人類進化大全★★(クリス・ストリンガー/ピーター・アンドリュース,悠書館)


 初期人類について色々と想像を巡らす時,何が一番障害になるかというと,つい,「現代人・現代社会の常識」で古代人について想像してしまう癖が抜けないことだ。私自分,こういう「先入観」がなかなか排除できないのだ。

 だから,野生の霊長類の行動について考えようとしても,脳裏に浮かぶのは動物園のサル山のお猿さんたちだし,「初期人類は決まった巣穴を持たない遊動生活だった」という文章を読んでも,彼らがどういう日常生活を送っていたのか具体的なイメージが浮かんでこないのだ。
 同様に,「ホモ・サピエンスは集団で暮らし」という文章を読んでも最初に浮かぶのは「夫婦と子どもからなる集団」であって,それ以外の「集団」はなかなか思い浮かべることができない。無意識のうちに「人間の集団といえば夫婦と子ども」という現代社会の常識を前提に考えてしまうためだが,実は初期人類は「男集団」と「女・子ども集団」で別々だったという説が有力らしい。

 そして,それ以上に想像しにくいのは「時間感覚」だ。5日とか5年とかならどのくらいの時間なのか直感的に理解できるが,200年となると個人が経験できない時間となり,どのくらいの長さかを実感することは難しい。ましてこれが1000年とか1万年となると想像することは不可能だ。


 そんな現代人の感覚から一番理解し難いのは,初期人類やホモ・サピエンスの「100万年間の変化のなさ」である。

 例えば,人類最古の石器と考えられているのは250万年前の東アフリカのオルドヴァイ渓谷で発見された礫石器である。石と石をぶつけて得られた破片を道具に使っていたものだが,現代人の感覚からすれば,「道具と言われれば道具みたいに見えるけど,これって本当に道具なの?」というのが正直なところだと思う。なんと,この拙稚でブサイクな石器が100万年近く,形を変えずに使われていたのだ。100年でなく100万年だ。


 これはどう考えたらいいのだろうか。
 700万年前に類人猿と人族が遺伝子的に分離したことはわかっている。脳の容量も少しずつ増えていったこともわかっている。しかし,100万年間,同じ道具を改良もせずに使い続けていたのだ。
 これは私の感覚から言えば「チンパンジーが枝を使ってシロアリを釣って食べました」とか,「仙台市青葉山のカラスが車にクルミを轢かせて殻を割って中身を食べました」というのと大差ない。
 恐らく,250万年前の人もチンパンジーも,偶然,道具を使い始めたが,なぜそれが有用なのか,もっと使いやすく効果的にするためには何が不足しているのか,他にも同じ目的に使えるものはないのか・・・といったことを考えていないのだ。その意味では,礫石器を使い続けた初期人類もカラスも,能力的には大差ないと思う。


 そして,160万年前になって,人類はようやく工夫することを思いつく。ハンドアックス(握斧)である。アーモンド形をしていて,片方が握りやすく,片方が鋭く削られた刃になっている石器だ。ハンドアックスはそれ以前の石器に比べると形は美しいし,洗練された石器も増えてくるが,何故かハンドアックスを発明してしまったら人間の脳はそれで満足したらしく,創意工夫はまた忘却の彼方に置き忘れられ,なんとそれから155万年間,形を変えずに使い続けるのである。それどころか,26万年前に登場したホモ・サピエンスもこのハンドアックスを20万年間,そのまま使い続けたのである。

 155万年間,使っている道具に工夫も変化もなかったということは,その使い手は,変化のない生活に飽きることがなかったということを意味している。物心ついてから死ぬまで,同じことを繰り返しても「つまんねぇなぁ」と感じなかったのだ。そして,そういう生活が親から子に5万世代以上にわたって受け継がれてきたのだ。

 「道具と火を使いこなすことで人は特別な存在になった」というのが常識的な解釈だと思うが,実は「道具と火」を使いこなしていても,ヒトはこの程度の存在だったのである。クルミを車に轢かせて殻を割るカラスと大差ない動物だったのである。「火と道具」は使っていても,その生活の実態は「ほとんど動物」だったのだ。


 だが,4万5000年前のある日,石器は突如として変化する。先祖代々,同じ石器を使う世界から,創意と工夫で次々に新しい石器を生み出して使う世界になる。1個の原石から複数の異なる形の石器を作る技術が開発されたのだ。これにより,ナイフ,スクレイパー,キリ,ノミなどの異なった形と機能を持つ石器が作られるようになり,年代を追うごとに石器の形は多様化し,形は洗練されていく。これが「後期旧石器時代」の幕開けだが,155万年という長い長い助走の末,石器は一気にハードルを飛び越えたかと思ったら,いきなり,絶え間ない技術革新の世界に飛び込んだのだ。

 そして,これと同時に,ヒトは動物の角や象牙を細工して女神像などの芸術品を作り,洞窟の壁に動物たちの姿を迫真的に描き,網やかごを作り,複数の部品を組み合わせた複雑な道具を発明し,ペンダントなどの装飾品で身体を飾り,様々な色の顔料で道具を彩り,埋葬する死者を慰めるように装飾品と顔料で飾るようになる。彼らは突如として,私たちと同じ「心」を持ったのだ。

 つまり,それまでのホモ・サピエンスの脳は「容量は現代人と同じだが,新しいものを生み出さない」脳だったが,4万5000年前を境に「変化を好み,次々に新しいものを生み出す」脳に変身したのだ。これを考古学者は「想像の爆発」と呼んでいるが,人の脳はある時を境に,全く別のナニモノかに変身してしまったとしか言い様がない。現代科学文明を作り上げた私たちの脳はその延長線上にあるが,4万5000年前のある日に起きた変化は,科学文明を必然の結果として導き出したのだ。


 また,本書を読んで初めて,アウストラロピテクス・アフリカヌス,ホモ・ハビリス,ホモ・エレクトス,ホモ・ハイデルベルゲンシス,ホモ・サピエンスという人類の種族が誕生したメカニズムが理解できた。
 それらは皆,アフリカで誕生し,あるものはアフリカにとどまり,あるものはアフリカを出て他の大陸にも生息域を広げ,やがて絶滅し,新たな種族がアフリカで誕生する,ということを繰り返したわけだが,生息域が拡大した後に気候変動(氷冠やサハラ砂漠の拡大)が起きたため,地域ごとに分断・孤立され,孤立したことで別々の種として進化することになったらしい。
 そういう現象の一つとして,東アフリカの渓谷に閉じ込められたヒト族の一部がホモ・サピエンスとして分離したわけだ。

(2014/10/14)