「放物線と水平線で囲まれる図形の面積を求めよ」という問題,高校生なら簡単だろうと思う。積分を使えば簡単に求められる。だが,積分を使わないで,となると話が違ってくる。少なくとも私のレベルでは手も足も出ない難問となる。
この問題をアルキメデスはいとも鮮やかに解いてしまうのだ。彼が使っているのは放物線の基礎的性質,「三角形の重心」,そして「天秤の法則(てこの原理)」である。面積を出すのに「てこの原理」を応用するのだ。この時点で現代の数学好きは目が点になっているはずだ。そんな解法,見たことも聞いたこともないはずだ。少なくとも私はそうだ。「てこの原理」と読んだ瞬間,嘘だと思った。
しかしもちろん,嘘ではない。本書の206ページからアルキメデスの解法が説明されている。これが実に見事なのだ。私はこの解法を理解するのに恥ずかしながら15分ほどかかったが,アルキメデスの鮮やかな論理の展開に感動し,しばし呆然とした。何たる想像力,何たる応用力! この証明だけに触れただけで,この本を買った甲斐があったと思った。
「ヨーロッパの哲学の歴史は,プラトンに対する一連の脚注である」という言葉があるらしい。要するに,アリストテレスら,プラトンの門人たちは,プラトンの議論を論破するか洗練することに力を注ぎ,後の哲学者の議論とは「プラトンを信奉するか,アリストテレスを信奉するか」という議論に帰着してしまうから,と説明されている。
その言葉を受けて本書では,「ヨーロッパの科学の歴史とはアルキメデスに対する一連の脚注からなる」という言葉を提示する。ライプニッツ,ホイヘンス,フェルマー,デカルト,ニュートンなどの連綿と続く科学の体系は,すべてアルキメデスの仕事の証明と一般化と敷衍だったというわけだ。ちょっと褒めすぎという感じもあるが,本書を読んでこれまで知られていいなかったアルキメデス数学が到達した高さを知ると,決してそれが誇張でないことがわかる。彼はまさに,物理の世界に数学を応用した先駆者であり,後年の微積分の基礎概念に通じる実無限の概念にも肉薄していたのだ。
それ以上に感動するのが,アルキメデスの本が21世紀にまで伝えられるに至った経緯だ。それはまさに奇跡の物語であり,偶然の連続によりこの人類の至宝とも言うべき写本が今日に伝えられことに感謝するしかない。つまり本書は,数学部分をすっ飛ばして写本が伝えられ,現代科学により蘇る物語として読んでも十分に面白く(基数章と偶数章がそれぞれに対応しているため,こういう読み方も可能である),それはまさに最高水準の傑作冒険小説に匹敵する。それほど,本書が解き明かす写本の数奇な運命の物語は魅惑的だ。
事の発端は,1998年のクリスティーズのオークションに14世紀頃に書かれた一冊の祈祷書が競売にかけられたことだった。羊皮紙に書かれたその祈祷書は保存状態が悪く,カビが生えて読めないページも多数あった。しかし,その一部にアルキメデスと読めるギリシャ語がかすかに残っていた。もしかしたら,これこそが800年間,歴史から姿を消していたアルキメデスの写本ではないかと話題になり,値がどんどん上がり,結局200万ドルという高額で競り落とされる。しかし,競り落としたのが誰なのかは全く明かされていなかった。
そのニュースを聞いたウォルターズ美術館の学芸員,ウィリアム・ノエルはその祈祷書の落札代理人に,美術館での展示のための貸し出しをしてくれないかと依頼の手紙を出す。もちろん,ダメもとの申し出であり,それが一笑に付されるであろうことは覚悟していた。しかし,落札者はそのずうずうしい申し出を快諾し,さらに,祈祷書に書かれているであろうアルキメデスの文章を解読するための資金提供まで申し出たのだ。巨額の小切手が同封された返信にノエルは驚愕する。落札者は一線から退いたIT関係の大富豪であり,しかも自分の名前が出ることを望まなかった。
だが,祈祷書の解読は困難を極める。何しろ,その祈祷書はパリンプセスト,つまり,古い羊皮紙本をバラバラにし,書かれている文字を一旦すべて削り取り,その上に祈祷文を書いたものだからだ。つまり,アルキメデスの写本のすべてのページが残っている保証はなく,しかも残っていたとしてもページの順番は滅茶苦茶になっているのだ。そのため,紫外線を当てるなどの通常の方法では全く文字は読み取れなかった。
暗礁に乗り上げた解読チームに,思いもかけない方面からの協力の申し出があった。古いインクと,その後の時代に用いられたインク成分の分子組成の違いを原子レベルで見分け,古い文字を浮かび上がらせるという最新機器だった。そしてついに,紀元前3世紀のアルキメデスの科学が2200年の時を超えて,その巨大な姿を現した。そこにはこれまで伝えられなかったアルキメデスの偉大な業績が記され,アルキメデスの類まれな頭脳が到達した高みが明らかになった。
しかし,アルキメデス写本にとって最大の奇跡は,20世紀まで写本が物として残ったことだった。戦争による焼失も所有者宅の火災も水害も免れ,カビが生えることもなく,写本が朽ちる前に新たな写本が作られ続けなければ,アルキメデス写本は現代に伝えられなかったのだ。しかも,写本は写字生が原本を見ながら一字一字を書き写す作業によって作られる。当然,写本が作られた時代には意味が失われている言葉があるだろうし,写字生自身に数学の知識はない。そういう写字生が古いギリシャ語と図形を書き写し,写本が作られたのだ。一字違っただけで意味が異なる場合もあるわけで,現在のコピー機によるコピーとは根本的に違っているのだ。写本が伝わるということがどれほど難しいか,少し考えただけでわかるはずだ。
紀元前3世紀,アルキメデスはエラトステネス(地球の直径を正確に測定した偉大な科学者)にパピルスに書いた一通の書簡と論文を送り,その価値を認めたエラトステネスはそれを神殿に納めた。
当時の書物は巻物だったが,その後,冊子本が主流となる。巻物に比べ,データ一覧性に優れ,保存の場所もとらないのが冊子本の特徴だったからだ。しかしこの変化に伴い,巻物から冊子本に写本されなかった本はすべて歴史から消えた。プラトンやユークリッドは当時から有名だったために冊子本に書き写されたが,アルキメデスは難解であり,著明ではあるが読まれている本ではなかった。このため,多くのアルキメデスの巻物はこの「巻物から冊子本へ」という歴史の転換期に消滅した。
ローマ帝国時代,キリスト教が公認され,写字生の仕事はキリスト教の経典の写本を作ることになり,それ以外の本の写本は滅多に作られなくなった。
しかし,紀元4世紀,コンスタンティヌス帝は全ての古典を保存し後世に伝えようという計画を立て,この時点でコンスタンティノーブルにあった古い文献は図書館に保存されることが決まった。コンスタンティヌスの英断により,多くの古典的書物がその後の世界に伝えられることになった。
そして,アルキメデスの写本は偶然にもその英断の直前,コンスタンティノープルに到着し,生き延びた。
そして,800年頃,3種類のアルキメデスの写本が作られた。現在研究者によってA写本,B写本,C写本と呼ばれているものであり,それぞれ別々の論文が含まれていた(もちろん,共通して含まれる論文もあった)。
1202年,コンスタンティノープルはヨーロッパ十字軍に蹂躙されて陥落する。無知蒙昧で野蛮なヨーロッパ十字軍は多くの文献を破壊し,焼き尽くした。幾多の比類なき過去の遺産が愚かなキリスト教徒によって永遠に破壊された。
しかし,アルキメデスはしぶとかった。3つの写本は偶然にも破壊を免れ,A,B写本はイタリアに流れ着く。当時はルネッサンス期であって数学者アルキメデスの人気は高く,その写本は広く知られていた。
B写本そのものはは14世紀初頭に,A写本は16世紀半ばに姿を消すが,アルキメデスの論文はラテン語に翻訳され,広く読み継がれることになった。そして16世紀半ば,印刷技術が発明され,スイスにおいてアルキメデスの著作が印刷され,ヨーロッパ中で広く読まれるようになった。やがてガリレオとニュートンがラテン語に翻訳されたアルキメデスの業績を知り,それをもとに近代科学が華々しく幕を開けることになる。
その頃,C写本はバラバラにされて文字を消され,祈祷書の写本に姿を変えていた。この祈祷書(パリンプセスト)は19世紀にはじめにパレスチナの修道院の図書館に所蔵され,20世紀初頭,アルキメデスのC写本から作られたものであることが判明する。そして第二次大戦前夜,ギリシャ国立図書館に移されたが,その時点でなぜか,表紙のアルキメデスの文章の上に,偽造された彩色画が描かれていて,その部分は全く読めなくなっていた。そして第二次大戦中にこのパリンプセスト祈祷書はまとも行方不明になり,20世紀末に突然,不死鳥の如く姿を現したのだ。
というわけで,これは,数学好きも科学好きも歴史好きも満足させる,稀有の研究書であることを断言する。
(2008/10/14)