気候文明史★★★(田家 康,日本経済新聞出版社)


 最近,古代文明史や農耕の歴史に関する本ばかり読んでいる。もちろん,人間が糖質を食べるようになった事情について知り,ひいては糖質制限の妥当性の揺るがぬ根拠を得たいからだ。当初,農耕開始についてぼんやりしたイメージが持てなかったが,いつの間にかかなり具体的にイメージできるようになってきた。もちろん,私が知りたい知識についてドンピシャで書いてある本はなく,断片的な情報しか提示されていないが,いろいろな本を読んで断片を集めていってジグソーパズルのように組み立てていけば,それなりの知識は得られるようだ。


 この本は,私より2歳年下の気象学の研究者が書いたものであり,ホモ・サピエンス誕生から現在までの20万年間を「気候変動」という点から一気に説明しようと言う意欲的な試みであり,そこで紡ぎ出されていく壮大な物語は圧倒的だ。

 そして,地域ごとに物事が経時的に説明されているため極めて理解しやすいが,何より,各章の最初に「この章で明らかにしようと思うのは次の3つの疑問である」というように課題をまとめているのがいい。このように書いてくれると,本の読み手にその章の到達点をまず最初に提示しているので,今自分が読んでいるのはどのあたりなのか迷わないですむ。ちょっとした配慮だが,これがあるとないとでは大違いだ。こういう工夫は本の書き手として見習いたいと思う。


 さて,地球の歴史では氷河期と無氷河期,どちらが一般的だろうか。実は,無氷河期が圧倒的に長いのだ。氷河期とは地表の一部にでも氷床がある時代,無氷河期とは地表のどこにも氷床がない時代のことをいい,現代は南極は氷床に覆われているから氷河期に入る。もちろん,地球はこれまで3度の全球凍結という想像を超える極寒の時代を経験しているが,それ以外は極地にすら氷床がない時代の方が長かったのだ。最近10億年を見ても無氷河の期間の方が3倍長く,現在の氷河期(最終氷期:3500万年前に始まる)は実に2億年ぶりの氷河期だったのだ。

 そういう「氷河時代」の寒さを「衣服」でしのぎ,衣服を作れなかったライバルたちを後目に,どんどん分布を広げていったのがホモ・サピエンスだった。いわばわれわれは「氷河期の申し子」である。私たちはつい,「人類は火の使用で他の動物を圧倒した」と考えてしまうが,寒さで凍え死なず,それどころか逆に狩りに出ていけるようになったのは衣服であり,特に重ね着が極めて強力な防寒対策となった(これは今日でも同じだ)。そして,重ね着という高度な技術を可能にしたのは「針と糸」である。針と糸はあまりにも地味で目立たないが,実は人類史上,最も偉大な発明の一つなのである。ちなみに,アタマジラミとコロモジラミの種の分化が起きたのは7万年前であることがわかっているが,これこそまさに人間が衣服を常に着るようになったのが7万年頃であることを示している。


 ちょっとイメージしてみるとわかるが,木に火をつけることはできても,それを長時間燃やしておくことは難しい。また,持ち歩くこともできないし,取り扱いも難しい(だから,現在に至っても火災撲滅には成功していない)。だから,火で寒さをしのごうとするなら洞窟などに定住するしかないが,ホモ・サピエンスを含む霊長類は基本的に定住しない動物なのだ。要するに,防寒という点からすると,火より衣服は扱いやすく安全なのだ。

 アフリカ東部に誕生したホモ・サピエンスは長い間,大地溝帯周辺だけで生活していたが(ホモ・エレクトスやホモ・エルガスターはすでにヨーロッパやアジアを生存の場としていた),8万年前にようやくアフリカの角を抜け出して歩いてアラビア半島に到達する。当時は氷河期といっても比較的温暖な時期だった。

 しかし,7万4000年前に起きたスマトラ島北部の火山の大噴火が,人類に襲いかかった。過去200万年で最大規模の噴火と言うから半端ではない。その結果,最終氷期の最も寒冷な時期より気温が低下してしまった。実はこの時,ホモ・サピエンスは絶滅しても不思議なかったのだ。実際,ホモ・サピエンスはこの時ほとんど死に絶え,衣服をまとうことを考えついた幸運な少数のみが生き延びようだ。
 現在の全ての人類はその幸運な生き残りの子孫なのだ。現生人類は他の類人猿と比べて極端に遺伝子の多様性が少ないことがその証拠である。

 そして,衣服を着るようになったホモ・サピエンスは5万年前から始まる本格的な氷期でも生き延びることができ,それどころか,生存可能な地域を広げさえした。一方,同じ時代に生きていたネアンデルタール人は最終氷期で絶滅した。ネアンデルタール人は寒冷地仕様の体型をしていたが,体型で対処できない寒さが到来することは想定外だったのだろう。


 逆に言えば,7万4000年前の火山噴火が起きなかったらホモ・サピエンスは衣服を発明しなかったかもしれないし,その場合は衣服の発明なしに氷期に突入してしまった可能性もある。そう考えると,今ここに私達が存在していることが不思議なくらいだ。

 結局,地球の気候を大まかに決めるのはミランコヴィッチ・サイクル(地球の公転軌道の離心率,地軸の傾き周期的変動)と,天の川銀河における太陽系の位置と宇宙線量といえそうだ。そして,その時に大陸が赤道付近に集まっているか両極に分散しているかが大きく関与し(前者なら極端な温暖化となり,後者なら寒冷化に拍車をかける),さらに火山活動が絡んでくる。20世紀の気候を俯瞰すると1940年代までが温暖,それ以降数十年が寒冷で,以後,気温は上昇しているが,総体的に見ると20世紀から21世紀にかけては例外的なほど気候が安定している100年であるらしい。氷河期とは単に寒いだけでなく,数十年単位,一年単位の気候の変動幅が極端な時代なのだ。現在私たちは何かあるたびに「異常気象」と騒ぐが,実は100年に一度の異常は「異常な気象」ではないのだ。現在は「異常なほど気候に変化のない時代」らしい。

 しかも,1833年以降,地球規模の寒冷化を起こすような巨大火山噴火が発生していない(セント・ヘレンズ火山やピナツボ火山噴火が記憶に新しいが,いずれも「大した規模でない噴火」である)。だからこそ,現在は安定した温暖な時代が続いている。そして,この気候の安定があるからこそ,人類は70億人を越えてもなお増加を続けている。それもこれも,気候の変化が少なく,穀物の栽培に適した気候が(奇跡的に)続いているからだ。

 逆に言えば,これまで何度も起きている巨大火山噴火が起きたら,かなりヤバいとことになることだけは確かだ。世界人口が1億とか2億人のレベルだったら「温暖な地域に移住する」という解決法があるだろうが,あらゆる地に人間が溢れている時代では「移住すべき温暖な地」はどこにも残っていないのだ。


 いずれにしても,本書はホモ・サピエンスの20万年の歴史を「気候」という卓越した視点から鳥瞰する稀有な書であり,人類史を貫く縦軸としての「気候変動」の存在に気付かせてくれる良書である。


 なお,かなり恥ずかしいことを告白すると,本書を読んで「ヤンガードリアス」が「Younger Dryas」であることを初めて知った。要するに,Oldest Dryas,Older Dryas,Younger Dryas なのだ。ヤンガードリアスはメソポタミアで穀物栽培が始まるきっかけとなった人類史では一大エポックであり,ドリアスが植物の名前であることはもちろん以前から知っていたが,それが「Youger Dryas」だったとは・・・!
 翻訳されたカタカタだけで読んでわかった気になっていると,こういう恥ずかしいことになるよ,というよい見本である。

 余談であるが,恥ずかしい間違いというと,マンガ『ドカベン』で殿馬君が「秘打・白鳥の湖」を披露するシーンを思い出す。ドカベン山田君が「まるでバレエのマドンナだ。プリマドンナだ」というシーンだが,バレエのプリマドンナとは「プリ・マドンナ」ではなく「プリマ・ドンナ」である。私は「ドカベン」は連載時にリアルタイムで読んでいたが,なぜか今までも思い出すのはこの「マドンナ」だ。作者の水島さんは超売れっ子だったため,プリマドンナの意味を確かめる暇がなく,「バレエのプリマドンナ」⇒「美しい女性」⇒「マドンナ」と勘違いなさったのだろう。

 これでいくと,「ドンキホーテ」を「ドンキ」と略して呼んでいる人は,「ドンキホーテ」を「ドンキ・ホーテ」と誤解しているかも・・・。もちろんこれは「ドン・キホーテ」が正しい。この「ドン」は男性の名前につける尊称で,「ドン・ジョヴァンニ」とか「ドン・カルロ」とか「ドン・ガバチョ」と同じである。

(2013/03/26)