『怖い絵 泣く女篇』(中野京子,角川文庫)★★


 「怖い絵」というタイトルの本を中野京子さんは何冊か上梓している。これはその中の『怖い絵2』に2章新たに書き足して文庫本にしたものだ。ちなみに以前このコーナーでは『「怖い絵」で人間を読む』という本を紹介している。

 「怖い絵」というと魑魅魍魎や悪霊・怨霊を描いた絵とか,残虐シーンを描いた絵を考えてしまう。もちろん,本書でも表紙になっているドラローシュの『レディ・ジェーン・グレイの処刑』のような凄惨極まりない光景を描いた絵が紹介されている。この絵では首切り役人の斧で首を落とされようとしている犠牲者が若く美しい女性(なんと16歳!)であることから,その恐ろしさとただならぬ気配が画面全体から迫ってくる。16歳の女の子がこの直後に首を切り落とされるかと思うと身の毛がよだつ。

 同様に,カレーニョ・デ・ミランダの『カルロス二世』も怖い絵だ。世界に冠たるスペイン・ハプスブルク家の王様を描いた絵だが,足が細くて立っているだけでやっとの様子であり顔だけが不気味なくらい白い。これでは生ける屍である。実は,スペイン王家は「高貴なる血筋」を守るために血族結婚を重ねたが,その結果,10歳になってもまともに立てず,碌に読み書きもできない王子が生まれ,王位を継承する。この「血に呪われた」家族はそれでもなお,高貴なハプスブルク家は血統を守ろうとした。


 これらの絵の怖さは見ただけでわかる。しかし,その他の本書で取り上げられている絵,例えば,ベラスケスの『ラス・メニーナス』ファン・エイクの『アルノルフィニ夫妻の肖像』ヴェロッキオの『キリストの洗礼』は怖い絵ではない。それどころか,『ラス・メニーナス』は西洋絵画史上最高の傑作として賞賛されている名画中の名画である。それのどこが「怖い」のか。

 著者の中野京子さんはこれらの絵の背後にある「かつて時代の常識であったこと」の恐ろしさ,そして,その「常識」により人間性を否定されてしまった人々の無念さに想いを寄せる。そして,そういう「時代の常識の怖さ」を鮮やかに抉り出していく。魔物や怪物が怖いのではない。本当に怖いのは人間そのものなのだ。


 例えば,ベラスケスが持ちうる限りの超絶技巧を注ぎ込んだ名画『ラス・メニーナス』の右下には小人症(正確には軟骨形成不全症による四肢短縮型小人症)の女性が描かれている。この絵の従来の解説ではあまり取り上げられない登場人物だ。実は,この絵画の舞台となったスペインのフェリべ四世の宮殿には小人症はもとより,超肥満,巨人症,精神発育遅滞,黒人などが「慰みもの」として飼われていた。そして当時の奴隷マーケットにおける彼ら「慰みもの」の値段は非常に高価だった。彼らは人間ではなく珍種の動物として高値で取引され,ペットとして飼われていたのだ。体表先天異常というだけで,人間ではなく動物扱いだったのだ。それが当たり前だった世界の「怖さ」である。

 同様の怖さはホガースの『精神病院にて』にも見て取ることができる。絵の舞台になっているのは18世紀半ばのロンドンのベスレヘム精神病院。なんとここはロンドン市民の有名な観光名所だったのだ。市民は動物園にでも行くような気分で精神病院を訪れ,「人間でなくなった動物」を見物しに来たのだ。病院は彼らから入場料を取り,患者をつついて興奮させるための棒の持ち込みも許可されていた。精神病院に収容された時点で人間ではなく動物として扱われていたのだ。わずか160年ほど前,日本の幕末の頃でも精神病患者は見せ物であり商品だったのだ。

 その様子を中野京子さんは「当時の《人間》の範囲はずいぶん狭く,その分《狂気》の範囲はゆったり広く取ってあった」と説明している。何しろ当時の精神病院には精神病患者の他,犯罪者,孤児,貧民,売春婦が一緒くたに押し込められていたのだ。精神病患者も犯罪者も,アルコール中毒も物乞いも,不道徳な行いをしたものも全て《狂人》というジャンルに押し込められていたのだ。このホガースの絵の主人公の若者は,博打で全財産を失い,自暴自棄になって暴れただけなのである。そのため,精神病院に動物のように収容され,檻に入れられ鎖につながれたのである。要するに,酒を飲み過ぎてちょっと暴れただけで鎖につながれて動物扱いされ,見せ物になったのだ。それが「世間の常識」だったのである。


 「怖い」という絵ではないが,外科の歴史を知る上で重要なのがレンブラントの『チュルプ博士の解剖学実習』という絵と中野京子さんの解説である。それを読むと,17世紀の内科医と外科医の教育体制の違いと身分の違いがよくわかるし,当時の外科医の仕事に瀉血や骨折の治療とともに,カツラ制作から少年の去勢(カストラートにするための手術)が含まれていたこともわかる。そして,内科医にバカにされていた外科医たちが,自らの地位向上を求めて高名な内科医や解剖委を招聘して勉強会を企画したという経緯も身につまされる物語だ。まさに,医学史,外科史として本書は貴重な資料なのである。そしてさらに,オランダでは公開解剖が人気イベントとなり,遺体不足が生じ,墓場をあばいて「死にたての死体」を盗む闇商売が盛んだったという「暗黒史」も克明に説明されている。まさに「死体という商品」の需要と供給の経済学である。

 ちなみに,チュルプ博士の斜め後方で分厚い解剖学書を見ている外科医が描かれているが,時代的に考えて彼が読んでいるのはヴェサリウスの『ファブリカ』であろう。


 さらに,ベックリンの『死の島』の章では,遺体埋葬の方法が19世紀初頭に変わり,共同墓地が霊園化されていった過程が説明されるし,ヴェロッキオの『キリストの洗礼』では,この凡庸な絵の一部分だけがアンバランスに上手すぎることから,この部分を書いた絵描きが誰かを明らかにし,一流の芸術家と超一流の芸術家の間に横たわる越えがたい深淵の「怖さ」を見事に描きつくしている。


 このように内容豊富でとても面白い本である。これで700円は安いと思う。しかし,文庫本には文庫本の限界があるのも事実だ。絵を鑑賞するにはやはりサイズが小さすぎるのだ。新書ならまだしも,文庫だとページの横幅が小さく,横長の絵はかなり小さくなってしまった。これが本書の唯一の欠点である。無理な注文とは思うが,文庫本化する際には,横長の絵はページを横にして紙面一杯に絵を表示するような工夫をして欲しかった。

(2011/08/16)