『手の多様性―魚からヒトへの軌跡』(齋藤篤,近代文藝社)


 もしも私がこの本の編集者だったら,もっといい本にできたのに,と思ってしまった。もちろん私は本の編集はしたことはないけれど,この本をもっとよい本にすることなら簡単なのである。誤字・脱字をなくし,表記を統一し,主語と述語の関係をわかりやすく書き直し,修飾語の位置を修正し,最初に図版を入れる・・・と,それだけでこの本は数段いい本になる。


 研究者(研究家)にとって自分の本を出版するというのは究極の夢の一つだと思う。もちろんインターネット時代では,自分の研究してきたことをまとめて世に発表するのは簡単だが,きれいに製本された自分の本が書店の書棚に並ぶというのは個人サイトやブログを作るのとは全く別次元のものだからだ(・・・電子書籍しかなくなればまた別かもしれないが・・・)。だから私は,生まれて初めて書いた本が出版され,それが店頭に並べられたときの感激は今でも憶えている。それは,本が出て嬉しいというのと同時に,「私が今日,突然死んだとしても,この本は残る。自分が死んでも誰かに読んでもらえる」という不思議な安心感だった。

 この本はそういう一冊だろう。著者は昭和9年生まれ(つまり,世代的には私の親と同じ)の整形外科医で,千葉大学整形外科教室に所属し,特に「手の外科」を自分の専門分野に定めて研究を続けてこられた先生だろうと想像される。そして,県医師会雑誌などに投稿してきた文章に加筆してまとめたのが本書である。


 とにかく本書は手についての様々な知識や蘊蓄満載で,著者の博覧強記ぶりが楽しめる本だ。シーラカンスと古代魚の鰭の骨格から始まり,8本指の古代魚が陸地に上がって5本指を基本とする両生類に進化し,それが爬虫類や鳥類に受け継がれる様子を説明し,さらに様々な種類のサルの手の構造と機能を説明し,それらと現生人類の手との関連性を見事に解き明かしていく。手の進化の歴史について書かれた本は他にもあったと思うが,これほどコンパクトでお値段も1,500円と手頃なものは類書がないと思う。その意味では,手の外科の専門家や手について興味を持っている人なら常に手元に置いて損はないと思う。

 だが,この本を読んで面白いと感じる人がどれだけいるかとなると,ちょっと疑問を持ってしまう。この本がターゲットとしているのは「手の外科に精通し,霊長類の手の構造と機能についても興味を持ち,さらに動物の進化の歴史にも人並み以上に知識を持っている」人間である。恐らく,本書の著者がそういう人なのだろうと思う。だが,こういう人はかなり少ないと思う。手の外科の専門家自体がそれほど多くないし,その中でも比較解剖学に興味を持つ人はさらに少なくなるし,ましてや「古代魚から霊長類までの進化の歴史」について興味がある人となると,かなり限られた読者層になると思う。


 さらに,書評をする側,自分も本を書いている人間からすると,本書は問題点が非常に多いのである。人生の大先輩が集大成として出版されたであろう本に何も文句をつけなくても・・・という人もいると思うが,本は本として評価されるべきと思うのだ。

 まず,書籍としての完成度が低い。本書には正誤表が添付されていて,10ヶ所ほどの誤植が修正されているが,ざっと見ただけで他に10ヶ所以上の誤植があるのだ(多分,気合いを入れて探せばもっと見つかるはず)。そして,科学系の本として致命的なのは,単位の間違いがあることと,単位の表記がバラバラであることだ(例:cmと糎とセンチが混在している)。しっかりした編集者がついていれば,この程度のページ数の本なら誤植は数ヶ所に減らせるし,単位の表記という基本的なミスも早い段階で訂正されるはずだ。つまりこの本は,編集者の手がほとんど入っていないか,校正作業をほとんど経ずに出版されたかのいずれかとしか思えないのだ。

 さらに,これも編集レベルの問題なのだが,主語と述語が一致していなかったり,形容詞や修飾語がどの名詞につくのかがわかりにくい部分が少なくない。これは,形容詞や修飾語の位置をちょっと変えるだけで格段に分かりやすい文章になるのだが,実はこれは文章を書いている本人はなかなか気がつかない部分である。だからこそ,人に読んでもらう文章にするためには編集者という第三者の目が必要なのだ。


 さらに,解剖学的専門用語が羅列されている段落と,それとはあまり関係のないエッセイ的な段落が小見出しなしに繋がる部分が多く(例:「ホエザルは裂手か」の章でホエザルの手の解剖の説明の後に,まったく脈絡なくニホンザルとタイワンザルの交雑の問題が取り上げられ,さらに突然,高崎山の猿の手指奇形の話題となる),これも読み手にとっては困りものだ。要するに,専門家向けの科学論文と素人向けのエッセイが混在し,ゴチャゴチャになっているのだ。もちろん,書いている本人にとっては連続性のある話題なのだろうが,この書き方ではどういう読者をターゲットにしたのか疑問に思う。
 もしも私が編集者であれば,解剖学的・比較解剖学的な部分をメインに据え,エッセイ的な部分はコラムとして関連する場所に囲み記事的に挿入する形にすると思う。

 さらに言えば,いくら「手の外科」の専門家を対象にしたものであっても,手の解剖図・骨格図を最初に載せるべきだろうし,可能であれば両生類,爬虫類,各種霊長類の代表的手の骨格図を載せるべきではないだろうか。なぜかと言うと、これは論文集ではなく一冊の本であり、本である以上、これ一冊で完結していなければいけないからだ。つまり、本を読んでわからないことがあったら、その本のどこかを開けばわかるようでなければいけないのだ。


 なお,最後の方の「秀吉の多指症」の部分もバランスが悪い。秀吉の手指が6本あったことは有名だが(ルイス・フロイスの記録に明記されている),著者はここでEllis-van Creveld症候群(ECV症候群:軸後性多指症,狭小胸郭,先天性心疾患,外胚葉形成不全,軟骨低形成による短肢症)を取り上げ,「秀吉はこの症候群だった可能性もあるが,心疾患も外反膝もないため別の症候群か?」と述べている。問題は,なぜここでEVC症候群を登場させる必然性があったのかという点にある。

 実は私はこの症候群の患者さんを治療し,症例報告の論文を書いているので,ちょっとうるさいのだ。
 この症候群は家族内発生が多く,autosomal dominantで遺伝し,孤発例はそれほど多くないし,近位短縮型の高度の短肢症・小人症が必発で歩行障害を合併するからだ。とてもじゃないが戦国時代に戦場に出ることは不可能だと思う。さらに,「秀吉は髭が薄く,外胚葉形成不全か」と読める記述があったが,EVC症候群の患者を4歳までフォローした経験からすると頭髪は最初は薄くてもその後は普通の密度になり,「ヒゲが薄い」だけで外胚葉形成不全とするには無理がある。
 秀吉について「多指症と低身長」という面から医学的に推理するのであれば,両者を主症状とする先天性体表異常症候群は他に多数あり,極めて発生頻度の低いEVC症候群だけを取り上げるのは明らかにバランスを欠いているのである。しかも本書では病名を "Elis-van creveld" と誤記しているのだ(正しくは "Ellis-van Creveld" である)


 本書に書かれている膨大な情報は非常に貴重なものだと思うし,それが一冊の本にまとまっているのもとても助かる。今後私が「手の機能と進化」について何か書こうと思いついた時は,まず最初にこの本を手にとって基礎的事実を確かめることになると思う。その意味では,非常に優れた資料である。だが,一冊の本として見ると完成度が低すぎる。

(2011/05/11)