『南アジア 世界暴力の発信源』(宮田律,光文社新書)★★
南アジア(パキスタン、アフガニスタン、インド)におけるイスラム過激派の活動を詳細に分析した本である。これらの国々の国家成立から21世紀までの歴史を紐解き、その結果、なぜこれらの国々でイスラム過激派の活動が活発になってしまったのかを説明しているため、その時々の複雑な政治情勢の動きが非常に分かりやすく解説されていて、この分野の問題に関心がある人なら手にとって読む価値があると思う。
さて何か事件が起きたとき,政治的指導者はその状況に応じて対応を選択する。通常の場合,彼らの判断はその時点では最も正しいものだったはずだ。問題は、その「短期的合理的判断」が長期的に見て最善の結果をもたらしているわけでないことにある。自然科学においては合理的判断は最善の結果をもたらしてきたが、政治の世界ではどうやらそうではないようなのだ。要するに、合理的判断が悲劇的結末に行き着くこともあれば、発作的でヒステリックに下した判断なのに、結果的に最善の判断だったということもあり得るのだ。
なぜそうなってしまうかというと,「合理的判断」と言っても実は次の二つの原理に支配されているからである。
- 相手は敵か味方,どちらに属するのか?
- 敵の敵は味方である
要するにこれは善悪二元論であり,次の論理と同じだ。
- その虫は益虫か害虫か?
- 益虫を食べる虫は害虫,害虫を食べる虫は益虫である
もしも全ての昆虫が「人間のために存在」しているのであればこの論理は正しいが,「昆虫は自分の為に生きているのであって,人間のために生きているわけでない」場合には,この善悪二元論は次のような例では破綻する。
- 蚊は人間を病気にするので害虫である
- 蚊を食べるトンボは益虫である
- アブラムシは作物を枯らすので害虫である
- アブラムシを食べるナナホシテントウは益虫である
- ナナホシテントウを食べるトンボは害虫である
要するに,トンボが人間のためだけに虫を食べているのならいいが,実はトンボは目の前にいる虫が食えそうだから捕食しているだけのことであり,それが人間にとって害をなすか益をなすかなんて眼中に無いのである。
本書の内容に戻るが、現在の南アジアの政治的不安定要因の原因の中心はタリバンを中心とした過激なイスラム原理主義にあるが、それを生み出した元々の原因は多様であり、「タリバンを制圧すれば平和がもたらされる」というような単純な解決策はありえないことがわかる。アフガニスタンのタリバン、パキスタン・タリバンはこの地域の歴史と複雑な政治状況が偶然の結果として生み出したものなのだ。
本書に従い、現在の複雑な政治状況を生みだした要因を箇条書き的にまとめてみようと思う。もちろん,ごく一部部をまとめているに過ぎず,本書の内容はこれよりはるかに広大である。
- もともとアフガニスタンは多民族が暮らす地域であり、建国後も一つの国家という意識が薄かった。おまけに諸民族間の関係は良好でなかった。
アフガニスタンのスンニ派教徒はシーア派ムスリムに対して不寛容で強烈な差別感情を持っていた。
- かつてアフガニスタンは緑豊かな大地だったが、アフガン戦争終結後、1990年代に部族間抗争が続いたため国土は荒廃し、飢餓が発生。飢餓が難民を生み出し、パキスタンのアフガン難民キャンプのスンニ派神学校で学んだ若者がタリバン(神学生)となった。
混乱の続くアフガニスタンで、規律と秩序確立を訴えるタリバンは広く支持された。
- タリバンは麻薬商人と協力してアヘン生産と流通を保護し、利益を得た。
2007年でアヘンの輸出総額はアフガニスタンのGDPの1/3以上を占めている。アフガニスタンの国家財政はアヘンによって保たれている。
- インドとパキスタンはカシミール地方を巡って準紛争状態にある。インドへの対抗上、パキスタンはアフガニスタンでのタリバン復活を支持した。
アフガニスタン・タリバンはパキスタンのイスラム過激派の活動を活発化させている。
インドではイスラム原理主義勢力が生まれ、それに対抗するために、ヒンズー原理主義が誕生しヒンズー至上主義を唱えるようになった。
- アメリカは不況になると軍需を増やすことで解決しようと考える国である。1929年の世界大恐慌も、最終的には第二次大戦への参戦による戦時好況で乗り切った。
アメリカにとって戦争は常に「打ち出の小槌」であり,これはオバマ大統領にとっても同じであろう。
- パキスタンはもともと穏健なイスラム神秘主義の国だったが、ソ連ーアフガニスタン戦争を機に無神論のソ連に対抗するためにイスラム教への信仰が強調され、過激なイスラム主義が台頭した。
アメリカはソ連に抵抗するムジャヒディンに武器を供与し,彼らのヘロイン生産も黙認。ヘロインの利益が対ソ連戦の戦費になってアメリカの利益になると考えたからだ。カーター大統領はあらゆるムジャヒディン組織を支援したが,その中には反米感情を持つグループも含まれていた。
アメリカの関心は,ソ連軍にいかに軍事的ダメージを与えることしか念頭になかった。
湾岸諸国はソ連に対するムジャヒディンの戦いを「聖戦」とみなし,膨大な資金をつぎ込んだ。
このころからアフガニスタンとパキスタンの国境に神学校が次々と建設され,急進的イスラム・スンニ派の教えが広がり,イスラム原理主義,イスラム過激主義が台頭した。
アフガニスタンのイスラム過激派へのアメリカの資金援助は,イスラム過激派テロ組織を世界中に拡散させる資金となった。
- 2001年,アフガニスタンのタリバン政権が崩壊。その結果,親タリバン勢力はパキスタンの部族地域に逃げ込み,ここを拠点にアメリカ軍・北部同盟への抵抗を開始。
アメリカはパキスタンのムシャラフ政権にタリバン支持勢力を掃討するように圧力をかけたが,パキスタンはインドとのカシミール紛争でイスラム過激派(=タリバン支持勢力)を利用しているため,彼らを武力制圧することを避けた。
要するに,「相手国は自分の敵か味方か? 敵の敵は見方だ」と判断して行動を決めたが,実は「敵の敵は実は味方のフリをしているだけ」であり,情勢が変わると敵味方は入れ替わるものなのだ。善悪二元論は極めてわかりやすい論理だがそれが適応できるのは単純な系だけであり,複雑系(例:政治,医学)にはこの論理は通用しないのだ。
このような南アジアの現状は解決不可能と思えるほど複雑に入り組んでいて、解決の道は全く見えていない。だがそれでもなお、本書の著者はこのような現実を受け入れつつ、アフガニスタンの地に平和と安定をもたらす方策を提案する(詳しくは本書を読んで欲しい)。それは決して容易なものではなく、多大な忍耐と相互理解を必要とするものだが、少なくともアメリカ(=オバマ政権)が目指す武力によるタリバン制圧よりははるかに現実的な解決法と思われる。タリバンなどのイスラム過激派を生むしかないほど追い詰められた社会、そして彼らを必要とする社会がある限り、暴力的イスラム過激派は根絶できないからだ。隘路を行くが如く困難な道だが、恐らく解決法はこれしかないような気がする。
(2010/01/18)