『DNA誕生の謎に迫る!』(武村政春,サイエンス・アイ新書)★★★


 ここ数年間,医学の教科書も雑誌もまともに読んでいない。それどころか,m3.com や CareNet.com のような医学専用サイトすら見ていない。熱傷の治療にしても外傷の治療にしても,参考にできるものはどこにも書かれていないからだ。もしも私が救急当直をまだしていたら,流行している病気の診断や治療法について知るのは必要になると思うが,当直はせず,日常診療では外傷と熱傷,それと一部の皮膚科疾患しか診ていないため,他の疾患についての知識を入れる必要性を感じないのだ。

 そして何より,治療法・診断法には流行り廃りがあって,私が医者になりたての頃に普通に行われていた治療法が過去のものとなっている例をこの目でたくさん見てきたため,苦労して覚えた知識や手技でもいずれは使い物にならなくなるのだろうな,なんて考えてしまうのである。
 例えば,私が研修医の頃は毎日のように胃潰瘍の手術をしていたが,タガメット(R)の販売開始とともに胃潰瘍の手術は激減した。同様に,漏斗胸の治療も数年後とに新しい術式が開発された時期があり,せっかく一つの手術法を覚えた頃にはそれは時代遅れに,なんてこともあった。例えば,漏斗胸手術を説明するこのサイトの説明はわずか10年前に書かれたものだが,既に数世代時代遅れの説明となっている。わずか10年なのにである。医学の知識は最新と言ってもすぐに「最新」ではなくなるのだ。イワシやサバみたいに「足が早い」のである。


 その反動というわけでもないが生物学や物理学などの基礎科学の本はよく読む。これらの知識は余程のことがない限り,20年や30年で否定されることがないからだ。そして何より,基礎科学の知識はいろいろな分野に関わってくるため,思わぬところで役立つことが多い。ヤケドに全く関係ない生物学の知識が突然ヤケド治療に役立ったり,熱力学第二法則の考え方が「傷があっても入浴してもいい理由」を説明するのに役立ったりするのだ。

 極論すれば,臨床医学には将来無駄になるかもしれない知識は沢山あるが,基礎科学には無駄な知識はないのである。シロアリの消化管常在菌のセルロース分解過程の知識だって,太陽系惑星の形成理論だって,修正重力理論だって知って損にはならないのだ(・・・と固く信じている)


 そんなわけでDNAについてのこの本である。以前から,生命発生とか生物進化の歴史については興味があっていろいろな本を読んできたが,生命発生の大元となるといまだに諸説紛々でよくわからないことだらけである。そんな中で,生命の根源とも言うべきDNAがどのようにして作られたのかについてまとめたのが本書である。一般向けの本なので,私のような「素人に毛が生えた程度の医者」にはこのくらいがいいだろうと思って手に取った。結果として,この選択はベストだった。

 一般向けの科学の解説書・入門書の体裁をとっていて,全ページにわたり見開きの左ページに文章,右ページにはイラストや図,という構成になっている。重要な法則の発見者の顔のイラストが右側ページ一杯に書かれていたりするのはご愛嬌だが,それ以外の図(化学式やDNA複写の説明など)は非常に分かりやすく,余程の化学オンチでなければ最期まで読み進められるんじゃないだろうか。それでいて,内容は十分に濃く,化学や生物学の知識がある人ほど,多くのものを読み取れるはずだ。


 本書が解き明かすDNAの物語は極めて壮大にして精緻な物語である。それをざっとまとめてみる。

 物語は地球誕生直後の原初の海に始まる。ここで40数億年前に物質進化が始まり,それは二つの方向にわかれた。プレRNAとも言うべきペプチド核酸と,アミノ酸の生成であり,後者はやがて原始タンパク質を生成し,独自の「タンパク質ワールド」を形成した。

 一方,ペプチド核酸はやがてRNAとなり(核酸の塩基部分は数種類のアミノ酸,あるいはシアン化水素から作られたらしい),やがてRNAは塩基の種類により他種類のRNAに分化し,あるものはリボザイム(=酵素)に,別のものはRNA複製系に進化する。このようにして多種類の機能を持つRNAによって構成される「RNAワールド」が形成された。やがてリボザイムは「タンパク質ワールド」に出会い,相互作用により「RNAータンパク質ワールド(RNA翻訳系RNA+タンパク質)」が形成される。

 だが,RNAには遺伝子物質として大きな欠点があった。一つは分解されやすいこと,そしてもう一つは塩基としてウラシルを使っているため情報の転写エラーが起きてしまうことだった。

 このころ,遺伝子物質としてRNAを使う「RNA細胞」が原始の海にあり,その細胞をターゲットとする「RNAウイルス」も誕生した。いずれも塩基としてウラシルを使っていたが,一部のRNAウイルスが後にリボヌクレオチドリダクターゼとなる原始的酵素をゲットし,リボヌクレオチドに2個あった水酸基の一つを水素に替えることでデオキシリボヌクレオチドに変化する。そして同時にチミジル酸合成酵素を手に入れ,問題のあった塩基のウラシルはチミンに変化した。これによりRNAは「ウラシルーDNA」から「チミンーDNA」へと段階的に変化し,これにより,RNAにあった二つの欠点(物質として不安定/情報の転写エラーが起きやすい)を見事に克服される。

 そして,この新たに誕生した「DNAウイルス」が「RNA細胞」に感染し,RNA細胞にDNAが導入された。だが,宿主のRNA細胞では依然として遺伝子物質としてRNAが使われていた。欠点はあったもののRNA複写はそれなりに安定したシステムであり,DNA複写に切り替える必要がないからだ。しかし,酵素プライマーゼを持っていた一部のRNA細胞が,ウイルスが勝手に導入した新物質DNAを「遺伝情報のバックアップ」として活用し始めた。ちなみに,プライマーゼとRNAポリメラーゼ,DNAポリメラーゼは共通の祖先を持つと考えられている。これにより,遺伝子RNAからDNAに情報を転写してバックアップとして保存する,という反応が始まり,これが逆転写反応となる。

 当初,RNAポリメラーゼはRNA⇒RNAの情報転写を行っていたが,数個のアミノ酸が変化することでリボヌクレチドだけでなくデオキシリボヌクレオチドとも反応してしまうRNAポリメラーゼに変異する。この結果,RNA合成の途中で間違えてDNAを合成する細胞が生じ,一部のDNAは塩基同士の水素結合から二本鎖となって安定した構造をとる。そして同時に,「バックアップDNAからRNAを作る」作業も必要となり,これがDNA細胞での「DNA合成ではまず最初にRNAプライマーが作られる」反応のプロトタイプになったらしい。当初はウラシルーDNAとチミンーDNAが混在していたが,遺伝情報を伝える能力の違いから前者は後者に駆逐されることになった。

 このようにして一世を風靡した「RNAワールド」は「DNAワールド」に置き換えられ,RNAワールドの名残はわずかにRNAウイルスが伝えるのみとなった。DNAポリメラーゼは本来,デオキシリボヌクレオチドを重合させるための酵素であり,正確な塩基対を作るためのチェック機構を欠いてた。正確なDNA複写とは単に,DNAの構造による結果であり,ポリメラーゼの目的ではなかった。その「完璧な情報複写が保証されていない」ことが,その後の生命進化と分化を作り上げることになった。


 ・・・という風にまとめられると思う。というか,最低限でもこのくらいにまとめないと,私は本の内容を覚えられないのである。
 もちろん,この文章だけでは何がなんだかわからないと思うが,私が本書を読んで得た知識をまとめるために書いた文章だから,これで必要十分である。もしも,本書に興味を持たれた方がいらっしゃったら,是非,手にとって読んでほしい。

(2011/01/12)