ゼロからトースターを作ってみた★★(トーマス・トウェイツ,飛鳥新社)


 自宅の部屋を見回すといろいろなものが雑然と置いてあるが,その多くは石油製品と金属製品だ。衣服もバッグも,パソコンもデジカメも,テレビも壁掛け時計も,一部のものを除いてほとんどは石油製品と金属の組み合わせだ(特に,私みたいなデジタルガジェット好きの部屋は・・・)。紙製品,木綿や羊毛,食品以外は石油と金属(=鉱石)から作られているといっても過言ではないと思う。

 ということは,タイムマシンに乗って時間を遡れば,テレビもパソコンも車もヘア・ドライヤーも自転車もレインコートもペットボトルも,全て石油と鉱石になるわけだ。時間を巻き戻せば,私の部屋は石ころと石油になるはずだ。

 と,ここまでは誰でも理解できる。しかし,その石油や鉱石と,三輪車やビニール傘や旅行鞄との中間過程がすっぽり抜け落ちていて,ユーザーの私たちにはそれがどのようにして作られたのかが全く見えていないことも事実である。どこかの誰かがいろいろな作業をしてくれた結果,石油からメガネが作られ,鉱石から自転車が作られて売り場で売られていて,それをゲットして毎日使っているわけだが,そのあたりを実感することは絶対にない。


 本書の著者であるイギリスの大学院生もそう感じたらしい。「一体,どうやったら石ころがトースターになるんだ?」って疑問を持ったのだ。だが,その疑問に誰も答えてくれない。だから彼は,石ころや石油からトースターを作ってみようと考えた。他の誰かが作っているんだから,自分に作れないわけがないと考えたわけだ。しかも自分は化学の知識も工学の知識も持っているし,鉄鉱石を溶かして鉄を作り,銅鉱石から銅線を作る技術については図書館に行けば簡単にわかるだろう。何より,大昔の人より自分の方が遙かに知識は豊富なはずだ。

 だったら楽勝じゃん,と彼は考えたのも自然の成り行きだ。そこらのスーパーに並んでいるトースターと同じ機能を持った物を作り,みんなでトーストを焼いて食べようぜ,と彼は思いつく。どうせ作るのなら,石油と鉱石からきちんと作ってやるぜ,とミエを切ったのだ。

 そして,9ヶ月に及ぶトースター作りの大冒険が始まる。


 まず,何はなくても鉄は必要だ。そこで彼は223kmを移動し,イギリス国内の鉱山を訪れ,40kgの鉄鉱石をゲットする。これで8kgの鉄が作れるはずだ。そして彼は,現代の冶金学の教科書を片っ端から読み始めるが,まるで役に立たないのである。
 個人で鉄鉱石から鉄を精錬する方法は,結局,16世紀のラテン語の本に書いてあった。

 そして彼は鉄鉱石を細かく砕き,それを鍋に入れてコークス(産業革命以後の溶鉱炉の一般的燃料で,現在も使われている)で熱してみた。それで何とか鉄はできたが,打ち延ばそうとした瞬間,それは呆気なく砕け散ってしまう。彼が作った鉄は,くず鉄以下の代物だったのだ。
 そこで彼は,近代以前の溶鉱炉では木炭が使われ,木材がなくなったためにコークスに切り替わった歴史を知る。要するに,「昔の燃料(=木炭)より今の燃料(=コークス)の方が優れているはず。優れているから木炭からコークスに切り替わったはず」という思い込みが間違いだったのだ。少量の鉄を作るなら木炭の方が簡単で高品質の鉄が得られるが,大量の鉄を作るにはコークスで低品質の物を作り,後で不純物を取り除く方が簡単なのだ。その不純物を取り除く方法が発見されたから,産業革命が起きたのだ。

 かくしてこの青年は,古代からの製錬技術から産業革命期までの数千年の技術革新の歴史を追体験していく。要するに,大昔は技術と知識がないために木炭を使っていたのでなく,鉄鉱石の精錬に最善の材料を選択した結果が木炭だったのだ。

 結局,彼は鍋で鉄鉱石を熱する方法を諦め,電子レンジで熱する方法を採用するが,そこでも彼は「断熱しないと機械が壊れる」という当たり前の知識が欠如していたため,電子レンジをオシャカにしてしまう。


 そして彼は,断熱材のマイカ(=鉱物)を求めてろくな装備も持たずに山奥をさまよい歩き,ポリプロピレン(=最もシンプルなプラスチック)を作るための原油調達のために石油会社に交渉したりするが,その原油自体が手に入らない。それならと,ジャガイモのデンプンからバイオプラスチックを作ろうとすると,できたバイオプラスチックはすぐに原形をとどめずに崩れてしまった。

 おまけに,電熱線作りに必要なニッケル鉱石を調達するためにはシベリア北部の秘密鉱山か,フィンランド北部の鉱山に行くしかない。ところが,もう貯金通帳は残高ゼロだし,学位論文の発表まであと2週間しか残っていないのだ。最初は「トースターなんて楽勝じゃん」とナメてかかっていたのに,まだ材料全てが揃えられないのだ。発表会でみんなにトーストを焼いてふるまうはずだったのに,加熱に絶対必要な電熱線すらできていないのだ。そんな彼の目に,カナダの造幣局の小さなニュースが飛び込んでくる。

 そして彼は何とかトースターを作り上げる。完成したトースターの写真を見るとわかるが,トースターと言うよりは焼け跡から発見されたトースターの残骸にしか見えない無惨な格好をしている。しかし,彼の9ヶ月のにわたる悪戦苦闘を知っていると,その残骸のようなトースターは神々しいばかりに美しい。よくぞここまで作ったものである。すごいぞ!


 それでも彼には「実際に電気を通してみて,トーストを焼く」という最後の作業が残っている。しかし,下手すれば感電死である(何しろ,銅線を絶縁するゴムを作る時間はなかったし,イギリスのコンセントは230ボルトである)。それでも彼は勇気を奮い,コンセントに手作りアダプタを差し込む。そしてトースターは次第に熱くなっていくが,その時・・・!


 これはすごい本だ。石油と鉱石からトースターを作るという発想もぶっ飛んでいるが,思いついたとしても普通は実行しようとは思わない。実行するにはあまりにもハードルが高く,障害が多過ぎるからだ。だが,世の中にはやってみなければわからないことがたくさんあるのだ。この青年にとってトースター作りはその一つだったのだ。思いついたと,実際にやってみたには天地ほどの違いがある。そして,これは間違いなく大冒険だ。知的興奮に満ちた大航海だ。

 また本書には,トースター作りを通じて知った様々な知識と情報が満載だ。一番印象に残ったのは,電力会社と電化製品の関係だ。


 1882年,ニューヨークで最初の発電所が建設され,翌年,ロンドンでも発電所ができ,発電所近くの街灯や数軒の家への電力供給が始まったそうだ。だが,電力会社はすぐに大問題に直面する。一日の大半は電力が使われず,基本的に夜しか需要がないのだ(電灯用しか電力需要がないのだから当たり前だ)。一方,電力を作る方からすると,電力消費に合わせて電力生産を調整することは困難であり,余った電力を蓄えておくこともできない(これは現代でも解決されていないことはご承知の通りだ)。電力会社とすると,朝も夜もぶっ通しで常にピーク時電力を生産するしか手がないのだ。

 そこでどうしたか。夜以外にも電力需要を増やせればいい。電力供給量を減らせない以上,需要を増やせばいい,というわけだ。それを実現したのがトースターに代表される家電製品だったのである。電気冷蔵庫で物を冷やし,一日ラジオをつけ,部屋を快適な温度にするために,人々は便利な家電を買っては電力を一日中使い続ける快適な生活を享受した。

 そして電力会社はさらに多くの電力を持続的安定的に供給することに努め,一方私たちは,「365日,24時間通して同じ量の電力が供給される」ことをあたり前のこととして受け入れるようになった。そして,この「365日,24時間を通して同じ量の電力を」の究極の姿が原子力発電である。

(2012/11/05)