この本は、私が何となく抱いていた「里山」についての幻想を見事に打ち砕いてくれた。なるほど、そういうことだったのかと目からウロコがボロボロ落ちた。落ちすぎて、あとで掃除が大変だったくらいだ。そのくらいいい本だ。
里山、とりわけ江戸時代の里山については私はこんな風に考えていた。
ところが、この本を読むとそれがすべて大嘘だったことがわかる。まさに、里山幻想、理想郷伝説にすぎなかったのだ。江戸時代の里山は、日本各地のどこを見ても、ろくに木も生えていない荒廃したはげ山だったからだ。そんなことは、江戸時代に描かれた浮世絵を見れば一目瞭然だったのだ。虚心坦懐にそれらの絵を見れば、誰だって気が付く簡単な事実なのだ。しかし、「江戸時代の里山は緑豊かな理想郷だった」という前提込みで見てしまうから、「絵描きは現実を描かなかったんだな」と思ってしまう。濁った目玉で見れば、絵も濁って見えるのだ。
なぜ、山は荒廃していたのか。もちろん、人間が収奪したからだ。水田を作るために山地を切り開き、家や道具を作り、燃料とするために木を切り倒したからだ。そして、木は無尽蔵にあると考えて切る一方で、植えるという発想を持たなかったからだ。だから、平城京ができればその周囲は平城京建設の材料を切り出してはげ山になるし、平安京に遷都すれば今度のその周囲がはげ山になる。戦国の世になって戦国武将が競って新田開発に乗り出せばその領地にははげ山が増える。江戸幕府ができれば関東近郊の里山はすぐにはげ山になり、灌木とススキしか生えない里山風景が渺々と広がっていた。
日本の人口の変化を研究した本によると,日本の人口は右肩上がりに増加したわけでなく,急激に増加した時期,停滞した時期,逆に減少した時期と様々だが,人口増加は結局,耕地面積の拡大があってこそ人口増加が可能だったことがわかっている。この時,日本の国土面積は一定だから,[耕地面積を増やす]=[森林面積を減らす]とするしかなかったのだ。かくして,戦国時代から江戸時代初期にかけて日本の人口は増加し,森林はどんどん荒廃していった。
そして、明治維新になったが、基本的に日本人が自前で使える資源は「木と土と石」しかなく、毎日の煮炊きのためには枯れ木を拾ってくるか木を切るしかなかった。そしてこの状態は第二次大戦後まで続くのだ。要するに,このころまで,庶民が普通に使えるエネルギー源は薪炭のみであり,基本的に縄文や弥生時代とあまり変化していなかったようだ。だから,里山は破壊されてはげ山になっていったわけだ。
考えてみれば、私(1957年生まれ)の子供の頃、秋田の田舎では燃料はまだ薪と炭だった。小学生の頃、父親が風呂を沸かすためにスギやマツの枯れ葉に火をつけていた記憶しているから、恐らく1960年代半ばまで秋田県の田舎ではそれが普通だったのだろう(私の育った家が特別貧しかったという事はなかったと思うから)。
そして,かつて日本中の山がはげ山だったことは,本書に掲載されている多数の写真が証明している。1950年ころの岡山県各地の山地,同時期の秋田の白神山地に連続する青森の山地などを見るとわかるが,まさに「木が一本も生えていないはげ山」であり,「波平さんの頭」状態なのだ。そして,わずかに生えている気もマツなのである。広重の「東海道五十三次」の浮世絵の背景の山地を見ると,斜面にへばりつくように数本のマツが描かれていることがわかるが,まさにこれが現実だったのだ。
そして,第二次大戦が終結してからも森林の収奪は続く。兎にも角にも住居と,煮炊きするための燃料が必要であり,それは山に生えている木しかなかったからだ。そしていよいよ山ははげ山化していくが,はげ山はついに人間に牙を剥く。1940年代後半から毎年のように,日本列島各地で大洪水,山崩れ,大水害が頻発したのだ。江戸時代の森林荒廃も大災害を引き起こしたが,第二次大戦後の自然災害はそれに輪をかけてひどかった。
そして,日本国政府は造林・植林に方向転換し、現在私たちが日常的に見ている「緑豊かな森」ができたわけだ。過去400年かけて破壊され続けた日本の森は、わずか50年で劇的に再生したのだ。
もちろんそれは地道な植林が実を結んだものだが、実はその裏にはエネルギー革命と農業革命があり,これらがなければ日本の「森林回復」はなかったのだ。
そして、森は薪炭の供給地としての役割を終えたが、それが新たな問題を引き起こしている。日本の森は「量的」には見事に再生したが、再生した森は「質的」に劣化を起こしているのである。
このほかにも本書は、沿岸都市を飲み込もうとしていた飛砂害の深刻さ(昭和初期の新潟市はまさに危機的状況だったらしい),その飛砂害の原因と河川の関連性,はげ山が扇状地と天井川をつくるメカニズムなど,非常にわかりやすく説明している。
個人的には,沖積平野と沖積河川,後背湿地の関係がよく理解できただけでも読んだ甲斐があった。
(2012/09/07)