「地球のからくり」に挑む★★★(大河内直彦、新潮新書)


 科学系の新書はかくあるべし,というお手本のような良書。何より素晴らしいのは,「最も揺るぎない事実/最も揺るぎない数字」を最初に提示し,それから議論を進めている点だ。同時に,物事の最も太い幹の部分が最初に読者に伝えられるので,読者は「このエピソードは物語全体の中でどのあたりに位置しているのか」がわかり,安心して読み進めることができる。これは科学系読み物の書き手としては絶対に必要な能力だが,実は得難い資質だと思う。第二に素晴らしいのは膨大な量の知識を背景とした多種多様なエピソードが満載で,読み手に「お得感」を与えること。しかもそのエピソードが知識の披露に終わっていない所がいい。そして第三番目が文章の上手さだ。華麗な文章でも流麗な文体でもなく無骨系の理系文章なのだが,文章のリズムがよく,読み手を軽快なリズムに乗せて次々に新しい世界に誘うさまは見事だと思う。


 例えば,太陽光発電や光合成藻類によるバイオエネルギーを説明する章では,「地球に降り注ぐ太陽のエネルギーの総和以上のものを生み出すことはできない」とまず最初に,太陽光から得られるエネルギー量の上限を提示し,人間の工夫(=科学技術とも言う)の限界を示す。「無限にとも言える太陽のエネルギーを利用すれば・・・」なんていうおとぎ話(クリーンエネルギー賛美者はしばしば,このようなお伽話を大前提にしている)とは無縁である。

 あるいは,「地上の暮らすことのできる生き物の数には上限,つまり定員がある」という説明も極めて明快だ。地上の動物はどうあがいても,植物が「固定」した太陽エネルギーを直接,間接に利用するしか生きるすべがないからだ(例外は深海底の熱水噴出孔の生物群と,化学反応により生存のエネルギーを得る地中の古細菌くらいだろう)。そして,太陽エネルギーが1平方メートルあたり毎秒1.4キロジュールで,植物が固定する際の効率が10%で・・・と計算すると,1年間に固定された太陽エネルギーの総和は300京キロジュールとなる。それを草食動物が食べて彼らの体に蓄えられるが,その時蓄積されるのは摂取量の10%だ。さらに肉食動物が草食動物を食べるとさらに10%に目減りする。結局,肉食動物の「取り分」は3京キロジュールであり,これ以上増やすことは不可能だ。

 一方,地上には70億人のホモ・サピエンスが生存している。ホモ・サピエンスの生存に必要なエネルギーが一人一日8000キロジュールであり,70億人では1年間に合計約2京キロジュールとなる。どう考えても70億人が生存するだけで,地上の植物が固定する「一年分の太陽エネルギー」の2/3を人類が消費していることになり,他の草食動物も肉食動物もほとんど生存できないはずだ。


 しかし現実はそうなっていない。ここに「からくり」がある。それが農耕の発明であり,窒素固定という魔術だ。農耕について本書は「農耕とは大地の一部を切り分けて「特別仕様」にし,自分たちだけの食糧を育てること。自然界のルールに縛られずに抜け駆けできるようなからくり」と明確に定義している。しかもそこに,穀物という植物を選んだことが有利に働いた。イクラ「特別仕様」にしたとしても,穀物意外の植物だったらこれほどの「抜け駆け」はできなかったのだ。

 そしてハーパー・ボッシュ法という奇跡のアンモニア合成法が加わる。これで人類は好きなだけ肥料を作れるようになり,同時に火薬も合成できるようになった。そしてドイツは戦争に突き進むことになる。だが,夢のハーパー・ボッシュ法と言えどもエネルギー保存則から逃れられないのだ。1グラムのアンモニアを合成するのに100キロジュールのエネルギーを要し,1年間に人類がアンモニア合成に使っているエネルギーの総量は,なんと大型原発150基分に相当するのである。


 そして本書は,人類が利用してきたエネルギーの歴史を俯瞰し,再生可能エネルギー,化石燃料,原子力エネルギーの本質を抉り出していく。そして同時に,それらの限界値・限界量について説明していくが,どれも極めて明快だ。

 それにしても,本書で説明される石油生成の物語は想像を絶する壮大さだった。1億年前に突如起きたマントルからの熱エネルギーの噴出であるマントル・プルームにより,火山活動が活発化し,その結果,地殻に閉じ込められていた大量の二酸化炭素がマグマとともに噴出する。そして環境は激変し,多くの生物が絶滅したが,それは光合成と窒素固定がともに可能なシアノバクテリアにとっては千載一遇のチャンスだった。それまで他の細菌に片隅に追いやられていたシアノバクテリアはここぞとばかりに大発生した。その結果,赤潮が起き,海は腐海と化した。しかもその赤潮は数十万年間,続いたのだ。海底に降り注ぐシアノバクテリアの遺骸はマリンスノーとなり,やがて海底地殻になり,熱と圧力により炭化水素に熟成した。それが石油だ。石油はまさに,1億年前の植物プランクトンが変化したものであり,自然が作り上げた「植物由来の天然油」であることがわかる。

 ちなみに本書を読んで初めて,石油,ケロシン,パラフィンの違いがわかった。それまで私はパラフィンとは石油を生成する過程で得られた鎖状飽和炭化水素だとばかり思っていたが,ケロシンもパラフィンも黒色頁岩を乾留して得られた油であり,ただ,国によって呼び名が異なっていただけのことだった。


 その他にも,本書には様々な知識が満載だ。例えば,ノスタルジーをもって語られる蒸気機関車のボイラー室でどれほど過酷な労働が行われていたかを,石炭のエネルギー密度と機関車の運動エネルギーから説明したり,同時に三池炭鉱や夕張炭鉱の採掘現場の危険性も取り上げている。

 さらに,地球を巨大な発酵槽として生まれるメタンガスの由来と,そのメタンを主成分とする天然ガスの発火に神を見たイラン高原の民が作った宗教,メタンハイドレートの発見秘話からバミューダ・トライアングルの謎など間然とするところがない。

 さらに,大気中の二酸化炭素の増加に歩調を合わせるように減少する大気中の酸素濃度のことを取り上げ,それが地球全体の循環システムから導き出される必然の結果であることを理路整然と説明する。

(2012/08/20)