『地中生命の驚異 秘められた自然誌』(デヴィッド・ウォルフ,青土社)
科学技術系の本を読む楽しさの一つは,未知の知識に出会えた瞬間と,既知の知識同士が思いがけなく結びついた瞬間である。その意味でこれは私にとって後者の楽しみを与えてくれた本である。この本が示す科学的事実のほとんどは以前から知っているものばかりだったが,いろいろな本で知っていた事実が意外なところで結びつき,「知の巨大なジグソーパズル」のピースの幾つかがピタッとはまり込むような快感が得られたのだ。
例えば,
「窒素を捕らえる脱窒素細菌がいなければ,地球の窒素のかなりの部分が硝酸塩の形で海に流出して陸の生物が利用できなくなってしまう。海洋生物はこの硝酸塩をいくらか利用することができるが,海洋の生命には鉄その他の元素が不足しているので,それを全て利用することはできない。」
という何気ない一文がそうだ。ここで私の頭の中で
『培養できない微生物たち』,
『鉄理論=地球と生命の奇跡』そして
『共生という生き方』の3冊が一つに組み合わさった。なるほど,そういうことだったのかと思わず膝を打った。頭の中のモヤモヤした霧が一挙に晴れる一瞬を経験すること以上に面白いことは滅多にない。
この本では「地下の世界」をさまざまな面からその魅力を解き明かしていく。例えば,地球最初の生命が生まれた場である海底の泥,その泥が「原始酵素」としてRNAが複製されるメカニズムが作られたこと,そして地下奥深くに作られた壮麗な「古細菌の王国」,その古細菌発見の歴史と発見者の苦闘,そして,化学的に不活性な窒素ガス(N2)が生命に最も重要な元素であるという矛盾をいかに解決したかなどを見事に魅力的に提示する。そして,ダーウィンが後半生をかけて解き明かしたミミズを中心とした生態系の不思議さ,アメリカの大地におけるプレーリードッグの役割,そして,表土という生態系を失った土がいかにして不毛の大地に変化したかを鋭く指摘している。最後のあたりは,『土とは何だろうか』と合わせて読んでみるとより面白いと思う。
個人的に一番面白かったのは古細菌の世界とその発見の過程を描いた「第2章 住める世界」,「第3章 系統樹を揺さぶる」の2つの章である。古細菌についてはもちろん以前から知っているが,改めてその不思議さを教えられた。
例えば,その恐るべき耐熱性がそうだ。なんと,至適分裂温度が106℃で113℃でも分裂を続ける古細菌が見つかっているのだ。水の沸点よりはるかに高いのに,細胞内の水は沸騰しないのである。おまけにこの古細菌は沸点以下に温度が下がると分裂が鈍り,91℃以下になると「寒すぎて」休眠状態に入るのだ。
ちなみに,私たちが一般的に細菌と呼んでいる「真正細菌」にはこのような耐熱性を示すものは一つも見つかっていないし,真核生物の耐熱限界はそれよりはるかに低い。
だが,エネルギー効率,つまりATP生成速度という面から見ると立場は逆転する。酸素という「地球最初の汚染物質」を呼吸に利用できた真正細菌は古細菌よりはるかに速く分裂できるのだ。酸素(O2)は最強の電子受容体だったからだ。大量のATPを生み出してくれる酸素は一方で細胞と遺伝子の強力な破壊者だったのだ。逆に,この「汚染物質」と折り合いが付けられなかった古細菌は酸素のない「地下」という環境を生存の場所として選んだわけだ。
ちなみに,酸素については『生と死の自然史 ‐進化を統べる酸素‐』が参考になる。
そして,全生物界が3つのドメインに分けられるという生物学を揺るがす発見を(図らずも)してしまったカール・ウーズの苦闘も興味深いものがある。彼はリボソームRNA(rRNA)の配列を比較することで生物進化と生命の起源の問題を解決できるのではないかと思いつき,独自で研究を始めたのだが,もちろん,それは世界初の研究であると同時に,同時代の生物学者,細菌学者には思いもよらない奇想天外な発想だったのだ。
そしてウーズは偶然手に入れたメタン生成菌のrRNAを他の細菌や生物と比較することで,それが全く異なっている生命体であることを知る。そして,地球上の全生物が3つのドメイン(古細菌,真正細菌,真核生物)に分けられると,1977年に発表する。新種の動物を1種類発見しただけで生物界に名前が残るというのに,ドメインという概念を発見したのである。要するに,未知の山を見つけただけでも偉業なのに,新大陸を丸ごと一人で発見してしまったようなものである。
だが,同時代の微生物学者や生物学者で彼の研究成果を理解できる者は一人もいなかった。それまでの微生物学の常識は「顕微鏡で見て形態の違いで分類する・代謝の違いで分類する」ことであり,動物や植物,微生物の分類は「形態による分類」するのが常識だったからだ。そして生物学者たちは,ウーズが積み重ねた膨大なデータを全て無視した。
専門家は専門分野を揺るがす大発見を前にしたとき,恐るべき保守性を発揮し,その「世紀の大発見」を葬り去ろうとする。
なぜウーズは「生物学の常識はずれ」の研究方法を思いついたのだろうか。それは彼の経歴による。彼は大学時代は物理学を専攻し,その後生物学に転じたのだ。そのため,同時代の生物学者,微生物学者の誰もが思いついていない物理学的手法を持ち込めたのだ。だからこそ彼は,誰もが見逃していた巨大新大陸を発見できたのだ。「専門家の常識」を持っていなかったからこそ,破天荒な発想ができたのだ。
生物学界から無視され続けたウーズはトマス・クーンの『科学革命の構造』に出会い,勇気付けられたそうだ。科学の進歩とは常に,先駆者の苦闘の歴史に他ならないことが,その書に書かれていたからだ。
後にウーズは微生物学における最高栄誉である「レーウェンフック・メダル」を受賞する。125年間で12名しか受賞していないという歴史的な重みのある賞である。
レーウェンフックは18世紀,手製の顕微鏡で最初に微生物を見た一人だったが,同時にまた,苦闘と苦難の研究者だったのだ。彼が親しい友人にあてた手紙には次のような一節が書かれている。
「無知の人々は私が手品師で,存在しないものを人々に見せるという。しかし彼らを許さなければならない。彼らにはそこまでわからないのだから。・・・新しいものはしばしば受け入れられない。人々は,教師が自分に押し付けたものにこだわるからだ。」
レーウェンフックの誠実な人柄と研究者としての矜持に感動する。
(2009/09/14)
第1章 起源
- 生命の起源。生命のゆりかごが「温かい小さな池」でなしに海底の濁った堆積物の中とか,水が溜まった地殻の間隙の奥深い部分など,地下の環境を指し示す証拠。
- 土壌と生命のつながりの科学的な説明は,基礎的な化学に根ざしている。帯電している粘土鉱物表面が原始酵素として働き,地球で最初の複雑な生合成の触媒部分になったことが示唆されている。その結果として生じてきた巨大分子のうちには,簡単な核酸の鎖やアミノ酸の鎖があったかもしれない。
- 粘土が生命の起源にさらに重要な役割を果たしたと強く主張。粘土が粗製の酵素触媒としての役割を果たしただけでなく,今日の遺伝子の前駆体でもあったという説。これは,粘土表面の特殊な原子配列がその配列の鏡像複製を合成する鋳型となり,これはDNA鎖やRNA鎖のヌクレオチド配列が自分自身の複製の鋳型になることに似ているという事実に基づいている。
- 「遺伝子的乗っ取り」説。RNAのような簡単な単鎖のヌクレオチドが粘土の結晶に埋め込まれて,それが何らかの方法で粘土の複製を促進させるというところから始まる。初期の段階ではこの粗製RNAはごく小さな追加的な役目を演じていたに過ぎないが,複製を何百万回も繰り返すにつれて,RNAは次第に洗練されてくる。RNAのような複雑な有機巨大分子は粘土の結晶よりも多くの情報を蓄えて,仕事をより一層精妙に,選択的に統制できるから,粘土の複製と触媒作用の統御の中でそれが次第に優位を占めるようになる。最後にはRNAが完全に「遺伝子乗っ取り」を完遂して,基質だった粘土は大きさも重要性も減じ,ついに完全に姿を消してしまう。自分の利益のために核酸を取り込んだ粘土結晶は,結局自分の破滅の種を撒いたことになる。
第2章 住める世界
- 地下に酸素も光もない高温高圧の場所に反映する微生物の社会があった。
- 二酸化炭素から直接炭素を集めて,生きるエネルギーを太陽とか古代に埋没された植物を消費して得るのではなく,水素ガスとか岩石質の基質にうちに見出される無機化学物質から得たエネルギーを利用している生物もいる。これが暗黒の王国の「一次生産者」である。
- 古細菌の仲間には成長に最適の温度は106℃で,113℃でも成長を続け,121℃では1時間の加圧滅菌に耐えると報告されている。この生物は沸点以下に温度が下がると成長が鈍り,91℃以下になると凍死する。
- 古細菌には沸点を上回る高温で生育できるものがあるが,真正細菌ではそのようなものは発見されていない。
- 嫌気性生物の観点からすると,光合成の副産物として生じた酸素は生物によって生産された最初の「汚染物質」のひとつだった。生命の営みが自らの環境に影響を与え,地球規模で進化のパターンにも影響を与えた典型的な一例である。
- あらゆる分子のうちでも,酸素分子はエネルギーのカスケードでかなり低いところに位置するから,呼吸の最終電子受容体として理想的である。酸素原子の外殻電子軌道は部分的にしか満たされていないので,他の電子を強く引き寄せる傾向がある。他の受容体を使う場合に比べ,酸素は電子伝達鎖のエネルギーのカスケードをより大きく「落下」させるので,解放されるエネルギーが大きい。
- 極限環境微生物の中でも驚異的なのは無機栄養性物と呼ばれる岩を食べる微生物だ。この生物はある意味で光合成に似た過程を通して二酸化炭素から炭素を入手している。無機栄養性物は日光と有機栄養源と地表の生活に少しも頼らずに生活できる。
第3章 系統樹を揺さぶる
- 顕微鏡下では普通の細菌のように見えるメタン生成細菌だが,それが遺伝的には動植物と細菌の違いと同じくらいに普通の細菌と違っているという結論を,1976年にカール・ウーズは出した。じっさい遺伝的基礎に基づいて考えると,メタン生成細菌と細菌の共通点は,巨木やキノコと私たち人間の共通点より少ないのだ。
- 革命家にはよくあることだが,ウーズも別の分野から生物学に挑んだ。大学生時代は物理学を専攻,その後は生物理学の博士号。
- 我々の最古の先祖の最も直接的な子孫である今日の微生物を解明することによって,全ての細胞の母,そして遺伝コードそのものの起源を探ろうとした。植物や動物に重きを置く現在の系統樹が,私たちのような細菌進化した大型の地表生物よりに人為的にゆがめられていることは,ウーズにとって明らかだった。この系統樹を揺さぶることは目的のための手段に過ぎなかったのだが,その結果彼は予期せぬ発見や論争,そして職を失う危機に出会うことになる。
- ウーズは自分の実験の目的にはリボソームRNA (rRNA) が最良の分子時計になると考えた。ウーズが選んだサブユニットは,すべての生物に欠く事ができない蛋白質である酵素の合成に関係するものだった。したがってそれはバクテリアから植物まで,キノコから人間まで,すべての生物に見られるわけだ。rRNAを用いれば,同じ条件のもとで地球全体にわたる遺伝学的な多様性を比較して,普遍的な系統樹を作ることができるだろう。
- メタン生成細菌のrRNA配列はそれまで見たどの細菌のものとも一致しなかった。また,原生動物,菌類,植物,動物など,どの真核生物とも異なっていた。rRNA配列のデータを十分に理解できる数少ない人間の一人であるウーズにとってそれは,裏庭に出てみたところ植物でも動物でもない奇妙な新生物に出くわしたような驚きだった。
- 科学者ならば誰でも新種の発見には胸を躍らせることだろう。しかしウーズは図らずも,新たな新大陸に相当する超王国(ドメイン)を丸々掘り起こしてしまったのだ。
- 1996年にはメタン生成菌の一つの完全なゲノムが解読され,「サイエンス」に報告された。このゲノムのあちこちの部分は細菌に似ていたが,真核生物に似ている部分もあった。全体としてみると,見た目では細菌に似た古細菌であるが,独自の第3度メインを占めていることが実証された。その後も何種類かの古細菌のゲノムが解読されていて,どれもウーズが以前rRNAのデータだけで達していた結論を支持するものだった。
- 今では3つのドメインが大昔に別れて,ほとんど独立して進化してきたのだろうと考えられている。しかし普遍的な系統樹の根本に近い部分では,各々のドメインの関係は入り乱れている。これら最古の単細胞生物は,縁の遠い生物の間で,時にはドメインを超えて遺伝物質を「水平に」伝達できたらだ。傷ついた細胞から放出された遺伝物質が食物のようにして別種の活動的な細菌に取り込まれて,そのゲノムに組み込まれてしまうのだ。
- 1977年,ウーズは最初にメタン生成細菌の発見を公表したとき,自分が他の科学者にはできない貢献をしたことを知っていた。彼は生命の第3のドメインを発見したのだ。
- 最初の数週間は注目の的になり新聞にも載ったが,講演依頼はあっという間に減った。3つのドメインからなる樹形図を纏め上げるために用いた山のような証拠を,ほとんどの微生物学者があっさりと無視したことが,最悪の出来事だったと彼は述べている。中にはあからさまにウーズの研究を批判し,彼の結論を一蹴して,彼とかかわると職を危うくすると支持者たちに警告を発するものもいた。
- 幸いなことにウーズの実績と科学的方法には非難の余地がなかったので,ゆっくりではあったが着実に進む彼の研究論文は審査を切り抜けていった。そして彼は尊敬され影響力を持つ一握りの支持者を味方につけた。
- 彼はトマス・クーンの「科学革命の構造」を読み,科学の進歩の歴史を見ると彼の苦闘が例外でない事実にいくらか元気付けられた。
- これはレーウェンフックとの類似している。彼の友人にあてた手紙。「無知の人々は私が手品師で,存在しないものを人々に見せるという。しかし彼らを許さなければならない。彼らにはそこまでわからないのだから。・・・新しいものはしばしば受け入れられない。人々は,教師が自分に押し付けたものにこだわるからだ。」
- 1980年代には次第に形成が変化。80年代の終わりになると,ほとんどの科学者は古細菌が独自の生命形態であることを受け入れるようになった。
第4章 窒素循環
- 乏しいけれども欠かせない窒素を求める戦いほど重大なものはなかった。古細菌,細菌,原生動物のような独立した微生物から,人体のように複雑で協調した集団を作る細胞に至るまで,地球上で生きる全ての細胞が窒素を必要とする。炭素,酸素,水素とともに,窒素も「生命の素材」なのだ。生物体内の大部分の窒素は,蛋白質および遺伝子のそれぞれの基本構成分であるアミノ酸および核酸の形をとっている。
- 我々を取り巻く空気の78%が2原子からなる窒素分子によって占められている。しかし窒素分子は化学的に不活性である。窒素分子のニコの窒素原子は非常に強い三重結合で結びついている。この結合を壊すことができるのは,ごくわずかな微生物に限られている。この重要な元素の資源が大気中の窒素だけだったら,地球上のほとんどの生物は死に絶える。
- 窒素ガスを窒素源として利用できる植物,動物,菌類は一つもない。さらに悪いことにはそれ以外には,地中深く埋まった堆積岩や火成岩に含まれる少量のものを除けば,窒素はほとんど存在していない。地球の窒素の99%は大気中の窒素ガスとして貯蔵されていて,残りの1%が土壌や海洋や生物体内に含まれているのだ。
- どの土壌にも大抵多少の窒素固定細菌は含まれているが,空気から窒素ガスを捕らえる能力は比較的稀な性質である。世界各地の土壌や海水に住む何万種類もの細菌のうち,窒素固定しつつ自由に暮らせる細菌は約200種に過ぎない。これよりいくらか一般的なものとして,宿主植物の根に住み着き,植物に窒素を与え,お返しに光合成産物を受け取るものが知られている。
- 世界中の窒素固定生物は自由生活を行うものも共生を行うものも,同じ酵素であるニトロゲナーゼを用いて窒素ガスをアンモニウムに変える。ニトロゲナーゼは酵素のうちでも二つの意味で文字通り巨大な存在だ。まずサイズが巨大で複雑だということ,もう一つは地球規模の生化学における巨人ということ。この貴重な酵素が全地球で数キロしかない存在だ。この酵素が失われると今日の地球の生命は停止してしまう。
- ニトロゲナーゼは窒素分子の中で窒素原子をつなぎ合わせている非常に強い三重結合を壊すのに必要なエネルギーのレベルを,大幅に低下させる。それでも窒素固定は,消費するエネルギーの点から見ると,他の生化学反応に比べて非常に「高価」についている。エネルギー要求量が大きい反応なので,自由生活を行う窒素固定細菌は不利な立場にある。反応を進める炭水化物やその多糖エネルギーの分子を探し回らなければならないからだが,共生を行う窒素固定生物の方は,宿主植物からエネルギーの供給を受ける。
- 窒素固定の過程で重要な役割を果たすニトロゲナーゼは酸素に晒されると破壊される。そのため個々の窒素固定生物は,ニトロゲナーゼを酸素から守る独自の仕組みを持っている。リゾビウムとマメ科植物の共生では,酸素を吸収する巨大分子レグヘモグロビンの「レグヘモ」の部分がリゾビウムの遺伝子,「グロビン」の部分は植物遺伝子に支配されているという発見は科学者を驚かせた。異なるドメインに属するに種類の生物が複雑な巨大分子を合成するノウハウと労働を共有しているからだ。
- 窒素固定の複雑な構造の基礎とその働きには費用がかかる。リゾビウムや他の共生窒素固定細菌は,植物宿主が光合成で生産する炭水化物のうち20%を使ってしまうことも多いと推定されている。それゆえ植物は窒素を得て共生の恩恵を受ける一方で,高い値段を支払っているのだ。必要ないとき窒素固定の活動を止めさせる仕組みを自然界が編み出したことも,特に驚くには値しない。例えば,根粒化と窒素合成を支配する遺伝子のうちには,土壌に高濃度のアンモニウムがあるとその働きを止めてしまうものがある。
- 地球規模で見ると,脱窒素細菌は土壌(そして海洋)の窒素を大量に大気に送り込む。この過程を窒素固定細菌の多大な努力に逆行するものと考えると,地球の生命にとって悪いことにように思われるかもしれない。しかし実のところ,窒素を捕らえる脱窒素細菌がいなければ,地球の窒素のかなりの部分が硝酸塩の形で海に流出して陸の生物が利用できなくなってしまう。海洋生物はこの硝酸塩をいくらか利用することができるが,海洋の生命には鉄その他の元素が不足しているので,それを全て利用することはできない。
- 脱窒素細菌は内部循環系からもれ出た窒素が海に流出して長期間失われる前にそれを集める掃除屋のようなものだ。硝酸塩を窒素ガスに戻ることによって,大気中の窒素が補充されて窒素循環系の外側の環がつながることになる。脱窒素細菌がいなければ窒素の流れは片道切符となり,大気から生物圏に,そして最後には硝酸塩の形で海に蓄積する。地球上の生命は窒素固定細菌と同じくらい脱窒素細菌にも依存していることになる。
第5章 地下の結びつき
- 地表の植民が本格的に始まったのは,四億年余り昔のデヴォン期初期のことだった。地表への進出が始まるまでには30億年以上の準備期間があった。この間に,地表の生命維持に必要となるはずの地下の生物が確立した。地表の生活を最初に試みた光合成生物は,根のない緑色の藻のような生物として海からやってきた。言うまでもないが,海で生きていたこうした生物が地表で一旗挙げようとしてやってきたとき,それは相当の大仕事だった。ほとんどのものはしなびて枯れた。しかし,100万年の間に,ごくわずかであるが,土壌菌類とうまく関係を結んで生き残れるようになった最初の生物が現われた。菌類は根の代役を務めて,地下から取り出した水や養分をパートナーの藻類に供給し,その一方で,藻類は地表でエネルギーを集めて光合成の産物を菌類に供給した。このような最初の光合成生物の子孫は次第に進化して,自分自身の根を持つ原始的な植物になった。
- 樹枝状体の菌根から採取したrRNAの配列を調べて進化的分類をしてみると,その起源は3億5000万~4億6000万年前で,推定されていた最初の陸生植物の起源と一致することが,1990年代初期に確認された。
- 根を持たない初期の緑藻と菌類の共生から植物の根が進化した可能性を推測する古生物学者もいる。
- 植物が対価を払っても,両者の関係にそれに見合うだけのものがあるのは,主として水や養分を求めて土壌を掘り進む菌根の優れた能力のおかげなのだ。菌根菌と植物の関係においてある種の場合には,植物の根は付着した菌をもっと深い部分に運ぶ乗り物の役割を果たす程度以上のことはあまりしていないのではないかと考えている分析家も知る。
- 生態系によっては,菌根菌は受動的に養分を吸い上げる働きのほかに,この菌根菌も木や有機物質を体の外側で「消化」する強力な酵素を放出できる。分解によって開放された養分が土壌に流出してしまう前に,菌類は素早くそれをさらって植物宿主に渡す。
- 菌根は窒素固定細菌ほど宿主特異性が強くないので,しばしば植物から植物へ,種から種へと広がる。もちろん菌としては,ひたすら利己的な理由でそうしているに過ぎないので,決して植物間にパイプラインを作ることを目的としているわけではない。菌類にしてみれば,どんな植物であれ自分を受け入れてくれるものに付着することが,植物による光合成の産物を最大限に取り入れる手段として有利なのだ。
- マメ科植物によって固定された大気中の窒素が,菌根の働きによって隣のマメ科でない植物に移動することも報告されている。
第7章 病原体戦争
- 世界中どこでも一握りの土を掬い上げてみれば,そこには破傷風細菌の胞子が含まれている。ここの胞子は40年間も生き続けることができる。他のクロストリディウム類の細菌と同様に,破傷風細菌も嫌気性だ。深い傷(あるいは傷口が閉じてしまった傷)で酸素濃度の低い環境に入ると,胞子は発芽して細菌は殖え始める。時間が進むにつれて細菌集団の一部が死ぬと,毒素が放出されてくる。