『鳥インフルエンザはウイルスの警告だ!』(吉川泰弘,第三文明社)
新型インフルエンザが問題になっているし,鳥インフルエンザの人への感染も続いている。医者の端くれなんだからウイルスについて知らないのは恥ずかしいよね,と思い立って本屋さんに行き,見つけたのがこの本だ。目次をパラパラ見て「この本だ!」と一目で気に入り購入した。「第4章 ウイルスはなぜ細胞化しなかったのか?」,「第6章 ウイルスは平和主義者?」,「第8章 人間とウイルスの共存は可能か?」というタイトルが気に入ったのだ。
特に気になったのは第4章のタイトルだった。こういうタイトルは,生物進化の中でウイルスはどういう存在か,という大きな視点を持った著者にしか思いつかないものだろうと思ったからだ。
というのは,現在書店に置かれているウイルス関連の書籍のほとんどは,「新型ウイルスが人類に襲いかかる」とか,「迫りくる最強ウイルスの恐怖」とかいう内容(タイトル)のものがほとんどで,要するにこれらは「人間 vs ウイルス」という対立関係でウイルスを解説しているものだろうと思われる。つまりこれは,パスツールが細菌を「病原菌」と呼び変えたのと同じ構図だろう。
そういう本ではなく,生物学的な観点,生態学の視点からウイルスについて説魅している本が欲しかったのだ。そういう山勘で本書を選んだが,実際に読んでみて,私の山勘は間違っていなかったようだ。
人間はどうしても人間中心に世界を捉えてしまう。だからウイルスと聞くと「人間を病気にする恐ろしいもの」と考えてしまう。ましてや今日のように新型インフルエンザのニュースが賑わしていると特にそうだろう。
だが,どうやらそれは間違いらしい。人間に病気を起こすウイルスはウイルス全体のごくごくわずかなのだ。人間が認識しているウイルスは人間や農作物に病気を起こすものばかりでせいぜい数十種類にすぎないが,その背後には数千万種類のウイルスがいて,そのほとんど全ては人間と無関係に存在しているのだ(ウイルスが細胞内に侵入するためには,細胞膜に特定のレセプタが存在しないと不可能なのだから,当たり前である)。
原初のウイルスはどうやら大きさもゲノムサイズも細菌とほぼ同じだったらしく,元々は独立栄養の生物だったと考えられている。だが,ウイルスと細菌の分裂様式の違いが両者を大きく分けてしまった。要するに,細菌(原核生物)と真核生物が生き方の基本戦略のちょっとした違いで大きく異なった道を歩んだように,細菌とウイルスもまた異なった進化の道を歩んでいったようだ。
そしてウイルスはその生き方の延長線上として,宿主細胞を利用して遺伝子を増やし,タンパク質を作らせる(作ってもらう)という方式を極限まで追求し,ついにレトロウイルスにいたっては宿主細胞の染色体の一部になる,という方法を編み出した。独立した生命体であることを捨て,遺伝子を残すことを選んだかのようだ。
多くのウイルスは宿主との共存共栄を望んでいるらしい。宿主の細胞内で爆発的に増えて宿主が死んでしまった場合,ウイルスが次の宿主に運良くたどり着ける確率は低くなるからだ。また,宿主側の細胞もウイルス感染で危なくなればアポトーシスのスイッチが入り,死んだ細胞ごとウイルスはマクロファージに処理されてしまう。
ウイルスにとって理想的な状態とは,宿主に病気を起こさず,静かに持続感染し,その分布範囲をゆっくり広げることなのだろう。
そしてどうやら,爆発的な感染力と高い致死性を持つウイルスは,変異によってそれまでに遭遇しなかった種類の宿主に(図らずも)結合してしまったためらしい。だから,ウイルス側も宿主を効率的に利用する術(すべ)を知らないし,宿主側もどう反応していいかわからずに過剰反応を起こしてしまい,自ら起こしてしまったサイトカインの嵐で死んでしまったというのが真相らしい。
このあたりの経過は病原性細菌が病原性を発揮して人間(=宿主)を死に至らしめるのと同じようだ。住む場所を失い,彷徨して暴走している状態が病原菌だという構図が,もしかしたらウイルスと宿主にも成り立つのかもしれない。
このように,ウイルスに対する見方を大きく変えてくれる本だと思うが(もちろん,私が知らないだけで,私以外の医者は皆知っているという可能性もあるけれど),それ以外の人間や人間社会に対する論評がこれまた鋭いのである。たとえば,次のような文章だ。
- 人間は前に進むとか作り出すことには一生懸命になるけれども,作ってしまったものの処理だとか撤退しなければならないということに対する適応力というのは,非常に弱いのかもしれない。
- 毎年起こることであれば対策を講じられるが,10年か20年に一回しか起こらないが,起こったときには毎年起こるものの10倍から20倍の被害をもたらすとしたら,どちらにも同じウエートをかけるのが科学的な考えだが,現実にはなかなかそういかない。
- 緊急避難的に取った対策を解除するのは非常に難しい。緊急対応するために次から次へと法律でも何でも作ることになるが,危機が去ったから解除しましょうということができにくい。法律というものは静的なもので,感染症のようなダイナミックなものへの対応には不向きなのである。
いずれも鋭い指摘だと思う。
というわけで,いろいろなことを教えてもらった本である。ウイルスについて基礎から勉強したいなと思っている人にオススメします。
(2009/05/08)
目次
- ウイルスと人間のかかわり
- ウイルスの正体とは?
- ウイルスの歴史は生命の誕生にまで遡る
- ウイルスはなぜ細胞化しなかったのか?
- ウイルスが感染・増殖するメカニズム
- ウイルスは平和主義者!?
- エマージングウイルスとの戦い
- 人間とウイルスの共存は可能か?
- 人間は前に進むとか作り出すことには一生懸命になるけれども,作ってしまったものの処理だとか撤退しなければならないということに対する適応力というのは,非常に弱いのかもしれない。
- ウイルスの脅威は個々のケースで語られるが,グローバルな点から見ると人類への一つの警告として受け取るセンスが必要。そのシグナルを受け取って,一体どうするのかとなったとき,せいぜいワクチンをつくろうとか,そういう野生動物を撲滅すればいいではないかという解決手段に目が行ってしまう。
- 一番大きなポックスウイルスで1000ナノメートルくらい,中間サイズのエイズウイルスやインフルエンザウイルスは100ナノメートルくらい。細菌は1マイクロメートルなので,長さで1/10,体積で1/1000。
- ウイルスのゲノム量は非常に少なく,基本的にはDNA,RNAを複製するための酵素,殻やエンベロープを作る蛋白,細胞のレセプターに吸着するための糖蛋白を作る遺伝子くらい。それ以外にあるとしても,2つか3つの蛋白を作る遺伝子か残らない。
- 人間に感染するウイルスを大きく分類すると,現在わかっている範囲で恐らく20~30種類くらい。
- ウイルスの歴史から考えると,地球上に存在する生物は各々のウイルスを持っている。現在,140万種の生物がいて,最低10種類のウイルスを持っているとすると1400万種になる。土壌細菌に寄生しているウイルスを考えると莫大な数になる。
- バクテリオファージ(細菌を食べるウイルス)のような細菌に感染するウイルス群の断片が見られることから推測すると,恐らく真正細菌や古細菌が誕生した寄生体遺伝子のようなものが存在していたのではないかというのが細菌の考え方。
- ウイルスも最初の頃はもう少し複雑で,今の10倍くらい多いゲノム量を持っていたと思われる。しかし,宿主細胞の中に出入りしているうちに,彼らの戦略として,いかに速く自分のコピーを作るかということに全てを賭けたのではないか。
- 2006年に新しいウイルスが発見される。細菌に近いサイズでミミウイルスと名づけられた。ゲノム量は大腸菌の1/4。ゲノムの一部には原核細胞に共通する配列も見られている。ミミウイルスがウイルスの祖先であり,ウイルスも初めの頃は細菌と同じような独立栄養の生物だったのが,生存競争の中でどんどん単純化してきたのではないかと考えられている。
- 細菌は基本的に2分裂。ゲノムの複製とそれに見合うだけのタンパク質合成をして,全量が2倍になったら分裂する。
- ウイルスはゲノムはゲノムで勝手にコピーし,蛋白質は蛋白質で勝手に作って,それを一度に組み合わせて10の6乗~8乗個の子孫ウイルスを作る。
- 細菌に匹敵するような複雑な原始ウイルスがいて,その中から徐々に選りすぐられてシンプル・イズ・ベストのほうに向かったウイルスが出てきたのか。
- ウイルスが感染したことによってゲノムの変異が起こり,進化の組み合わせが非常に増えたという「ウイルス進化説」がある。生物の歴史を見れば,宿主である生物とウイルスとは敵対よりも共存してきたといえる。
- 多細胞生物では減数分裂による危険(不等交叉,転座)を冒しながら,多様性をいくらでも作り出せることになるが,その代わり個体は死ななければいけない。ゲノムを継いでいくのは配偶子だけでいい。多細胞生物は多様性を獲得する代わりに個体の死を受け入れるという戦略をとった。
- ウイルスは他の生物が多様性の方向に進む中で,初期の複雑性から反対に単純性を獲得。そして,レトロウイルスのように宿主細胞の染色体にもぐりこむことによって共存していこうという戦略を選ぶものさえ出てきた。
- ウイルスは複製機構をものすごくいい加減にして,とにかくたくさんのコピーを作り,その時の状況にあったものを残して行こうという,多細胞生物とは全く違う戦略を選んだ。
- 細胞特異性:吸着できる細胞とできない細胞がある。
種特異性:感染できる細胞を持っている動物と持っていない動物がいる
- レセプター(受容体)がないと感染できない。
- 細胞に感染して子孫ウイルスを作り出すまでに,増殖が速いウイルス(ポリオ)では6~8時間,遅いウイルス(ヘルペス)で20時間かかる。ポリオウイルスでは1個のウイルスが6時間後には10万個の新しいウイルスが産生される。
- ウイルスの生き残り戦略には3つのパターンがある。
- 宿主との折り合いを考えず激しい増殖を行う。一過性の激しい増殖のあと免疫系に排除される。宿主を殺してしまうウイルスもあるが,新たな宿主探しという問題がある。
- 持続感染により,宿主と折り合いをつけながら共存を図るウイルス。持続感染して症状が出るとは限らない。
- 宿主細胞と同化してしまうウイルス。レトロウイルスは自分の遺伝情報を宿主細胞のDNAに組み込んでしまう。
- ウイルスそのものが病原性・毒性を持っているわけでなく,ウイルスと宿主の折り合いが悪くて宿主の異常反応の結果,宿主を殺すことが明らかになった。
- 折り合いの悪い宿主を殺す理由。ウイルスは自己増殖をするために宿主細胞のタンパク質合成など高分子合成を止めてしまうから。
- ウイルスが細胞を乗っ取って爆発的に増殖すると,ウイルスは細胞を破壊して飛び出し,次の細胞に感染。これを防ぐために,細胞はアポトーシスで自ら死に,細胞はウイルスごとマクロファージに食べられて処理される。
- 人間を含め動物は,生きている間中,いつでもウイルスに感染する。
- 種を超えるウイルスは,選択するレセプターの幅を広くしている。また,感染した細胞の持っている蛋白群と上手く折り合いをつけていくことができるウイルスも種を超えていくことができる。レセプターを厳密に選んだり,細胞に入ったあと酵素群との折り合いを上手くつけられないウイルスは,種を越えるのは難しい。
- ウイルスは変異を繰り返すが,エイズウイルスはどこまで行ってもエイズウイルスのまま。どうやらゲノムはゲノムとしてアイデンティティを持っているらしい。ウイルスが生き残るために,ある種,譲れない保守的な部分があって,ここに変異が起こるとウイルスは増殖できない。ウイルスがアイデンティティを持つのは,そうした保守領域があるからだろう。
- ウイルスの多くは,自分たちが生き延びていくために宿主を殺さないようにしている。
- レトロウイルスが巧妙なのは生殖細胞に入って宿主の染色体にもぐりこんだこと。宿主の親から子に遺伝子が伝わるように,レトロウイルスの遺伝子も受け継がれていく。生殖細胞(配偶子)の染色体に乗ってしまえば,もはや事実上排除できない。
- ある種のニワトリやネズミは遺伝的にレトロウイルスに対して抵抗性があった。その遺伝的抵抗性を調べていくと,内在性レトロウイルスに感染した宿主は白血病を起こすレトロウイルスに感染しないことがわかった。
- レトロウイルスは生殖細胞の染色体に乗っていくとき,自分の遺伝子をどんどん捨ててしまい,もはやウイルスではなくなってしまい,宿主細胞の染色体に乗った一つの遺伝子になった。この遺伝子が読まれると,感染した細胞と同じようにそのレセプターに結合する蛋白質を作る。そうなるとレセプターが消されてしまい,後から来た白血病を起こすレトロウイルスは感染できなくなる。言ってみれば,宿主は天然のワクチンを手に入れたようなものであり,乗っかかったレトロウイルスのほうはウイルスとしての完成型を放棄するけれども自分のテリトリーだけは残しておくわけだ。究極の共存である。
- ゲノムが少ないウイルスは7000~8000塩基くらいしかない。ここまで単純化すると,細胞からの借り物が多くなりすぎて,宿主への依存がかなり強くなっていて,借り物が全部揃わないとなかなか増えにくいということになる。宿主も限定されるし,細胞も限定される。
- ゲノムが15000塩基の麻疹ウイルスになると,種を越えることができるようになり,人間のウイルスでもニワトリの細胞の中で強引に増やせるようになる。
- ゲノム量がポリオウイルスの100倍くらいの天然痘ウイルスやヘルペスウイルスになると,次第に細菌に近いものになる。こうなると2つの傾向が出てくる。宿主に持続感染するヘルペスのタイプと,ポックスのように細菌に近くなって宿主に構わず勝手に増殖するウイルスに分かれる。
- ゲノムの大きさによって柔軟性が違ってきて,単純すぎても複雑すぎても非柔軟的になる。単純すぎるウイルスは借りなければならないものが多すぎて,宿主と適合したらなかなか変えられない。一方,複雑過ぎるウイルスは独立栄養に近づいた分だけ宿主との折り合いが付きすぎてしまい,もう他の宿主には行かないという風になってしまう傾向が強い。
- ヘルペスウイルスはかなり大きなウイルスで独立栄養的なところがあり,リンパ球でも上皮細胞でも増殖できる。増殖すると宿主側は免疫系で押さえ込みにかかる。するとヘルペスウイルスは増殖した部位の神経を駆け上がって神経節細胞まで行き,そこで休眠し,神経節にゲノムを残して複製を止める。神経に何かの異常(寒冷刺激,外傷)で末梢神経が再生しなければならなくなると,神経がタンパク質合成を盛んに始める。それによって眠っていたヘルペスのゲノムが活性化する。
- 長い歴史を持ったウイルス群は宿主とは共存するけれども,強引な方法で種を超えたときには共存できない。それがどういう意味があるのかは不明。彼らにそういう性格があることだけがわかっている。うがった見方をすれば,外的に対する武器といえるかもしれない。宿主とは共存し,外的に致命的ダメージを与える生物兵器とも考えられる。自然宿主にとっては強力な守護神といえる。
- 自然宿主の場合,ヘルペスウイルスは全身感染したあと神経に入っていくが,脳まで行かないで神経節で止まってしまう。しかし,種を越えたときにはそれを止められずに脳まで行き,致死的になる。これも謎だ。
- ウイルスに感染して死ぬか死なないかというのは結局のところ,ほとんど宿主の抵抗力にかかっている。最初は自然免疫系で押さえ込みにかかるが,それを突破されると今度は特異免疫系が働く。それが負けてしまうと全身感染になる。だから,日ごろから節制して免疫力を高めておくのが最大の防御手段である。健康的な生活をして感染症に対する抵抗力を高め,そのうえで感染経路を絶つのがリスクを回避することになる。ウイルスに感染するのが嫌だから外に出ないというのは現代社会では不可能だ。
- インフルエンザにしても渡り鳥がウイルスを持っていることはわかっているが,野生動物が持っているウイルスをコントロールするのは不可能に近く,野生動物と人間の間に節足動物などが介入してくると,もう打つ手はない。
- 大規模な感染症が発生すると,それを押さえ込むためには相当のお金を使うことになるが,それには誰も文句を言わない。目の前のリスクを押さえ込んで欲しいから。しかし,まだ起きていないリスクに対しては利害関係が絡んでくる。たとえば,地方地自体で危機管理の部署を作ったとしても3年が限界だろう。3年間で何も起こらなかったら会計検査で無駄だといわれ,逆に前より悪い状況になる。
- 毎年起こることであれば対策を講じられるが,10年か20年に一回しか起こらないが,起こったときには毎年起こるものの10倍から20倍の被害をもたらすとしたら,どちらにも同じウエートをかけるのが科学的な考えだが,現実にはなかなかそういかない。
- 緊急避難的に取った対策を解除するのは非常に難しい。緊急対応するために次から次へと法律でも何でも作ることになるが,危機が去ったから解除しましょうということができにくい。
- 法律というものは静的なもので,感染症のようなダイナミックなものへの対応には不向きである。いったん法律として制定されてしまうと,ここまでリスクレベルが下がったから法律の内容もここまでレベルを下げましょうというのは,非常に難しい。
- SARSのように潜伏期が1週間で発症するものは,逆に言えば流行の形が追えるので対応も緊急避難的に行える。しかし,潜伏期が数年のものでは流行経路を追うのは大変。深く静かに潜行するものは,急性感染症のような対応をとることはできない。潜伏期間が長く持続感染に近い形で広まっていくものについては,最初から戦略を変えておく必要がある。高病原性鳥インフルエンザ弱毒株(H5N2)を高病原性鳥インフルエンザに分類して同じ対策を採るのはおかしい。全く違う流行形態をとり,伝播方法も分布も全く違うウイルスを封じ込めるにはどうしたらいいのか,きちんと議論しておく必要がある