『アメリカの宗教右派』(飯山雅史,中公新書ラクレ)
考えてみるとアメリカという国は相当変な国である。何しろ,科学の常識中の常識である進化論を信じているのは全国民の1/4で,残りの大半は信じていないのである。さらに国民の9割以上が神の存在を信じていて,8割以上の人は生活の上で宗教が最も重要と考え,4割の人は毎週教会に通っているのである。これではほとんど,中世時代の人間である。
この傾向は他のヨーロッパのキリスト教国と比較すると,さらにその特異性が際立つ。「死後の世界をあなたは信じますか?」という質問に対し,フランスでは35%の人がイエスと答え,アメリカでは70%がイエスと答えているし,「あなたは悪魔の存在を信じますか?」という問いに対しては,イギリスでは28%がイエスなのに,アメリカでは65%がイエスなのだ。悪魔の存在を6割以上の人が信じているなんて,まさに中世そのままである。
悪魔やら神の実在を信じているんだからよほど教育水準が低いんだろうなと思うとそうではなく,むしろ,世界一の科学技術を持っていて,ノーベル賞をバンバン取っているのだ。最先端科学技術と悪魔を信じる人が多数派を占めているというのがなぜ共存しているのか,私にはどうにも理解できないのだ。その他のヨーロッパ諸国にしても日本にしても,自然科学の発達とともに生活に占める宗教の比率は次第に小さくなっていったのに,なぜかアメリカだけは違うのだ。
しかもアメリカの小説やらエッセイを読むと,他の国にはない宗派が次々と出てくるのも不思議だった。福音派やら長老派やらメソジスト派やクエーカーなど,プロテスタントとどこが違うのかよくわからないし,アーミッシュまでくると生活そのものが19世紀のままだ。やはり変な国だなと思ってしまう。
しかもこの国では何かというとすぐに聖書がしゃしゃり出る。例えば,大統領の就任宣誓式では聖書に手を置いて行われるが,これは政教分離に反しているんじゃないかと思わないだろうか。だって,日本の内閣総理大臣が就任の際に。般若心経や観音経を片手に持っていたらおかしいでしょう? 少なくとも私の目には,アメリカ大統領の宣誓式は「手に般若心経を持った大統領」みたいに映るのである。アメリカでは政教分離の概念がおかしいんじゃないだろうか。
そういう疑問を持っている人には本書を推薦する。このあたりの疑問やアメリカの宗教と政治の問題が,実に明快に説明されているのだ。アメリカ建国前夜から2008年の大統領選挙決戦前夜までの宗教の状況を手際よく整理し,事実を元に淡々と分析し,わかりやすく書き進める手際は見事だと思う。
そして何より,宗教と政治に対する中立的な視点がいい。こういう宗教がらみ,政治がらみの問題を説明するとき,どうしても筆者自身のスタンスが絡んできがちだが,そういうバイアスが全くないのである。
また,本書は9つの章からなっているが,各章の最初に1ページ程度の要約があり,とりあえずその部分だけ読んでも大体のことはわかるようになっているのもいい。ここまでわかりやすさにこだわって書かれている本に出会うと,嬉しくなってしまう。
例えば,アメリカでの政教分離というのは「特定の宗教や教派を特別扱いしてはいけない」ということであり,宗教者が政治に口を出すことを禁じているわけではないのである。要するに,「宗教の自由市場競争主義」が大原則で,いろいろな宗派が信者獲得競争をしていて,国家はそれを邪魔するな,というのがアメリカの政教分離なのである。
なるほどなぁ,アメリカというのはそもそも,キリスト教を社会建設のすることを大前提に作った国なんだ,だからキリスト教初めにありきなんだ,ということに改めて気付かされる。
国家というか連邦政府についての基本思想も独特だ。「連邦政府なんて碌なもんじゃない,連邦政府に権力を持たせたら何をするかわからない,だから連邦政府の権力をなるべく小さくしないといけない」ということが大前提らしいのだ。政府なんてせいぜい治安と外交だけやっていればいい,というのが大前提なのだ。自由が何より大事であり,信仰の自由を得るために作った国がアメリカだからだ。各州が独自性を持って自由に州を運営していくことが何より大事なのだ。
もちろん,教育だって例外ではない。教育は州が決めるべきことなのである。だから,進化論を教えるかどうかが大問題になるのだ。「進化論は世界の常識だ」と言われようが,「進化論を信じないなんて無知蒙昧の輩」と馬鹿にされようが,州独自の教育と伝統を守っていくほうが重要なのだ。
そういう素晴らしい「自由」を守るのがアメリカの「保守」思想である。これをテーゼにして結成されたのが共和党だから,共和党政権は必然的に「小さな政府」を目指すのだ。
逆に,アメリカで「リベラル」といえば,「政府を信頼して権力を持たせよう,所得の公平な分配をしよう,福祉も重視しよう,そのためには自由競争を制限してもしょうがないじゃないか」という思想であり,その政党が民主党だ。だから民主党政権は「大きな政府」を目指す。
普通,「保守」といえば封建主義や君主制を守ることを言うし,「リベラル」といえば横暴な君主を倒し,政府の力を制限して国民の自由を確立する立場である。保守は爺臭く,リベラルの方が若々しい。
しかし,これがアメリカでは逆転してしまうのだ。アメリカでは「建国の精神である自由主義の伝統を守ること」が「保守」だからだ。逆に,アメリカで「リベラル」「リベラリスト」というのは負のイメージのある言葉なのである。
このようなアメリカ独特の文化・伝統をベースに,人種や出身国別に作られたコミュニティがあって,それらごとに独自の文化と伝統があり,その小さなグループごとに宗派が分かれたわけである。そして,各宗派が信徒獲得の「自由競争」をしているのだ。アメリカの宗教の状況が傍目からわかりにくいのも当然だったのだ。
さらに,南北戦争の頃,北部は共和党,南部は共和党支持だったのに,現在それが逆転してしまった理由,そして共和党と宗教右派が結びついた理由も明確に説明されていて,非常にわかりやすかった(そういえば,私は受験では世界史を選択したが,「きたはきょうわとう,みなみはみんしゅとう」と韻を踏んで覚えたのを懐かしく思い出したが,それは1970年代までの南部,北部の支持政党の話だったらしい)。
ちなみに,この「地域による支持政党」の変化を生み出したのは,人種差別撤廃を目指した1960年代の民主党による公民権運動だったというのも納得できる説明だった。
この紹介文,次回に続きます。
(2008/12/26)
- 自然淘汰による進化論を信じているのは国民の1/4(2006年)
- 9割以上の国民が神の存在を信じていて,無宗教は8%しかいない。8割以上の人が宗教は自分の生活に重要と考え,4割の人が毎週教会に通う。
- 欧米のキリスト教国に比べても特異。
- 死後の世界を信じる? アメリカは70%が信じている。フランスは35%
- 悪魔を信じる? アメリカは65%が信じ,イギリスは28%
- 政教分離の概念自体が異なる。合衆国憲法では「特定の宗教や教派を特別扱いしてはいけない」ことを明記しているが,「宗教者は政治に口を出さない」という概念ではない。
- アメリカの政教分離は,教会の「自由市場競争主義」のようなもの。さまざまな教派が平等な立場で信者獲得のために自由競争を展開する。
- アメリカの保守とリベラル
- 保守の主張は,政府そのものへの不信感。政府は治安と外交など,最小限のサービスを提供するだけ。自由市場への介入はしない。政府に金がなければ勝手なことができないから税金は少ない方がいい。「小さな政府」
- リベラルは「政府は国民を幸せにするために多くのことができるし,するべきだ」と,政府を信頼する。労働者保護のために企業は規制すべきだし,所得の公平な分配するために福祉政策も重要。そのためには強力で財政力のある政府が必要で,十分な税収を確保すべき。「大きな政府」。
- 一般的には,横暴な君主と政府の権力を制限する思想は「自由主義(=リベラリズム)で,「保守主義」とは封建制度や君主制を擁護する思想。しかし,アメリカにはそもそも守るべき君主制が最初から存在せず,自由主義が建国以来の理念。その自由主義の伝統を守ることが「保守」。経済活動の事由によって成功した資本家が,その自由を政府の規制から守ろうとする「自由放任主義」は「保守主義」。
- しかし,20世紀初頭の野放図な資本主義は,労働者を消費者を搾取し,好況と不況の経済の波をコントロールできず,ついに1929年の大恐慌が発生。保守主義は解決の処方箋を出せずに立ち往生。
- それを解決したのが民主党のニューディール政策。政府権力を使い,福祉政策で所得を再分配した。これがリベラリズムの誕生。リベラリズムは民主党の思想。共和党の思想が保守主義。
【第1章 プロテスタントとアメリカ】
- ヨーロッパの宗教改革
- 宗教改革の根本思想は「聖書だけを信じる」。
- さらに「キリスト教徒は皆平等だ」という意識も重要。ローマ教皇を頂点としたカトリックは階層主義であり,プロテスタントは教会の自治を重視した。これがアメリカの民主主義と地方自治に影響する。
- 教会の運営の仕方も変わり,聖職者でない一般信徒の代表(長老)も教会運営に参加。このシステムで運営される教会が「長老派」と呼ばれるようになった。
- 最も急進的改革を求めたのが「再洗礼派」。信仰を自覚した成人が自由な意思で洗礼を受けなければいけないと主張。この制度を許してしまうと,幼児のときに洗礼を受けてその後は一生,その教会に属する,という教徒が減ってしまう。このため,再洗礼派はカトリックだけでなくルター派からも迫害された。その末裔がアーミッシュ。
- イギリスの宗教改革
- イギリスの宗教改革はヘンリー8世が離婚を望んでいるのにローマ教皇がそれを許さないことが原因。そこで1534年にカトリックから独立してイギリス国教会を作る。このためイギリスの宗教改革は不徹底で,カトリックの制度がほとんど残り,最も保守的なプロテスタントになった。
- これに不満を持った人たちがピューリタン(清教徒)。ピューリタンのうちスコットランドでは長老派が力を持った。イギリスで誕生した会衆派は長老派より徹底した改革を目指し,この会衆派で最も急進的な改革を目指したのがバプチスト。クエーカー教徒になると,人間の精神に宿る霊との直接対話を重視し,教会組織や牧師の制度もやめてしまった。
- これらの教派は理想の信仰生活を夢見て退去してアメリカに移住。
- アメリカ
- 最初の植民地バージニアはイギリス国王領となり,イギリス国教会が唯一の公認教会となった。
- イギリス国教会はアメリカ独立で大打撃を受けたが,やがて聖公会として独立的な形で再出発。
- 欧州で抑圧されていたピューリタンはイギリス国教会の強い南部を避けて北部のニューイングランド地方に移民。ここで成功したのが会衆派。
- バプチストはここでも弾圧された。さらに異端視されたのがクエーカー。彼らはペンシルバニアに植民地を開き,ようやく安住。
- 長老派はイギリス国教会を嫌い,宗教に寛大なペンシルベニアに多数移民。次第にクエーカー教徒を押しのけ,植民地議会の多数派を握る。
- 合衆国憲法と政教分離
- この状態から,「連邦政府は国教を樹立してはいけない」という項目が入ったのは当然。勢力を握った勢力が自分たちの教派を押し付けてくるのを恐れたため。各々の州の宗教が犠牲の上に成立しているため,各州の宗教問題に連邦政府が口を挟むべきでないと考えた。
- 国教を定めてはいけないという宗教分離規定も,あくまでも連邦政府だけが対象。州政府が州内に公認宗教を持つことは違憲でない。
- すべての州で公認宗教が廃止されたのは1833年。キリスト教徒であることが公職就任条件とする規定がすべての州で廃止されたのは1961年。
- 会衆派は次第に衰退したが,聖公会や長老派はアメリカ権力を握る政党はエスタブリッシュメントを形成。
- それぞれの会派は牧師の養成と子供の教育に力を入れる。会衆派はハーバード大学とエール大学,聖公会はウィリアム&メリー大学とコロンビア大学,長老派はプリンストン大学を設立。
- 大覚醒運動
- 世俗的成功をおさめた上流階級は次第に啓蒙思想と近代合理主義を身につける。このような世相に対し,信仰を復興させようという敬虔主義運動が起こる。これで有名なのがメソジスト派。
- 1720年頃から大覚醒と呼ばれる信仰リバイバルが凄まじい勢いで広がる。メソジスト派とバプチストがリードした。
- 民衆に直接訴えかけ,信仰のリバイバルを目指す特徴的なスタイルの運動はのちに「福音派プロテスタント」と呼ばれる(ただし,現在の福音派とは直接のつながりはない)。
- 大覚醒は神の下での平等というメッセージを発し,民衆のパワーとなり,社会改革を作り出す。2回の大覚醒運動は各々,アメリカ独立革命と奴隷解放運動に続く南北戦争を生み出す。
- 19世紀半ばにはバプチストとメソジストが第1,第2勢力となり,会衆派は衰退
- カトリックと黒人教会
- 19世紀,アイルランドやドイツから大量のカトリックが移民し始め,プロテスタントとカトリックの対立へ。禁酒運動と禁酒法制定は,カトリックへの嫌がらせという側面を持つ(カトリックは貧困層が多く,飲酒癖が強かった)。
- 南北戦争後,黒人だけで独自に黒人教会を作る。ほとんどはバプチストかメソジストの教会だが,出エジプト記の奴隷解放物語を取り入れるなど,独自の色彩を持ち,別個のグループとなった。
- たくさんの教派が並び立って,信徒獲得競争をするアメリカ特有のシステムは「教派主義」と呼ばれた。
【第2章 プロテスタント大分裂】
- 19世紀半ば,ドイツで「聖書は誰によって何を目的に書かれた物なのか」という高等批評という聖書分析が始まった。これを突き詰めると,「聖書は神の言葉でなく,誰かが意図を持って描いた物語」となる。原理主義者には許せない考えだった。
- 進化論は「進化は自然淘汰によって進んできた」と主張。これを認めてしまうと「神の意思」が介在する余地が全くなくなる。これが激しい怒りを生んだ。しかも,自然淘汰には何千万年もの時間が必要とわかると,地球誕生を数千年前とする聖書の記述と矛盾してしまうのも問題だった。進化論は,神が一日ですべての生物を創造したという創世記を否定してしまう。
- 自然を研究することで,それまでわからなかった「神の力」を発見できるかもしれないと研究している分には科学の発達と信仰に矛盾はなかったが,自然の法則が「神は存在しない」と証明してしまった。
- 論争は主に長老派を舞台に行われたが,1930年代までに近代主義者が長老派の主導権を握る。彼らが「主流派」と呼ばれた。負けたほうが「原理主義派」,原理主義に共鳴はしていたものの極端な思想には参加できない人たちが「福音派」となった。
- 南部ではバプチストが最大勢力。奴隷制支持をまとめていたのは南部バプチスト連盟。北部と同じような論争が起きたが,南部バプチスト連盟は近代主義を受けいれず,進化論も認めないという立場を取りこれがメインになった。
- 1925年,テネシー州の田舎で生物教師が進化論を教えるという事件が起きた。同州の法律では違法行為だった。リベラル団体は教師を裁判支援。原理主義者は裁判では勝利したが,世論からは「無知で時代遅れで迷信を信じる田舎者」というレッテルが貼られ,原理主義者は決定的ダメージを受けた。これ以降,原理主義派も福音派も社会や政治とかかわるのを避けるようになった。
- 原理主義者は自分たちの教会を作り,大学や新学校を創設。その一つがボブ・ジョーンズ大学。既存の教会組織から脱退したため,大衆に直接訴える方法としてテレビやラジオによる福音蜂巣に力を入れた。
- 福音派は原理主義者より大規模にラジオ・テレビの布教を展開。さらに国内政治よりも海外布教に力を入れた。
【第3章 リベラルの時代】
- 黒人の人種差別撤廃したのが1964年の公民権運動。これは,人種差別を正当化した南部白人と南部を拠点にした福音派が,公民権法成立後,人種差別を押し付けた民主党に反発し,大挙して共和党陣営に移ったことでもあった。彼らにとって公民権運動は,南部文化に対する北部人(=リベラルな民主党に握られた連邦政府)への挑戦だった。
- 公民権運動をめぐる対決は,南北戦争の再現となった。北軍は「北部のリベラルな連邦政府と北部中心のリベラルな主流派教派と彼らに支援された黒人教会」,南軍は「南部白人と南部バプチスト連盟を中心とした南部福音派」。南北戦争と違っていたのは,「北軍」を握っていたのがリンカーンの共和党でなく,ジョンソン大統領の民主党だった点。それまでは南部は北部(=共和党)に支配され,これに反発した南部白人は民主党を支持していた。この結果,民主党は一世紀続いた南部アメリカの牙城を共和党に明け渡した。
- ジョンソン大統領は少数は積極優遇政策で黒人の雇用を促進する政策を取り,これはやがて女性解放運動,さらに人工妊娠中絶の合法化への要求につながる。差別撤廃運動は同性愛者の解放にも発展。
- さらにこの「革命」はマリファナ,コカインを使用して瞑想にふけ,山奥で共同生活するヒッピーを生み,フリーセックスの風潮も広まった。
- 1960年代はリベラルな福祉政策集大成の時代でもあったが,福祉の充実は財政赤字の急拡大につながった。白人中間層には「少数派積極優遇政策」による逆差別と感じて福祉政策に反感を抱き始めた。
- この時代,「リベラル」という言葉にネガティブなイメージが付着。リベラルのイメージを代表していたのは民主党,東部のエリート・メディア,宗教界では主流派だった。
- 福音派は伝統的宗教的価値観が崩壊に瀕しているという危機感を抱いたが,「時代遅れの保守反動」という侮蔑は受けたくないし,人種差別主義者と罵倒されるのも困る。福音派には不満が募り,爆発寸前だった。そのエネルギーを反リベラルの政治運動に纏め上げたのが「宗教右派運動」だった。
【第4章 宗教右派は何を求めているのか】
- 1960年代,中絶問題は保守とリベラルの争点になった。
- 1973年,連邦最高裁が人工妊娠中絶を合法と判断した。しかし,宗教右派にとっては「十戒」の「殺すなかれ」の神の教えに反する大問題。しかも,旧約聖書では「産めよ,増やせよ」と神が人間に命じている。
- これには,急進的ウーマンリブ団体に対する反発,十代の妊娠といった性道徳退廃への危機感もあった。
- 同性愛は「ソドム」の市民が犯した罪。
- 宗教右派には「本来,州と地域コミュニティが決めるべきことに,連邦政府が不当に口を出してきた」という反発が根底にあった。
- 「学校での祈り」も進化論を教えるかどうかも,子供たちに地域の文化的伝統に沿って育てるという「神聖な権利」だった。だから,連邦政府が教育に口を出すのは「不当な介入」と感じた。
- そこで,宗教右派の攻撃目標は連邦最高裁判事になった。判事を指名できるのは大統領だけ。そこで,「保守的判事を指名する大統領を選出するために共和党に圧力をかける」という方法を取った。
- 「家族の価値」もう矢のキーワードになった。夫婦と子供で構成される核家族は,キリスト教倫理を親から子供に伝える基礎単位として最も大切だったからだ。
- 実際,シングルマザー世帯が1994年では27%になった。福祉政策が家族を崩壊させたと原因だと考える人が増えてきた。
【第5章 宗教右派の勃興とモラル・マジョリティー】
- 1960~70年代の「リベラルの行き過ぎ」への反発がたまり,後は火をつけるだけの状態になった。
- 幾つかの保守主義団体が生まれ,反フェミニズム,反同性愛,反共産主義,反軍縮の運動を彼らは展開した。
- 政治に背を向けていた福音派が政治活動をするようになったのは,民主党のカーター大統領当選の時だった。彼は南部バプチストであり熱心な福音派だったのに・・・。ウォーターゲート事件の後,政治における独特と倫理の復活を国民は切望。それに乗って誕生した大統領だった。その結果,民主党は南部のほとんどの州で勝利した。
- だが,福音派はカーター政権に失望。教育問題を一括管理する連邦省庁の設立を考えていたから。また,同性愛者にも理解を示していた。カーターは福音派だったが右派ではなかった。
- 福音派は数は多いが,それまで政治には感心を示していない「眠れる巨人」,「手付かずの広大な処女林」だった。
- 「モラル・マジョリティ」設立。またたくまに巨大組織に発展。
- だが,原理主義派の団体が宗教右派運動を先導していたわけでもなく,宗教右派指導者は原理主義教会に属しているわけでもなかった。宗教右派とは中絶反対などの過激な政治運動をする宗教指導者たちの総称である。
- 南部バプチスト連盟で1980年に宗教右派勢力による「保守再興」が起こる。ワシントンに「倫理と公共政策委員会」という強力なロビー組織が出来上がり,宗教右派とともに人工妊娠中絶や同性愛問題をテーマに活動を活発化させた。
- この保守再興を機に,カーター,クリントン,アル・ゴアが連盟から脱退。
- ニクソンとキッシンジャーはソ連とのデタント政策を進めた。それに対し,「デタントは自由と民主主義の理想に対する裏切りだ」と考えた知識人たちがデタント批判を開始。彼らが「新保守主義者(ネオコン)」。ネオコンは外交,社会改革,宗教,福祉を広く考える思想体系となった。
- 1970年代に福祉政策の急拡大とベトナム戦費による巨額赤字が明らかになった。布教とインフレが同時進行する「スタグフレーション」が生じたが,ケインズ経済学は解決策を見出せなかった。そこで,財政均衡を重視し,通貨供給量を緩やかに増加させ,市場経済の自律性を重視する考えが広まってきた。これが「財政保守主義」。
- レーガン大統領。財政保守主義者もネオコンも宗教右派も大歓迎。事実,財政保守主義者とネオコンにとっては望みどおりの改革を進めた。しかし,宗教右派にとっては中絶問題も「祈り」の問題も棚上げされた。レーガン自身が離婚を経験し,妊娠中絶を容認していたから。
- レーガン当選当初,時代の寵児だったモラル・マジョリティも冷遇される。所詮,素人集団だったから。誰も彼らの話を聞かなくなった。
- モラル・マジョリティは攻撃的姿勢もあって国民の支持を失う。指導者のセックス・スキャンダルもあり,壊滅状態になった。
- 次に政権を握ったのはパパ・ブッシュ。東部資産家であり,聖公会の信徒。宗教には関心も薄く,宗教右派は無視した。
【第6章 確立した宗教右派運動とキリスト教連合】
- 1989年,宗教右派のローカルカリスマ,ロバートソンが「キリスト教連合」を設立。アイデアを提供したリードは「家族の価値」を中心におきながら,小さな政府,均衡財政など保守主義も含めて運動を展開。連合はまたたくまに組織拡大。その後,共和党の選挙活動の足腰として働いた。
- キリスト教連合は共和党立候補者に人工妊娠中絶,学校での祈り,福祉改革に賛成するかどうかという「踏み絵」を踏ませた。
- 1994年の中間選挙では,共和党に「保守革命」といわれる地すべり的勝利をもたらした。キリスト教連合が多くの保守的有権者を掘り起こして投票所に生かせたことが大きかった。多くの議員はキリスト教連合を恐れ,その主張に擦り寄って行った。
- 民主党クリントン政権との対決で,財政均衡を主張し,下院で予算が通過しないまま新年を迎える。その結果,過激で攻撃的戦術に反発が強くなった。共和党と宗教右派への風当たりも強くなる。
- 中間選挙の敗北を受け,クリントンは「共和党よりは左だが,民主党のリベラル左派よりは右」というスタンスの中道路線をとり,これが成功。再選された。
- 1998年の中間選挙で共和党と宗教右派は敗退。同時に,キリスト教連合も衰弱し始めた。しかし,宗教右派は無視できない一大勢力として世に認められた。
【第7章 ブッシュ政権と宗教右派の絶頂期】
- ブッシュは当初は聖公会の信徒,結婚を機にメソジストに教派を変えた。テキサス州知事時代のブッシュは「穏健保守派」だったし,大統領選挙でも宗教右派は遠ざけた。
- 2000年の大統領選挙ではゴアと稀に見る大接戦,何とか勝利したが4年後の再選はは危なかった。
- 選挙参謀は選挙を分析。白人福音派有権者の多数が投票に行かなかったことが判明した。キリスト教連合が崩壊し,福音派票をまとめる団体がなくなったから。
- ブッシュ政権と保守連合が「水曜会」で合体。水曜会は減税を求める財政保守主義団体が主催し,規制緩和を主張する団体,ネオコン,タカ派シンクタンク,キリスト教連合が一同に介する非公開の集まり。
- 2004年の再選は宗教右派の勝利。福音派の8割がブッシュに投票。
- 宗教右派がブッシュ支援をしたのは,サンフランシスコ市とマサチューセッツ州で同性愛者の結婚が正式に許可されたこと。これが全土に広がるのを防ぐことが宗教右派運動の目標になった。
- 連邦最高裁判事はリベラルと保守派が4:4になった。人工妊娠中絶に関しては部分的禁止法案が成立。宗教右派がホワイトハウスを支配したように見えた。
- 宗教右派にとっては権力は中絶と同性愛を非合法化するための手段だったが,共和党にとってはそうでなかった。
- フロリダの一女性の尊厳死をめぐる問題でブッシュはミスした。大統領本人が乗り出し,緊急立法までして尊厳死をとめようとした。このため,ブッシュのイメージは右にぶれた。
- 二期目のブッシュ政権の支持率低迷は,基本的にイラク戦争と経済不振。宗教的にはブッシュのスタンスは国民に支持されていた。
【第8章 21世紀アメリカの宗教勢力地図】
- 福音派の定義は難しいが,「白人福音派」のことと定義。
- 歴史的には福音派は民主党支持母体。彼らがもともと南部に多く住んでいたから。リンカーン共和党大統領に反対したから民主党を支持した。ルーズベルト民主党大統領のニューディール政策は福祉を重視し,貧しい南部バプチストなどの福音派信徒は民主党支持を強めた。
- 1970年代から南部白人と福音派は共和党寄りに変化。これは民主党が公民権運動に取り組んだことへの反発。
- 原理主義は信仰の純粋さを保つために孤立を選んだ人たち。しかし,宗派の数も信徒の数も多くない。
- 教会に毎週欠かさず行く人には共和党支持者が多い,という調査がある。逆に教会に行かない世俗的な人ほど民主党支持が強い。この傾向を「ゴッド・ギャップ」という。これは「リベラルの行き過ぎ」への反発が生まれた時に生じた。これ以後,共和党は「深い信仰を持った人の政党」,民主党は「世俗的な人の政党」になった。
- メガ・チャーチの一つがペンテコステ派。考え方は原理主義派に近い。
- メガ・チャーチが福音派の拡大を支え,草の根宗教保守を広げる基盤となっている。
- 逆に主流派は劇的に衰退。主流派は協会の統治体制ががっちりしているため,教派幹部と一般信徒の意見の交流がほとんどない。このため,一般信徒と牧師の意識のずれが広がってきた。現在,主流派信徒の政治意識は無宗教の人に近づいていて,中絶を認める人は白人キリスト教徒の中で最も多い。
- カトリックは単一の宗派としては最大勢力。しかも,究極の浮動票である。もともとは民主党支持。ケネディの時代,完全にアメリカ社会に受け入れられた。しかし,民主党が急進的リベラルに走った頃から,民主党離れが進行。しかし,弱者救済,人権問題に意識が高く,政治的にはリベラルな立場。また,中絶に関しては絶対反対。このため,民主党も共和党もカトリックの意識にぴったりと合わず,選挙のたびに投票先が変わる。
- 黒人教会は宗教的には非常に保守的で,心情としては福音派だが,政治的にはリベラルで,もっとも忠実な民主党支持者。民主党の公民権運動がその理由。
- ユダヤ教徒も忠実な民主党支持。中絶,同性愛,学校での祈りに関しては無宗教者と同じくらいに世俗的でリベラル。大都市で生活し,共育レベルが高く,インテリが集中する知的職業についている率が高いためと見られている。また,歴史的に民主党政権は親イスラエル政策を取ってきた。
- アメリカでは教派が政党支持傾向に大きく影響。これは宗教や教派が人種や出身告別に作られたコミュニティと一体になり,教派ごとに独自の文化と伝統が生まれ,所得階層も同じようなレベルの人が集まり,政治に求めるものも共有されてきたから。
- 1980年代からの宗教右派の急激な膨張の理由は何か。リベラルの行き過ぎに反発していた国民の数が多かっただけ。そして宗教右派運動はポピュリズムの反乱でもある。国の権力が少数エリートに握られ,民衆の声が届いていないという気持ちが広がると,それを改革しようとして大衆運動が起こる。アメリカでは,社会の道徳観や宗教倫理が衰退していることに不満を抱く大衆によって,宗教リバイバル運動が起きてきた。
【第9章 宗教右派の停滞と福音派の影響力】
- カリスマ的宗教右派の第一世代指導者は現在高齢化している。
- 福音派内部では,中絶と同性愛問題に固執し,対立と分断の政治を持ち込んだことへの反発が生まれつつある。地球環境問題を取り上げるべきという「緑の福音派」も出現。
- 2008年の大統領選挙では宗教右派指導者は共和党候補者選びで影響力を示せなかった。
- 今後,宗教右派運動は長期的に下降線を描くだろう。以前と社会状況が変化したから(アングラ,ヒッピーは全滅,十代の妊娠も減少,福祉改革も実現)。宗教的倫理観が回復したという実感があり,中絶や同性愛で国民を分断し対立を煽る言葉が耳障りになってきた。
- しかし,福音派自体の影響力が弱まることはないだろう。
- 福音派の中で神を信じる人は99%,「聖書は神の言葉で過ちは含まれない」と考える人は62%,進化論が正しいと考える人は6%,中絶や同性愛結婚については6割以上が絶対反対。
たとえば,料理の名人がいて,彼の弟子たちの間で「俺の方が師匠が認める料理だ」と論争が起きたとする。この場合,名人が生きていれば問題は簡単。料理を食べてもらって名人に判定してもらえばいい。
問題は,名人がすでに故人の場合だ。名人が書き残したレシピに忠実であればいいのか,名人がことあるごとに弟子たちに伝えた言葉に忠実であればいいのか・・・と,複数の判定基準ができてしまうからだ。
ある弟子は師匠から言われた「レシピは全ての基本だ,忠実に守れ」との言葉が大事だと考えるだろうし,別の弟子は師匠から言われた「レシピは大事だが状況に合わせて味付けを考えることも大切だ」という言葉の方が重要だと考えるかもしれない。このように、師匠から直接指導してもらった弟子たちでも基準はまちまちだ。
さらに時間がたつとどうなるだろう。残っているのは名人が直接残した(とされる)レシピと、その愛弟子たちが書き記した「私はこのように料理を教えてもらった」というレシピ、そして、弟子たちがまとめた「名人の言行録」だけしかない。
しかしその頃になると、レシピに書かれたいた食材が入手できなくなったり,料理名人が生きていた時代にはなかった食材が普通に使われるようになっている。また、名人が知らない海外の料理も入ってくるようになる。
しかし、そういう時代になっても、「名人のレシピ」には新しい料理が追加されることもなければ、新しい料理素材が追加されることも、新しい調理法が加わることもない。名人のレシピに何かを加えたり削ったりしたら、もうそれは「名人のレシピ」ではなくなるからだ。要するに、規範である名人のレシピは一字一句変えてはいけないのだ。
もうここでおわかりと思うが、この「レシピ」が宗教の教義における「聖典」である。キリストの言葉にしろ、マホメッドの言葉にしろ、釈迦の言葉にしろ、孔子の言葉にしろ、それを変えることは許されないのだ。一字でも変えてしまったら、それはキリストや釈迦を冒涜することになるからだ。そして同時に、一字も変えずに次の世に伝えることが聖職者の仕事であり義務なのだ。
というわけで、大昔に成立した聖典をめぐって、俺たちの方が正しい解釈をしている、いや、俺たちの解釈の方が正しい、という本家争いが生じたとき、それは聖典に書かれている字句を巡る解釈の争いになる。
これは前述のレシピで考えるとよくわかる。大昔の料理名人の残したレシピを巡って、どっちの料理法が正しいのかという論争である。だから、たとえばレシピに「塩」という言葉があったら、その塩は岩塩が正しい、いや、入り浜方式の自然塩が正しいはずだ、いや、釜で煮て作った塩の方が正しい、という議論になり、岩塩派と入り浜塩田派で大激論になり、お互いに意見を融通しあうことはできないから、やがて血で血を洗う抗争に発展したりする。
同様に、銅鍋か土鍋かで宗派が分かれるし、砂糖の種類、醤油の種類についても大激論となる。
もちろん、これらの宗派対立は、そもそも名人の料理が知られていない国の人間から見たら、滑稽極まりないものにしか見えない。そんな議論はどうでもいいから、うまい料理を作れよ、と言いたくなるが、そんな批判は通用しない。批判した人間の暮らす国(地域)にも、独自の「大昔の名人のレシピ」があり、「この国の料理とは、大昔の名人のレシピに従って作るもの」という定義を最初に作ってしまったからだ。これが一神教の世界である。
要するに、「過去のレシピ(聖典)の解釈学」=「料理(宗教)そのもの」になり、解釈する聖典の情報が限定されている以上、単語のわずかな解釈の違いに独自性を託すしかないのである。しかも「料理で正しいのはこの名人の料理だけ」という一神教の世界だから、わずかな違いでも妥協できないのだ。
かくして、「同一宗教内の宗派間のストイック競争」を加速させ、端から見れば「我慢大会」の様相を呈してくるのだろう。
カトリックとプロテスタントでは,どちらの方が自由だろうか,どちらの方が華やかだろうか。なんとなく,「ローマ法王を頂点とするガチガチの宗教集団がカトリック」vs 「そういうカトリックを否定したプロテスタント」という風に考えると,プロテスタントのほうが自由闊達に思えるが,実は自由で遊びのある文化を生み出したのはカトリックの方であり,プロテスタントの文化は謹厳実直,沈鬱重厚なのだ。
このあたりは,カトリック文化の絵画・音楽と,プロテスタント文化の絵画。・音楽を比べてみるとよくわかる。例えば,全く同時代人のイタリアのスカルラッティとドイツのバッハではまるっきり違っているのだ。スカルラッティはあくまでも華麗で軽快で明快で感覚的だが,バッハの音楽は重厚で理詰めで四角四面だ。同様に,建造物として教会を見ても,華麗なのはカトリックの教会,重々しくて暗い感じがするのはプロテスタント教会の方である。もちろんこれは,陽性の南ヨーロッパ(カトリック)と陰性の北ヨーロッパ(プロテスタント)の文化の違いという面もあるが,その文化を生んだのは紛れもなく宗教なのである。
なぜそうなるかというと,カトリックの全否定から生まれたのがプロテスタントだからだ。プロテスタント運動を始めたマルチン・ルターにとってカトリックは敵であり,倒すべき目標だ。「カトリックの考えにはいいところもあるが,おかしな部分もある」なんて生半可なことを言っていてはカトリックは倒せないのだ。だからルターはカトリックの教義の全て,典礼の全て,そしてシステム全体を否定したわけだ。カトリックのすべてを否定することでしか,「新しい宗教(=プロテスタント)」の正しさを証明できないからである。そのために,いかにカトリックの教会が腐敗し,ローマ法王が信徒を抑圧・搾取し,彼らがいかにイエスの言葉に背いていたかを証明する必要があったわけだ。
例えば,カトリックがローマ教皇を頂点におくピラミッド構造をしているのであれば,自分たちは聖職者である牧師はいても牧師間の上下関係をつけない,とするのだ。カトリックの神父が結婚できないのであれば,プロテスタントの牧師は結婚できるようにするのだ。カトリックが自由放埓なら,自分たちはその逆の抑圧的で重々しくしなければいけない。要するに,何から何までカトリックの逆をやればいいのである。このようにして,プロテスタントの教義はカトリックよりストイックなものになっていった。
では,「ルターの改革はまだ手ぬるい。俺たちはもっとピュアな信仰に生きるべきだ」と考える一派がいたらどうなるだろうか。この場合,彼らの攻撃対象はカトリックではなくプロテスタントである。だから方法論としては,「ルターの改革は中途半端だ。俺たちはもっと徹底している」と主張するわけである。当然,ルターの教義よりもっとストイックな教義が必要になる。
アメリカを作ったのは,イギリスに誕生したピューリタン(清教徒)と呼ばれるキリスト教宗派の信徒たちだった。当時のイギリスの宗教はイギリス国教会だが,この宗派はヘンリー8世が離婚したいがために作った宗教で,その実態は「離婚ができるカトリック」であり,一応プロテスタントに分類はされるが,その実態は「プロテスタントの最保守」なのである。それに対して,これはプロテスタントの皮をかぶったカトリックではないか,と文句をつけた連中がピューリタンなのだ。当然,その教えはイギリス国教会の全否定になり,先鋭的なものになる。
かくしてイギリスで清教徒(ピューリタン)と呼ばれる宗派が誕生したが,それは誕生したと同時に,会衆派,長老派,バプチスト派,クエーカー派などの小グループに分裂していった。会衆派は主流派である長老派を批判してより徹底した改革を目指したし,その会衆派の中でさらに急進的な改革を目指したのがバプチストという宗派だった。一方,ルターは「聖職者である牧師が信者を指導するが牧師間の上下関係はない」,というシステムを作ったが,長老派は聖職者でない一般信徒の代表(長老)が教会運営に参加する,という改革をした。しかし,「それでも手ぬるい,人間の精神に宿る霊と神が直接語りかけてくることが重要なのだ,だから教会組織も牧師も不要である」と考える一派まで出現し,それがクエーカー教徒となった。こういうクエーカーの教義まで来ると,一つの宗派として維持できるのか心配になってくるが(何しろ,組織もリーダーも否定しているのだから・・・),本人たちは至極まじめであり,これこそが神とつながる唯一の方法だと信じていたのだ。
先鋭的といえば聞こえはいいが,ルターのプロテスタントよりさらに急進的になり,要するにカルト集団である(・・・ま,すべての宗教はカルトだ,という言い方もできるが・・・)。イギリスというプロテスタントの最保守の地に急進的カルト教団ができたわけだから,迫害されるのは当然といえば当然である。
そして,迫害されれば意固地になるのが人情である。迫害されているのは多数派(の宗教)が自分たちの信仰を恐れているからだ,自分たちが正しいからこそ(誤った信仰をする)多数派は迫害しているのだ,と自己正当化するわけである。宗教(特に一神教)とは本質的に,自分の神だけは絶対に正しいということを前提にした思考システムだからだ。だから,迫害されることでカルト集団はより急進的になり,信仰はストイックになっていく。
そういうピューリタンたちが自分の信仰を守り,理想の信仰生活を送ろうとしたら,唯一の解決策は誰もいない新発見の大陸に揃って移住し,信仰三昧の生活をするしかない。だから彼らはメイフラワー号に乗って大西洋を渡ったわけである。いわば,カルト集団が集団移住して国を作ったようなものだ。そして,信仰する宗派ごとに別々に街を作って集団生活したのだ。それがアメリカの始まりと言える。
ちなみに,そのようなアメリカでも長い間,バプチストとクエーカーは異端視されて迫害されていたのだから,これらの宗派の教義がカルトの中でもかなり特異なものだったのだろう。
いずれにしても,カトリックの否定としてのプロテスタント,そのプロテスタントの否定としての新宗派,さらにその否定としての・・・と,新しい宗派ほど教義は極端なものとなり,どんどんストイックになる傾向がある。いわば「ストイック競争」の様相を呈してくる。
すべての宗教がそうなのか,といわれると困るが,少なくともキリスト教に関して見ていくと,新宗派の誕生は「ストイック競争」であったことは間違いないと思っている。
このストイック競争は恐らく,キリスト教というより,一神教に特有のものではないだろうか。一神教は要するにこの世を二つに分け,こちらの神が正しくて他の神は間違っている神だ,という考えである。黒か白か,と二分し,曖昧さを許さない思考法である。曖昧さを許さないから,AでないならBしかない,と極端に走りやすい。
そして,もともと宗教とは自分の信仰対象が正しい,自分の信仰は正しいということを前提にしなければ成立しないものだ。だから,「もしかしたら自分の信じているものは間違っているかもしれない」という発想は絶対に生まれない。しかもそれが一神教なら,「自分の神だけが正しい」ことが大前提なのだ。
だから,端から見ていると目くそ鼻くそ,五十歩百歩の差異も許せなくなり,微細な違いでも大問題となり,妥協の余地はなくなる。妥協点がないから極端な教義の方がかえって受け入れやすくなってしまう。他との差異を作らなければいけないから,むしろ極端な方が都合がいいのだ。これが,一神教で「ストイック競争」が起こる理由ではないかと思う。