なぜ人間はヘモクロマトーシスや糖尿病になる遺伝子を持っているのだろうか,なぜそれらは進化の過程で排除されなかったのだろうか,という疑問から,進化とは何かについて考察する本だ。非常に示唆に富む部分もあれば,とても勉強になる部分もある一方,ちょっと勇み足だったり,明らかに解釈(あるいは理解)が間違っている部分も見受けられる。その意味では,是々非々で読めるだけの知識のある人にとっては間違いなく良書だが,「本に書いてあることはすべて正しい」と盲信しがちな人にとっては「取り扱い要注意本」と思われる。
私見では「8割は★★★だが,2割は★評価」という感じだろうか。
まず第1章「血中の鉄分は多い方がいい?」は鉄代謝異常として有名なヘモクロマトーシスという遺伝疾患を取り上げている。要するに,生物にとって必須の元素である「鉄」が病原体にとっても必須元素であり,ヨーロッパを死の大陸とした15世紀のペスト禍ではヘモクロマトーシスがペスト菌に対する防御手段となったことが説明されている。このため,現在のヨーロッパ人は3~4人に1人はこの疾患の遺伝子を持っているらしい。本書では「なぜ生命体は鉄を必要とするか」についてはさらっと説明するだけにとどめているが,このあたりについては以前紹介した『鉄理論』の方が詳しく深く説明しているので,余裕がある人はこちらも合わせて読んだ方がいいと思う。
いずれにしても,「すぐにペストで死ぬより,少なくとも中年までは生きられる(=子孫が残せる)ヘモクロマトーシス」の方を人類は選択するしかなかったのだろう。
同様に,ソマリアの難民キャンプで遊牧民の貧血を治療しようと鉄剤を投与したところ,逆に感染症が蔓延したというのは,強烈なアイロニーであり,「とりあえず検査データを正常にしよう」としがちな現代医学の治療方針の問題点も浮き彫りにしている。
逆に,理論に穴があるのは第2章「糖尿病は氷河期の生き残り?」である。「寒いとおしっこがしたくなるのはなぜか?」という命題を提出し,その後,冬になると完全に体を凍結させてしまうアメリカアカガエルの秘密を明らかにし,そこから,多尿と高血糖が氷河期に有利となる様子を説明していき,1万3000年前のヤンガー・ドリアス小氷期に選ばれたのが糖尿病遺伝子を持つ人々だった,というシナリオを紹介している。
理論的には見事だと思うが,両生類のアメリカアカガエルから一足飛びに人類まで話を進めるのはさすがに無理があるように思う。なぜかというと,この「多尿と高血糖」による抗寒冷システムが効果を発揮するのは,血液(=体温)が氷点以下に下がった場合だけだからだ。血液が氷点以下に下がった場合,血糖が正常の100倍高くなれば糖が不凍液として作用するのは確かだが,そもそも恒温動物の哺乳類では外気温に関わらず体温は一定だし,体温が低くなるとそもそも死亡するのだ。つまり,カエルのような「高血糖による血液凍結予防」は作用せず,いくら氷河期でも「糖尿病でない人」に対する淘汰圧が働くとは思えないのだ。糖尿病遺伝子が氷河期をきっかけに広がったのが事実だとしても,そのメカニズムはアメリカアカガエルとは異なったものではないだろうか。
第2章の「コレステロールは日光浴で減る?」ではアルコールを分解できないALDH2-2変異型はアジア人に多く,ヨーロッパ人には皆無である理由を両地域の歴史的な「水摂取様式」の違いで説明しているが,これもどうだろうか。確かに紀元6000年頃にバビロニアでビールが造られ,紀元4000年にシュメール人がワインを作り始めたのは事実だが,中国文明での酒誕生も結構古く,その違いはせいぜい1000年とか2000年くらいのものだと思う。
もちろん,「その1000年が遺伝子の違いを生んだ」と考えることは可能だが,本書の後半では「必要であれば遺伝子は急速に変わるものだ」と説明するのだから,アジアで変異型が選ばれ,ヨーロッパでは選ばれなかった理由は別にあると考えるべきではないだろうか。そうでなければ,本書の後半部分と矛盾してしまうはずだ。
第4章「ソラマメ中毒はなぜ起こる?」では,ソラマメ中毒をマラリアに対する対抗手段としてのG6PD欠損症と説明する。そして同時に,食べる者と食べられる物のせめぎ合いから両者がともに進化してきた様子を見事に描き出す。
とりわけ,セロリが自己防御のために作り出すソラレンが人間にとって発ガン物質として作用し,それが殺虫剤を使ったセロリより,有機栽培のセロリの方に100倍も多いことが説明される。要するに,セロリは人間のために生きているのでなく,セロリはセロリの論理で生きているのであり,人間の論理や思惑(例:有機栽培は善,殺虫剤は悪)とは無関係な生物なのだ。少なくとも,「人間の都合による善悪二元論」は意味がないことがわかる。
第5章の「僕たちはウイルスにあやつられている?」は内容はいいが,タイトルはちょっと変だ。章の最初では狂犬病ウイルスが登場するが,そのあとはコレラ,マラリア,連鎖球菌だからだ。つまりこの章は「僕たちは病原体にあやつられている?」でなければいけない。
この章で最も面白いのは,ポール・イーワルドの「病原体の移動手段と病原体の毒力の関係」だ。人体には様々な病原体が感染して様々な病気を起こすが,症状の重篤さも種々様々であり,致死性のものからほとんど症状がないものまで千差万別である。似たような細菌なのに重篤度がまるで違うのはなぜだろうか。それに対しイーワルドは「病原体の移動手段」を3つに分けて説明したが,この説明が実に秀逸である。要するに,新しい宿主(=まだ病気にかかっていない人間)を見つけて移動するために,感染宿主が元気で動き回れる方が有利か,動けないほど弱らせた方が有利かの違いなのだ。
そして,これを逆手にとると「病原体の移動手段を変えてやれば,毒力そのものも変化する」のだ。その実例として本書では1991年の南アメリカ大陸でのコレラ流行をあげているが,「梅毒の弱毒化」もその例かもしれない。梅毒菌は人間同士の接触がなければ移動できず,そのためには「感染した人間がいつまでも元気」な方が有利だからだ。同様の例は他の細菌感染やウイルス感染にも見られると思う。
一方,本書でも指摘しているように,抗生物質はいわば「細菌との軍拡競争」であるが,細菌の方が変異(=進化)が速い以上,この競争は絶対に人間に不利であり,いわば最初から負け戦だ。その証拠にどんどん「どんな抗生剤も効かない細菌」が増えている。つまり,細菌と同じ土俵に立っては人間は負けるに決まっているが,本書のように「病原体の移動様式」そのものを変えてやれば,毒力のみを減弱させることは可能かもしれないし,こちらの方がはるかにエレガントだ。
この章は医者にとっては必読だと思うし,この部分だけでも本書を手に取る価値があると考える。
一方,多くの専門家から不備が指摘されているのが第6章「僕たちは日々少しずつ進化している?」である。ここではジャンピング遺伝子とレトロウイルス,DNAトランスポゾン,レトロトランスポゾンなどを取り上げて,遺伝子は容易に変化し,しかも変化の方向性が決まってしまうとその変異速度は大きくなると説明し,レトロウイルスへの感染が人類と他の霊長類を分けたものだと述べているが,これは明らかに勇み足というか,過剰解釈だと思う。
私は遺伝学については素人同然だが,700万年前に人類が誕生した直後にレトロウイルスに感染し,そのことで「進化の早送りボタン」を手に入れた,という説明は受け入れかねるのだ。そのレトロウイルスが人間に感染した直後に絶滅し,同様の機能をもつレトロウイルスも出現しなかった,というなら話は別だが・・・。
ちなみに最終章は「あなたとiPodは壊れるようにできている」という見事なタイトルで,前半は老化の問題を取り上げ,後半では「人類は水中で暮らして直立歩行を獲得した」というアクア説を紹介している。前半の方は全く問題ないが,後半のアクア説がこれまた問題だ。これはかなり前から唱えられている仮説で,これなら確かに人類が直立できた過程も,体毛がないことも,皮下脂肪があることも説明できる極めて魅力的な仮説である。
この仮説の問題点は私は二つあると思う。海岸近くで初期人類の化石が発見されているわけでないという問題と(・・・単に見つかっていないだけという可能性もあるが・・・),何を食べていたのかという問題だ。特に後者は大問題だ。
初期人類が海で暮らしていたと言っても,現在の人類より泳ぎがうまかったとは考えられない(これは,現在の人類と他の霊長類の遊泳速度を比較すれば明らかだろう)。つまり,深く潜れたわけでも速く泳げたわけでもない。となると,日常的な食料としては魚でなく貝,甲殻類(エビ,カニ),海藻など中心だったと考えざるを得ないが,貝類も甲殻類も海藻も低カロリー食材であって,よほど大量に採取しない限り生きていけないのだ。人間が「海の幸」だけで生きていくためには高カロリー食材である魚を効率的に捕獲しなければならず,そのためには漁網という高度な道具が必要なのだが,人類がそれを手にするのはせいぜい3000年前にすぎないのである。
(2012/02/06)