日本の食料自給率は40%,というのはどなたでもご存知だろう。ところが,この自給率の数字はすぐにゼロ%になってしまう。日本の農業も漁業も石油の上に成り立っているからだ。つまり,石油輸入が途絶える事態になるとすぐに飢えが襲ってくる。そういう状態にこの国はあるらしい。
だが,そういう中で絶対に飢え死にしない人間がいる。本書の著者がそうだ。石油の輸入が途絶え,農業も漁業も壊滅しても,本書の著者は豊かな食生活を送れるはずだ。その理由は,あらゆる生物を偏見を持たずに食べているからだ。しかもそこには,「たまにはゲテモノでも食べてみるか」なんて意識は微塵もない。生きるということは他の生き物の命を奪って食べることであり,あらゆる生物は人間の食材として平等なのだ,という透徹した哲学に貫かれていて,その論理には一本筋が通っている。そしてその論理に従って行動し,論理から逃げようとしない。それはまさに,徹頭徹尾,科学者の姿といっていい。私はこの論理と論理に裏付けられた行動力に畏敬の念を持つ。
そして,ゴキブリもナメクジもネコもイヌも金魚も食べてみる。食べてみないことには味がわからないからだ。そしてその食材本来の味を味わい,その味を生かす調理法をあれこれ工夫する。他の生き物の命を貰うのだから,どうせならうまく味わいたいし,素材そのものの味を引き出したい。素材がまずいからといって大量の香辛料で誤魔化すような真似もしない。そういう姿勢が清々しく,そして見事である。
このような「食用でないもの」を食べるというと,すぐに次のような反論,反感が怒涛の如く寄せられる。曰く,可愛い動物を食べるとは何事だ,イヌのように頭のいい動物を食べるのは野蛮だ,ウシやブタは食べられるために生まれてきた動物なのだからイヌやネコとは違う,というものだ。グリーンピースの連中が「鯨を食べるのは野蛮」というのと同じ論理である。
これに対しても,著者は「あとがき」できちんと反論している。「可愛い」にしても「頭がいい」にしてもそれは主観的な問題だというのだ。イヌが好きな人にはイヌはたまらなく愛らしく頭のいい動物だろうが,嫌いな人にとっては単なるケダモノにすぎず,そういう人間にとってはイヌもイノシシもブタもクマも違いはない。第一,頭がいいから食べてはいけない,頭が悪い動物は食べていい,という論理はナチスの優勢思想と全く同じだ。そしてさらに,「ブタやウシは人間に食べられるために生まれてきた」という薄汚い論理に対しても一刀両断し,「イヌやネコを食うことを非難できる人間がいるとしたら,それは植物を含むあらゆる生命体を食べずに生きている人間のみだ」と結論付け,「生きている動物を食べるなんて野蛮」と非難する一部のベジタリアンの甘っちょろい自分勝手な論理を一蹴する。まさに快刀乱麻である。
植物を含め,あらゆる命あるものを食べたことがない人間のみ,本書を批判して欲しい。イヌを食うのもブタを食うのもハムスターを食うのもコメを食うのもブロッコリーを食うのもクジラを食うのも,食われる側にとって違いはない。イヌは可哀想だけどブタは可哀想じゃない,なんて論理はブタには通じないし,クジラは頭がいいから食べちゃ駄目だけどコアラは馬鹿だから食べてもいい,なんて論理もコアラには通じない。
ちなみに私は食べ物に対する偏見はほとんどないし,外見で「これは食べられない」と忌避することもない。人が食っているものなら,とりあえず食べてみる。
講演でいろいろな地方に行くが,真っ先に食べるのは「その土地でしか食べられていない食材」である。もしも,見た目がグロテスクだがとても美味,なんて料理があった時,見た目で食べなかったら一生後悔するじゃないか。
個々の食材についての味と調理法についてはお読みいただくしかないが,ちょっと面白かったものは次の通り。
いずれにしても,生きるということは他の生物の命を貰うことだ,食べるということは他の生命を食べるということだという単純明快な事実を改めて思い知らされる名著だと思う。
(2008/10/20)