点でも鳥谷部先生は化学の知識を元に事態を正しく分析・認識していたことがわかる。
以上が,私の側からみた「ラップ療法事始め」である。こんなわけで,私はこれまで自分の「ラップを使った外傷・熱傷治療」を「ラップ療法」と呼んだことはないし,今後,呼ぶつもりもない。理由は次の3点である。
ちなみに,私の全国デビューは2001年1月の「小児ストマリハビリ学会 ランチョンセミナー」であるが,全国の医者を相手にしての全国デビューは2002年4月18日の「日本形成外科学会総会 ランチョンセミナー」の講演である。何しろ,田舎の病院の肩書きもない無名の形成外科医が形成外科学会総会で講演するのだから,ものすごいプレッシャーだったことを覚えている。
後で聞くと,同時に6会場でランチョンセミナーが開催されていたらしいが,私のランチョンセミナーの会場は超満員状態で立錐の余地もなかったことを記憶している。しかも,演壇に立つと前方の席は全国の錚々たる形成外科教授たちで埋め尽くされているのだ。それだけでもプレッシャーなのに,目の前にいたのは「学会うるさ方」として知られている福島県立医大の小野一郎教授である。これまで,学会発表のたびに小野教授の鋭い質問に立ち往生した記憶しかない私としては,胃が痛くなるような光景だった。
そして講演が終わり質疑応答に入ったが,真っ先に手を上げて質問したのがこの小野教授だった。どんな質問をしてくるんだろうと,正直,演壇から逃げたくなった。
しかし,彼の言葉は予想を超えていた。私の記憶では次のように話されたと思う。
これほど感銘を受け,これほど感服した発表を聞くのは初めてかもしれません。治療成績も素晴らしければ,理論的にも非の打ち所はないと思います。
実は私も「傷は乾かしてはいけない。消毒はしなくてもいい」ということは知っていましたし,自分でもこういう治療は20年前からしています。しかし,それを他の人に伝えようとは思っていなかったし,他の医者を説得しようとも思っていませんでした。どうやったら彼らにそれを伝えられるかを,そもそも考えていなかったからです。
なるほど,こうやって治療例の経過をきちんと写真で追っていけばいいだけだったのですね。なぜ自分がこれに気がつかなかったのかと悔しいです。
これからもどんどん治療経験を重ねて教えて下さい。今回は質問はありません。
なぜこんなエピソードを引用するのか。小野教授はとても勉強熱心な人なのだが,その彼が2002年4月の時点で「創傷治癒の理論は知っていたが,それを現実の治療に応用していない。応用していたとしても限定的で発表できるものでなかった」と明言しているからだ。つまり,創傷治療のエキスパートであるはずの形成外科の教授ですら,2002年の時点ではこうだったのである。
ちなみに,このセミナーには北大の大浦教授(当時)も参加されていたと記憶するが,「いやいや,私は以前からこういう治療を知っていて,実践していますよ」というような発言をされることはなかったと明記しておこう。
(2010/04/19)