この本は読んだほうがいいよ,と薦めるとしたらどういう人が対象になるだろうか。生命進化史に非常に興味があり,特に,全球凍結についてよく知っている人だ。そして,「全球凍結,とりわけ最後の全球凍結で,多細胞生物はなぜ生き延びられたのだろうか?」と疑問を抱いている人だ。そういう人なら,本書のさまざまなハードルの高さ(ページの半分は数式が埋め尽くしている。角運動量などの物理が得意でないと本書に書いてある説明が理解できない・・・)にぶつくさ言いながらでも読む価値がある。そうすれば,全球凍結と初期生命の関係が非常にクリアカットになる。
ちなみに私は,数式部分は全てスルーし,ジャイロスコープの専門的な説明の部分もかなり読み飛ばした。つまり,ページの半分しか読んでいない。だって,あまりに難しいんだもの。
作者は1943年生まれ(ということは現在72歳)の方で,経歴と本書に書かれていることをまとめると,東北大学理学部天文学科で博士号を取り,その後は宮城県内の公立・私立高校に2010年まで教諭として勤務されていたようだ。
1989年(45歳)に雑誌「科学朝日」に掲載された「地軸逆転論(=寺石学説)」の記事を読んだことから,その理論の壮大さに衝撃を受け,この問題を研究して解明する事こそ自分のライフワークだと確信し,それから天体力学について勉強し直し,3年かけて数式計算に取り組み,地軸運動論に残された未解決部分に取り組まれたらしい。
そして1996年にジャイロスコープを円運動させる実験を思いつき,八木山ベニーランド(仙台の子どもが一度は必ず行っている遊園地です)で実験。見事にジャイロスコープの回転軸が逆転することを確認(⇒YouTube動画)。
1999年ころから専門誌に論文を投稿していたもののすべて不受理。そして2009年にポーランドの専門雑誌に3編の論文が掲載され(まさに苦節20年!),その内容を日本語で解説したのが本書のようだ。
45歳になってから自分のライフワークに出会い,それから猛勉強を始めた,というあたりがもう感動的であり,なんだか他人ごとと思えないのである(私の場合は,創傷治癒というライフワークに出会ったのが40歳ころ。猛勉強を始めたのはその後。それまでは勉強嫌いの怠惰な医者でした)。
八木山ベニーランドの実験の何がすごいかというと,物理学の世界で100年間信じられていた「ジャイロスコープの自転軸は空間に対して一定の方向を向いたままである」という常識を根底から覆したことだ。なんと,回転遊具においたジャイロスコープの自転軸は遊具の回転(=公転)に合わせて,公転面に対し垂直の位置に移動したのだ。
なぜ,この現象に誰も気が付かず,100年前の論文の記述を疑うこともせずに信じ込んでいたかというと,公転角速度(=遊具の回転速度)と自転角速度(=ジャイロスコープの回転速度)が200~300倍の範囲であれば自転軸の移動は数分で起こるが,地球とジャイロスコープの場合,その比は432,000となり,通常の時間では変化がないのだ。
実際に計算してみると,ジャイロスコープの自転軸が地球自転軸に揃うのに1800年かかるそうだ。つまり,卑弥呼の時代にジャイロスコープを回し始めて1800年間回転が止まらなければ,21世紀になってようやく自転軸の逆転が確かめられるのだ。だから,100年前の物理学者は「ジャイロスコープの自転軸は空間に対して一定の方向を向いたままである」という法則を考案し,その後誰も疑わずに盲信していたのだ。
そして,この「ジャイロスコープ神話」があったからこそ,太陽系の惑星の自転軸の傾きがバラバラである理由を,これまで誰も説明できなかったわけだ。しかし,惑星の自転軸は公転軸を目指して移動し,その速度は惑星の自転速度と公転速度の比によって決まるのであれば,自転軸の傾きが惑星ごとに異なるのは当たり前となる。
そして,全球凍結(スノーボール・アース)である。これまで地球は3回,地表全体が凍結する全球凍結があったというのが定説になっている(ヒューロニアン氷河時代,スターチアン氷河時代,マリノニアン氷河時代)。例えばマリノニアン氷河期は南アフリカと南オーストラリアの7億年前の地層に凍結の痕跡があり,その地層の残留磁気の伏角が水平方向であることから証明されている。そして,赤道が凍結していたのであれば地球全体は1000メートルの厚さの氷に覆われていても不思議はない,となり,それが全球凍結という仮説になったわけだ。そして,ヒューロニアン氷河期は1億5000万年間,マリノニアン氷河期は9500万年間も続いたことも確認されている。2年や3年でなく1億年であり,まさに想像を絶する。
問題は,ヒューロニアン氷河期以前に真核細胞生物が誕生し,マリノニアン氷河期以前に多細胞生物が誕生していたという事実だ。なぜ,真核細胞生物や多細胞生物は1000メートルもの氷の下で1億年近く生存できたのだろうか。1000メートルの氷の下の海水は大気との接触がなくなる以上,ほぼ無酸素状態だったと考えられる。真正細菌や古細菌は嫌気性代謝も好気性代謝もできるものが多いが,真核細胞は基本的に好気性代謝しかできないからだ。好気性生物がなぜ無酸素状態で1億年も生き続けたのかについては,専門家も説明できていないようだ。
しかも,真核細胞は地球全生命史で一度しか起きていないと考えられている。真核細胞は古細菌のメタン細菌の内部に真性細菌のα-プロテオバクテリアが入り込んで共生関係を結ぶことで誕生したと考えられているが,この組み合わせが生存に有利になる環境がたまたまあったから生き延びられただけのことで,その条件が満たされなければ共生関係は解消されたはずだ。つまり,真核細胞誕生は38億年の地球生命史でただ一度の偶然的イベントであり,それ以後,新たに真核細胞が誕生することはなかったのだ。一度,真核細胞が全滅するような事態が起きたら,それ以後の地球には真核細胞も多細胞生物も存在しないのだ。
この謎に対し,一般的には「海底の熱水噴出孔は凍結せずに噴出を続けていて,そこで生存していた可能性がある」と説明されている。たしかにこれなら凍結から免れられるが,酸素がどこから供給されていたのか,ということは説明できない。
しかし,本書が提唱する地球自転軸の移動があったとすれば問題は解決する。全球凍結(と考えられている時期)は地球全体の凍結ではなく,自転軸の変化により当時の赤道地域だけが寒冷化し,凍結を免れた海も存在していた可能性が出てくるのだ。生物学サイドから考えると,この方が理に適っている。
(2015/02/09)