最近ではちょっと珍しい,サブタイトルのない新書である。
一般向けの科学書は大きく二つに分けられる。その分野の研究者が書いた本と、サイエンスライターなどのジャーナリストが書いた本の二つだ。それぞれ、一長一短がある。
前者は研究者が自分の専門分野について一般の人に是非とも知って欲しいことがある場合に書く。ただそれだけでは、一般の人(=必ずしもその分野に強い関心があるわけではない)向けではないため、より広いテーマについて書き、ついでに自分の専門分野の最先端の知識を潜り込ませる、という手法をとる。こういうタイプの本の書き手は往々にして論文は書き慣れているが一般向けの文章を書くのには慣れてなく、読みにくい文章になることがあるが、その分野の最先端の研究成果に触れることができるというメリットがある。
後者はもともと文章を書くことを本業としている人が書いているため、文章はこなれて読みやすく、内容もまとまっていてその分野を網羅する知識が得られるというのがメリットだ。だが、もともと研究者ではないため自己主張がなく、穏便で総花的な内容になりがちだ。しかし,広く満遍なくその分野の知識が紹介されているため,まず最初に手に取るとしたらこういうタイプの本だろう。
さて、本書は後者の典型例であり、ダーウィンの『種の起源』の内容をベースに、地球の38億年にわたる生命進化の歴史と、さらに人類の進化についての知識を要領よく、分かりやすくまとめた本である。著者はサイエンスライターであり、あのグールドの名著、『ワンダフル・ライフ』の翻訳者であり、文章のうまさには定評がある。実際、本書の文章は理路整然としていて明晰であり、しかも表現は平易でわかりにくい専門用語の使用は極力避けているようだ。しかも、要所要所で村上春樹の『1Q84』や『崖の上のポニョ』など、ここ数年の話題作を取り入れるなど、読む人を飽きさせない工夫もしてある。その意味では良書である。
もちろん、「生命誕生から人類までの38億年の歴史」について書いた本は他にも幾つかあるが、それらはほとんどハードカバーの大著であり、気軽に購入できる値段ではなかったりする。その点、本書は廉価な新書であり、私が知る限り、この38億年を新書で詳細に解説した本は他にはないと記憶している。
だから、生命進化の歴史に興味があり、この分野を網羅する総論的な知識を得たいと思っている人だったら、買って絶対に損はない本だと思うし、恐らく、ページを開くたびに新しい発見があり、あっという間に読み終えることだろう。一般向けの科学書としては水準以上の出来といっていいと思う。
ただ、生命誕生から人類誕生までの歴史についての知識を持っている人にとっては、本書は物足りないものだと思う。著者が研究者でないため、自身の最新の研究成果を披露するものでないからだ。同様に、賛否両論ある考えについても両方を紹介するのみであり、その論争について興味がある読者にとってはやはり物足りなさを感じるのではないだろうか。もちろんこれは、本書の欠点ではなく、サイエンスライターが書いた本に共通する弱点である。
それにしても,始祖鳥をめぐるダーウィン,オーエン,ハクスリーの人間模様は面白い。比較解剖学の大家オーエンはダーウィンの進化論に対して反感を抱いていて,始祖鳥の化石を手に入れた時,これをダーウィン理論に対する攻撃の武器にできると考え,自説を発表する。それに対して「ダーウィンの番犬」,ハクスリーは猛烈な反撃に出るが,実はこの時,ハクスリーは自然淘汰説には懐疑的だったのだ。なぜハクスリーはオーエンに噛み付いたかというと,単にオーエンが嫌いだっただけの理由だ。オーエンに反対するためにダーウィンを利用しただけのことだ。だがその結果としてハクスリーは進化論の旗手として世に認められる事になる。何とも人間臭いドラマである。
ちなみに,私がこれまでこのコーナーで紹介してきた生命進化に関する本の内容と重なっている部分がほとんどで,特に目新しい情報が付け加えられているわけではないため,既にこのような本を読んでいる人は特に手にとる必要はないと思う。
逆に,こういう分野についてこれから勉強しようと思っているが,本があまり多すぎてどれを選んだらいいかわからない,あるいは高価な本はちょっと・・・と思っている人なら,まず最初に手に取ってみるべき良書だと思う。
(2010/04/01)