『われ思う,故に,われ間違う』★★★(ジャンーピエール・ランタン,産業図書,1996)


 この本は面白かった。物理学や天文学,生物学の偉大な発見をした偉人たちが,実は間違った観念にとらわれていたり,間違ったことを前提に研究を進め,結果的にうまく行ったり行かなかったりした様子を詳細に分析している本なのだが,彼らの壮大な勘違いの様子が実に人間臭いのである。

 間違ったことを前提にしたにもかかわらず,正しい結論に何故か到達してしまった科学者もいれば,過去の定説を最後まで囚われていた科学者もいる。知らず知らずのうちに自明の理と考えたことを前提にしてしまったために,大発見の一歩手前で立ち止まってしまった科学者もいる。間違ったことを前提に出発したのに,偶然に偶然が重なって大発見をしてしまった科学者もいれば,正しい前提から出発したのにつまらない事で大発見をフイにしてしまった科学者もいる。それどころか,自分が発見したものが世紀の大発見であることに気づかずに放っておいた科学者もいる。先人があまりに偉大なため,その言説をすべて正しいと盲信して自分の眼で見たものを信じなかった科学者もいる。


 例えば,ヒポクラテスは偉大な医学の祖だが,彼の四体液説は無批判に信じられ,なんと19世紀半ばになっても四体液説を元にした治療が行われていた。

 ピタゴラスは数学の天才だったが,世界のあらゆる現象は数学が支配すると考えて現実を無理やり数学に当てはめて解釈しようとした。そのため,その後の自然科学は数学を警戒して避けて通るようになった。その後,科学は数学と無関係に進み,両者が不分離のものとして扱ったのは16世紀のガリレオ登場まで誰もいなかった。

 アリストテレスは宇宙の中心は地球で,天体の運動は完全な円だと考えた。神聖で完全で無限なものは円だからだ。彼の妄想のため,その後の地動説は苦難の道を歩むことになったし,「円の呪縛」はコペルニクスやガリレオを最後まで縛り付けた。

 ガレノスは人間の死体解剖ができないため(当時は遺体解剖はタブーだったから),動物の解剖を元に人体解剖図を描いた。その後,医学教育はガレノスの解剖図で行われた。万能の天才ダ・ヴィンチですら,ガレノスの解剖図に忠実で珍妙な脾臓の絵を描いている。


 19世紀から20世紀にかけて,多くの科学が人種や性差にこだわり,それが大流行する。白人以外の人種に対する白人種の優位性を示すため,女性に対する男性の優位性を証明するため,様々な統計が持ち出された。

 現在でもブローカ野やブローカ失語症に名前を残すブローカは頭蓋内容積計療法を考案し,自分の研究は厳密に科学的で客観的なものだと信じていた。彼は脳の大きさは知的能力の高さと比例すると考えていたが,それに反する計測結果(天才なのに脳が小さい/犯罪者なのに脳が大きい)が見つかるたびに詭弁を弄して自説を擁護した。

 ダウン症(21-trisomy)にその名を残すダウンは,人種による知的能力の差を研究し,劣等人種には生物学的な特徴があるはずとデータを分析した。一方,ビネは知的ハンディキャップを持つ生徒を助ける手段として「ビネの尺度(後のIQ)」を提案するが,IQはその後,米国で移民(=劣等人種)への差別を正当化する手段に使われた。


 15世紀になると,天文学で長くドグマとされたプトレマイオス宇宙(=天動説)に対する批判が高まってきた。コペルニクスはプトレマイオスの理論を勉強し,「惑星の円軌道は中心から外れたとある」という部分に欠点があると考えた。円運動をしている限り中心点を動かすことは考えられなかったからだ。そして彼は地球中心でなく太陽を中心とする宇宙を思いつくが,「円の呪縛」のためにそれはプトレマイオスの天動説よりもさらに複雑怪奇な代物となった。おまけに,計算による予測と実際の運動にズレがあった。

 ケプラーは壮大な妄想から出発して結果的に「ケプラーの三法則」を発見した。彼は,球に内接する完全立体は5種類しかなく,球と立体をマトリョーシカのように入れ子にすれば6つの球が描けることに着目し,6つの球が6つの惑星の軌道に対応すると考えたのだ。思いつきとしては面白いが,もちろん間違っている。しかし彼は強引に惑星間の軌道に完全立体と当てはめていく。その後彼は,最も詳細な天体観測データを持っているティコ・ブラーエのもとで研究し,そこでようやく「惑星の軌道は正円」というアリストテレスの呪縛から逃れるわけだが,今度は「軌道は卵型」という間違った考えにとらわれる。最後の最後で楕円軌道に行き着き,「ケプラーの第三法則」を導きだすが,実は彼自身はその法則が重要なものとは考えていなかった。

 これがガリレオになると「歴史の嘘」のオンパレードとなる。そもそも彼は天文学者ではないし,「それでも地球は動く」とも言っていないし,拷問を受けたことも独房に閉じ込められたこともない。総て後世の創り上げた美談である。おまけに彼は,コペルニクス理論についていい加減な知識しかなく,単純化して適当に解釈していただけだった。その結果,いわゆる「ガリレオ裁判」ではコペルニクス理論の正しさを論証することができなかった。そして,コペルニクス理論の正しさを証明する証拠として持ちだした新理論は,自分自身が打ち立てた運動の法則と矛盾していた。おまけに,6年前に発表されたケプラーの理論については全く言及していなかった。ガリレオは「惑星の動きは完全な円」であるという固い信念を持ち,楕円軌道を毛嫌いしていたからだ。そして裁判で彼は,コペルニクス理論を間違いだと否定し,我が身の安全を図るのである。


 フレミングが偶然からペニシリンを発見したことは有名だが,その年が冷夏でなければカビは生えなかったらしい。気温が低い日が続いたため,カビがバクテリアより増殖しやすかったからだ。しかも,フレミングはせっかく見つけたペニシリンで動物実験に使おうともしない。ペニシリンが血中ですぐに失活すると思い込んでいて,治療に使えるとは考えていなかったからだ。その結果,物質としてのペニシリンが発見されてから,抗生物質として製品化されるまで16年の無為な時が流れることになった。

 1947年,アメリカで宇宙線観測用にあげられた気球は7年後に回収された写真乾板から,それまで知られているあらゆる粒子より重い素粒子が検出されたのだ。1982年にはこの粒子「アノマロン」に関する国際学会が開かれ,量子力学は修正が必要になる事態となった。しかし3年後,それは重粒子ではなく,たまたま偶然に乾板について影を見誤ったことが判明した。ちなみにこの気球を小型民間飛行機が発見して追跡し,「不思議な飛行物体」と報道される。これが「世界初のUFO目撃例」となったというから,よくよく人騒がせな気球である。

 そして,自説に都合よくデータを改竄となると枚挙にいとまがない。ニュートンは数学に合うように実際の数値をねじ曲げたし,ドルトンは自分の原子論によく合うデータだけを取り上げ他のデータは無視した。メンデルの実験もあまりに数字がきれいに整いすぎていて,追試してもこれほどきれいなデータにならないことは知られている。同様にミリカンは磁場に浮かぶ水滴で電子の電荷の値をかなり正確に出しているが,メンデルもミリカンもデータの取捨選択をしていた。


 こういう誤謬と誤解と曲解と勘違いの科学史を知ると,相田みつをではないが「仕方ないよね 人間だもの」と言うしかない。偉人伝や科学の歴史を俯瞰した本を読むと,鋭い観察眼と不快洞察力とたゆまぬ努力を兼ね備えた科学者たちが,一気呵成に心理に到達したかのように錯覚してしまうが,そんなことはないのである。歴史に残るような偉人であっても,試行錯誤の連続で,いろいろ屁理屈を捏ねては観察結果を自分の理論に都合のよいようにねじ曲げていたのだ。そして,結果的に正しい結論に到達したからいいようなものの,そうではない科学者のほうが圧倒的多数だったことは言うまでもない。

 考えてみるとわかるが,誰もしていない研究を始めたり,世界で最初にある現象に気が付いた人にとって,目の前に広がっているのは荒涼たる荒野だけである。後ろを振り返れば自分が通ってきた道はあるが,それより先に道はない。どこが危険で,どこが安全かもわからない。それどころか,その先にゴールがあるのかすらわからない。だから,前に進むには「この先にゴールがあるはず」と自分で勝手に信じ込み思い込むしかない。そういう「強い思い」なしには前に進めるわけなんてないのだ。

 それでうまくゴールに到達できれば「強い信念を持っていた」と賞賛され,到達できなければ「愚かな信念を捨てられなかった愚蒙の科学者」とバカにされるだけであり,その差はある意味,紙一重といえる。つまり,一種のバクチである。

(2012/04/03)