『「窓」の思想史: 日本とヨーロッパの建築表象論』 (筑摩選書)★★


 何か一つの物に着目して文明史を俯瞰する本や,文化の違いを論じていく本が好きだ。例えば,塩(NaCl)をテーマにすれば全生物の歴史も人類通史も書けるし,鳥の鳴き声をどう表記するかで文化を比較することも可能だろう。暖房の文化史というのもありだし,装飾品から見る人類史なんて本もある。考えてみたら,森羅万象がネタになる。

 本書は建物の構造に見られる日本文化とヨーロッパ文化の違いに着目し,建物の象徴として「窓」という存在を取り上げ,「水平志向の日本文化,垂直志向のヨーロッパ文化」という結論を導き出していくのだが(ちょっと強引な結論付けをしている部分もあるし,かなり強引な二項対立的分析もあるが・・・),「窓」というともすれば見逃される地味な存在に着目した点が素晴らしいと思う。なぜ窓が面白いかというと,内と外の境界であり,それは同時に「内と外の境界をどう考えているのか」という文化の根本に帰着するからだ。


 傷の治療をしているとどうしても避けて通れないのが創感染(細菌感染)である。これはまさに「内(=体内)と外(=細菌)」のせめぎ合いの問題であり,境界問題といえる。現時点で主流となっている創感染予防の考え方は「細菌を中に入れない」というものだ。だから,消毒をガッチリして細菌を殺し,滅菌物で無菌操作しているわけだ。

 「絶対に細菌を中に入れない」という考えは,「絶対に泥棒に入れない建物を作れ」という命題と同じである。絶対に泥棒に入られない家にするにはどういう構造にしたらいいだろうか。正解は「入り口も窓も作らない。水道もガスも電気も電話線も引かない。空気の取り入れ口も作らない」だろう。入口や窓があればそこが侵入口になるし,電話線が引いてあればネット接続から情報を盗むことができる。空気取り入れ口から毒ガスを入れられたら命が盗まれる(=死ぬ)。逆に言えば,そのくらいしなければ「外部からの侵入」なんて防げないのである。外部との連絡性を保ちながら,なおかつ侵入を防ぐというのは論理矛盾しているのである。だから,「細菌が入らないようにする」感染予防対策は論理矛盾しているわけだ。

 つまり,「窓」とは最初から矛盾に満ちた存在なのだ。


 窓なしの住居は簡単に作れるし,住むこともできる。いわゆる横穴式住居であり,出入り口しかない住居である。人類は長らくこういう住居で暮らしてきた。しかし,横穴式住居には欠点がある。換気が悪く,昼でも暗いことだ。もちろん,中で火を焚けば明るくなるが,四六時中火を炊いていれば空気が悪くなる。だからどうしても,光を入れる「明り取り」が必要になる。それが「窓」だ。もちろん,壁に穴を開ければ光が入るし通気口にもなるが,雨風も一緒に入ってくるという致命的欠点がある。これは雨が多い日本では大問題だ。同時に,冬になれば北風も吹き込んでくる。これも困ったことだ。

 そこで平安時代の日本では蔀(しとみ)が作られた。開閉式の格子であり,平安貴族の寝殿作りに用いられた。昼間は開けて夜閉める仕組みであるが,風雨や外気を遮断する能力はなく,後に雨戸が使われるようになるまで風雨を完全に防ぐことはできなかったようだが,光を入れるという目的は達成できた。また,当時の家屋の基本構造は「湿度の高い日本の夏を乗り切る」ことに主眼を置いて設計されたため,冬の寒さに対しては無防備で,せいぜい火鉢や囲炉裏くらいしか暖房装置がなかったが,夏と冬のどちらか一方にしか対応できないとすればどちらを優先するか,という選択の問題である。

 一方,中世ヨーロッパでは「明り取りであり,同時に風雨も防ぐ」ために開口部に羊皮紙や動物の膀胱をなめしたものを貼り付け,その後,大理石を薄くスライスする技術が生まれてそれを窓枠にはめて窓にした。いずれも「風雨は防げるが,明かりは十分に入らない窓」だったが,これも何を優先するかという選択の結果である。

 一方,ヨーロッパでは12世紀頃に東方からガラス作りの技術が伝わる。当初,ガラスは厚くて不透明だったが,成分を工夫することで次第に透明性が上がり,同時に板ガラスが作れるようになって,一般家屋にもガラスの窓が導入されるようになった。そして,19世紀後半から「コンクリートと鉄とガラス」で建物が作られるようになり,屋外と同程度の光量を室内に取り入み,同時に外気を遮断することが可能になった。


 これが大雑把な「窓の発展史」であり,これだけでも十分に面白いが,実は本書のテーマはこれではないのだ。「窓」に代表される建築物の基本構造に見られる,ヨーロッパと日本の比較文化論なのだ。

 ヨーロッパの窓と出入り口は基本的に「押して開けるか,回転して開ける」構造をしている。そして様々な道具,食器,武器の使い方もそうだ。更にそこに,キリスト教という「発信型宗教」の思想が加わり,「押す文化」が形作られる。同時に,豊富な建築資源という点から建材として石が選ばれることになる。そして,共同体としての都市が発展し,人口増加に伴って,必然的に建物は高層化していく。石という建材がそれを可能にしたのだ。要するに,徹底して垂直志向である。

 同時に,常に異民族,異文化との衝突を繰り返してきたヨーロッパでは「防衛」が重要な概念となる。それが都市を市壁で囲み,家の入り口は内開きにし,1階の窓の外に鉄格子をはめ,鍵をかける文化を生んだのだという。更にそれが,家の中でも靴を脱がないという生活様式を産み,広い会場で立食パーティーを開くという文化に結びつくのだから面白い。


 一方の日本家屋の基本は「水平移動」であり,動作の基本は「引く動作」である。入り口も窓も水平移動させて開閉し,バスや電車の扉もそうだ。欧米生まれの自動車の扉は本来「回転式」だったが,日本ではそれを水平移動方式を付け加えた。そして,多くの道具は引いて使う。

 そして日本は大陸から「適度に離れた」島国だ。だから,文化が伝わる程度には近いが,大陸から大群を率いて攻めこむには遠い。そのため,「外部から新しい文化を取り入れて,日本古来の文化と融和させ,新しい文化を創出する」という日本独自の文化の下地となった。どうやら,「外部から取り入れるのは得意だが,自分から発信するのは不得手」という日本人の特長(?)はこのあたりに始まるらしい。

 古来から日本人が選んだ建材は木だ。豊富な森林資源があったからこその選択だが,耐久性という点では木は石に劣る。しかしそれが,自然災害,特に地震と台風の多い日本の風土では石では駄目で,木でなければいけないのだ。その結果,江戸時代末期に至るまで日本家屋は平屋建てが主流となり,二階建て住居は明治になってから作られることになる。技術的には木造でも二階建て・三階建ては作れるのだが,日本の風土・自然から考えると平屋建てが最善の選択だったのである。つまり,ヨーロッパ文化が垂直志向であるのに対し,日本の風土では水平志向の方が合理的選択なのである。


 このような「ヨーロッパの石造りの高層住宅」と「日本の木造の平屋建て住宅」が,両者の思考様式に影響を与え,さらには歩き方の違い,踊りの基本動作の違いにまで影響を及ぼしているというのだから面白い。他にも,ヨーロッパの鐘と日本の鐘の鳴らし方の違い,種子島鉄砲伝来から日本オリジナルの鉄砲生産までにタイムラグが生じた理由とか,家屋で廊下が作られるようになった理由とか,ヨーロッパと日本の夜這い方法(=男の進入経路)の違いとか,薀蓄満載の楽しい本である。

(2011/11/11)