科学とは何か,科学的であるとはどういうことか,ということを読む者に鋭く問いかけ,正しいかどうかはどうしたら証明できるのか,そもそも証明するとはどういう事なのかを深く追及する良書であり,スリリングな読書体験が得られるはずだ。私はこういう本が大好きだ。
自然科学の法則は自然の観察,要素の抽出とそれを説明する仮説の考案,仮説の証明,という過程を経て,理論として確立する。
例えば大昔,芋虫が大きくなるとやがて動かないものに変化し,そこから蝶が生まれる,という現象を不思議に思った人がいたとする。彼は「ウニョウニョと動いている細長い虫が動かなくなると,そこから羽のあるものが生まれて飛んでいく」という法則を発見する。しかしこの「法則」は完全ではない。「細長くウニョウニョ動く虫」にはムカデ,ミミズ,小さなヘビなど(何しろまだ動物学がない時代だから爬虫類も節足動物もも一緒くたなのだ)がいるがそれらは蝶にならないし,一方,「羽があって飛ぶもの」にはコウモリやハトもいるがそれらは「細長い虫」から生まれないからだ。
そこで,「細長い虫から生まれるもの」の共通点は何か,それと「細長い虫から生まれないが飛べる生き物」では何が違っているかを観察し,そこから新たな法則が生まれてくる。それは「細長くてウニョウニョしている虫から生まれて飛ぶものは6本の足と4枚の羽を持っている」という法則だ。そしてどうやらこの法則に例外はないことがわかってくる。
さらに,「6本の足と4枚の羽」をもつ動物には「ウニョウニョと動く細長い虫」から生まれないものがあることがわかってくる(例:バッタ,セミなどの不完全変態する昆虫)。しかし,それらの体の基本構造は「体は大きく3つの部分に分かれていて,足も羽も真ん中の部分から生えている」ということで共通していて,それは次第に「昆虫」という概念に発展し,昆虫とそれ以外の動物が明確に区別できるようになる。
このように考えてみるとわかるが,「自然現象から特定のものを抽出し,それを説明する仮説を考案する」のはさして難しくないことがわかる。難しいのは,その仮説の例外や説明できない現象をどうするかということだ。そういう例外を含めて包括的に説明できれば,その法則はより普遍的なものになれるわけだ。
その法則でどうしても説明できないものが増えて矛盾点を解消できなくなった時,解決策は二つしかない。それまでの法則に新たに規則を付け加えて継ぎ足しでやりくりするか,それまでの法則を完全否定して新たに法則を見つけ出そうとするかの二つだ。要するに,病院が手狭になった時に,増築するか新たな病院を建てるかみたいなものだ。もちろん,後者は極めて大変だし,慣れ親しんだ仮説に対する愛着もあるから,通常の場合は前者の方式が選ばれる。そして,慣れ親しんだものを否定されたくない,慣れたものから離れたくない,というのも人間の心情として自然なものだから,ツギハギだらけの理論であっても何とかやりくりで何とかできないかと考えがちだ。
しかし,「理論の継ぎ足し部分」が多くなればなるほど理論としての美しさはなくなり,同時に現実の観測結果との整合性を保つことが難しくなっていく。この「現実の観測結果と理論との乖離」が解決不能なレベルに達した時,科学者たちは新しい理論を受け入れることになる。天動説と現実の天体の運動の矛盾が解消できなくなったからこそ地動説が必要とされたのと同じだ。
問題は,どの時点で旧理論と新理論を交代させるかだ。旧理論は継ぎ足し部分が多くてシンプルな体系ではなくなっているが,なんといっても古くから世の中の学者たち,専門家たちを納得させてきたという実績がある。一方の新理論は,どこの馬の骨とも知れない若い研究者が唱えているだけで,数年後には否定されて消えてしまう理論かも知れない。実際,科学の歴史にはそのような「流行りもの理論」が少なくないのだ。だから,常識ある科学者ほど新しい理論には慎重な態度を示す。一時の流行りもの理論に飛びついて研究を始めたのはいいが,それが間違いだった場合,その研究に費やした時間も努力も経費もすべて無駄になってしまうからだ。「新しい理論にはすぐに飛びつかず,時代の趨勢が決まってからそれを受け入れる」というのが常識である。
このように考えてみると,本書の凄さがわかってくる。「ニュートン力学もアインシュタイン相対論も完全に正しいわけではない。それらは限定された条件下でのみ正しいだけだ。今必要なのは,相対論を包括する新理論だ」と主張しているからだ。要するに,ニュートンもアインシュタインも限定された条件下でのみ成立する古い理論に過ぎない,と一刀両断しているわけだ。これがどれほど革命的,かつ非常識なものかは物理の専門家でなくてもわかるだろう。これは要するに,生物学で遺伝子理論を否定して新たな理論を提案するようなものである。
ではなぜ,本書の著者はこのようなトンデモナイ考えをするようになったのか。それは,宇宙の観測から,ニュートン力学やアインシュタインの相対論で説明できない異常現象が次々と見つかっているからだ。その異常現象とは,銀河団辺縁に位置する銀河の移動速度の異様な速さであり(銀河団を形成する個々の銀河の質量はわかっていて,それから銀河団全体の質量(=重力の強さ)は算出できるが,銀河団辺縁の銀河のスピードはその重力を振り切るほど速く,とっくの昔に銀河団はバラバラになっていなければならない),もう一つは,宇宙の膨張速度が加速している(宇宙において遠距離に及ぶ力は重力のみであり,宇宙の膨張速度は重力により次第に減速していなければおかしい)という事実だ。
つまり,ニュートン-アインシュタインが正しければ,銀河団辺縁の銀河の速度はもっと遅くなければいけないし,宇宙の膨張速度も減速していなければいけないのに,現実の宇宙はそうなっていないのである。
もちろん,天体物理の専門家は以前からその異常現象の解明に努めていて,それを説明するためにブラックマター,ブラックエネルギーという概念を導入した。
銀河団の辺縁の銀河の異常な速さを説明するために「まだ検出されていない物質=ブラックマター」が銀河団にあるために銀河団の重力が強くなり,銀河団辺縁の銀河に強い重力が及ぶため,移動速度が大きくても銀河団を脱出できない,と説明し,「宇宙空間(=真空)にはこれまで検出されていない斥力=ダークエネルギー」が満ち溢れているから宇宙の膨張速度は加速していると説明した。
そして,現実の銀河の速度と宇宙の膨張速度を説明するため,「宇宙を構成するすべての物質とエネルギーのうち,96%はこれまで観測も検出もされていない未知のもので,残り4%だけを私たちは観測してきたに過ぎない」ということを認めざるを得なくなった。つまり,アインシュタインの重力理論が正しいとすれば,ダークマターとダークエネルギーを想定せざるを得ないのである。そして何より,1世紀に渡って物理学の根底を成してきた相対論を捨てるのに比べたら,ダークマターやダークエネルギーを認める方が心理的に楽である。
こう説明されると何となく納得してしまうが,これは考えてみるとかなりの異常事態である。「地球上の湖のうち96%はまだ発見されていない」,あるいは「地球上の動物のうち,これまで発見されてきたのは4%に過ぎない」というようなものだからだ。
それに対し,本書の著者は「宇宙の96%は未知の物質とエネルギーというのはおかしくないか? ニュートン力学とアインシュタインの相対論で説明できない現象が起きているのだから,ニュートンやアインシュタインがそもそも間違っているからではないか?」と考えたわけだ。そして,本書の著者とそのグループは,「相対論を守るために得体の知れない素粒子やエネルギーを導入するのはおかしい。それより,現実の観測データの全てを一意的に説明できる新しい理論を構築すべきだ」と主張し,修正重力理論(MOG)を提唱したのだ。
MOGは「重力と同じくらいの強さの第5の力」を導入し,その第5の力は銀河や銀河団などのような大規模構造で初めて作用する力である。これを導入すると,相対論はMOGの一部として組み込まれることになり,しかもダークマターもダークエネルギーも不要になるのだ。それどころか,ホーキングが指摘した「ブラックホールでの情報喪失問題」という大問題も生じなくなり,おまけにビッグバン理論に幾つもある矛盾も回避できるらしい。というか,ブラックホールの概念自体も大きく変化せざるをえないのである。
では,アインシュタインの重力理論が正しいのか,修正重力理論(MOG)が正しいのだろうか。普通なら,実験すればわかるだろうと考えてしまうが,実はこれがそう簡単ではないのだ。銀河サイズ,銀河団サイズの実験室でなければ検証できないからだ。
これは,アインシュタインの相対論の正しさを証明した「水星の近日点の移動問題」を思い起こすとよくわかる。ニュートン力学で説明できない水星の近日点の動きを相対論が完璧に説明できたため,相対論が正しいことが実証されたという有名な観測である。この,ニュートン力学で説明できない水星の動きとは「100年間で角度にして43秒」である。ちなみに,角度1度の1/60が1分,そのまた1/60が1秒である。
つまり,100年間観測しても1分にも満たない角度のズレが相対論の正しさを証明したのだ。これはこれですごいことなのだが,普通の感覚で「100年で43秒のズレをよく測定できたな」ではないだろうか。逆に言えば,ニュートン力学とアインシュタインの相対論の違いを実証しようとすると太陽レベルの大きさと重さ,そして100年の時間が必要であり,それより小さな世界,例えば地球全体サイズくらいの大きさでは両者には差がなく,ニュートン力学で十分間に合うのである。
つまり今後,相対論か修正重力理論のどちらが正しいかを検証しようとしたら,太陽系全体より大きな実験室が必要となり,とてつもないサイズととてつもない重量ととてつもない速度と巨大エネルギーを投入するしかないのである。通常の質量と速度とエネルギー条件下の実験では検出されない以上,それを上回る巨大な実験装置が必要になるわけだ。これは,素粒子物理の実験に必要な加速器がどんどん巨大化しているのと同じで,極微の素粒子の世界を探るためには数kmサイズの加速器で光速に近い速度まで加速した重い粒子をターゲットとする素粒子にぶつけるしかないのである(・・・と私は理解している・・・間違ってるかもしれないが)。
考えてみると,ニュートリノに質量があることはスーパーカミオカンデでの観測で明らかになったが,それを検出するのに5万トンの超純水,1万本以上の光電子増倍管が必要だったのだ。逆に言えば,ニュートリノという光速に近い速度で運動する質量ゼロに近い粒子を観測するためには,それほど大掛かりな検出装置が必要だったわけだ。
というわけで,本書の紹介なのか雑感なのかわからない文章になってしまった。本書の目玉である「修正重力理論」について詳しく知りたければ本書を手に取って読んで欲しい。少なくとも私には極めて魅力的な仮説だと思うし,最新の宇宙論と量子重力について知ろうと思っている人には最適の一冊ではないかと思う。
本書が提案する修正重力理論が本当に正しいかどうかは私には全くわからないし,それについて論じようとも思わない(・・・というか,論じる能力もないわけだが・・・)。だが,本書の著者が本物の科学者であることはわかる。斬新な考えを論理的思考で理路整然と述べているからだ。修正重力理論が正しいかどうかは後世の科学者が判断すべきことだが,その理論の提示者が本物か偽物かは同時代の人間にも判断できるはずだ。
(2010/01/07)